デンマークと三愛主義
 
        この冬に、北海道農民管弦楽団は、デンマークへ演奏旅行に行くことになった。いずれ海外へ演奏旅行に行きたいということは、10年以上前から言い続けてきたことだが、それがデンマークに決まったのは、北海道の江別市にある酪農学園大学がとり持つ縁によってである。
 直接のきっかけは、北大オケの先輩である金田氏が3年前に大手民間会社の研究所を辞めて酪農学園大学の教授になり、農民オケにも入団してくれたことによる。それまでも、酪農学園大学の学生や卒業生が何人も農民オケに参加してくれていたが、金田氏の紹介でデンマーク在住の酪農学園大学の特任教授である高井氏を紹介していただき、昨年夏の来日時に直接お話しすることができ、とんとん拍子にデンマーク公演が決まった。
  酪農学園(大学創立50周年、短大創立60周年、前身の酪農義塾から77年)と北海道農民管弦楽団(創立16年)は、実はデンマークに深いところでつながっている。酪農学園大学は、北海道を農民の民主的・自主的な力で開拓すべしと考えた黒澤酉蔵(農民運動に身を投じた田中正造に若くして弟子入りし、酪農協同組合として始まった雪印乳業も創業)により、デンマークの農業と教育システム(特にフォルケ・ホイスコーレ=国民高等学校と訳されたが、民衆大学と訳した方が体を表している)を範として創立された。そして、 北海道農民管弦楽団は、宮澤賢治の夢であった農民オーケストラを現代に蘇らせたものであるが、宮澤賢治もまたフォルケ・ホイスコーレを範にして花巻農学校内に創設された岩手国民高等学校で農民芸術論を講義し、そこを依願退職して自ら農民となって羅須地人協会(参加農民からは農民芸術学校と呼ばれていた)を創設した。しかし、岩手国民高等学校での講義はわずか3ヶ月、地人協会の活動も1年半ほどに終わった。
 農業を学ぶ学校で、酪農学園大学のようにキリスト教に基づいているのは、日本では他に三重県の愛農学園農業高校がある。 こちらは、私立で唯一の農業高校、しかも全寮制の全国で最も小さな農業高校で、日本で唯一有機農業が必修科目になっている。こちらは、無教会派クリスチャンである小谷純一氏により戦後、酪農学園大とほぼ同時期に創設された。また、栃木県にあるアジア学院も、アジア・アフリカから農村指導者を招き自給を目的とした有機農業を教えるキリスト教の学校だ。
 無教会派は、内村鑑三により始まった日本独自のキリスト教(プロテスタント)の宗派だが、内村鑑三も「デンマルク国の話」(岩波文庫)という名著を残しており、酪農学園大学も実はこの無教会派の流れを元々は引き継いでいた。内村鑑三は北海道大学の前身である札幌農学校の2期生だが、札幌農学校の1・2期生のほとんど全員は、マサチューセッツ農科大学から派遣されたクラーク教頭の影響でクリスチャンになった。これは、官立大学としては全く異例のことだ。内村鑑三は、二つのJ(JesusとJapan)を愛すと言って、欧米の植民地主義的なキリスト教を嫌ったが、天皇不敬事件でも明らかなように、右翼的な偏狭なナショナリズムとは全く違うものである。
  三重にある愛農学園高校では、有機農業を広めるため、また新規就農を支援するための活動を活発にしているが、実は酪農学園も有機農業に力を入れている。酪農学園の理念は、フォルケ・ホイスコーレを創立したグルントヴィやコルの思想にならい、「神を愛し、人を愛し、土を愛す」三愛主義というものであり、ここから「健土健民」という思想も大事にしている。そして有機農業のバイブルでもあるロデールの「Pay Dirt」 という本は、出版されてすぐの1950年に酪農学園大学で翻訳して「黄金の土」という邦題で出された。その時代には、まだ有機農業という言葉さえなく、 この本はしばらく絶版になっていたが、1971年に日本有機農業研究会が発足し、74年に有機農研の創立メンバーであった一楽照夫氏により「有機農法〜自然循環とよみがえる生命」という邦題で再訳されて農文協から出版された。私もこれを読んだが、酪農学園では創立60周年の93年に、「黄金の土」を復刻発刊して、こちらも手に入れた。
 私にとって、キリスト教、オーケストラ、有機農業と いう3つのものは、ばらばらのものではなく、父と子と聖霊なる神と同様に、三位一体のものと言える。神を愛し、人を愛し、土を愛すという三愛主義に、パラレルな関係になっている。どれかが欠けても、それらは成り立たない。イエスが語ったように、神を愛するということは、最も小さな者を愛することであり、人にとって最も無くてはならないものはパン(ご飯)であって、それは土からしか生まれない。だから、土を耕すことは、人を愛することでもあるし、神を愛することでもある。けれど、オーケストラなんて、別になくてもいいと思われるかもしれない。しかし、そうではないのだ。オーケストラというのは、パンだけでは生きていけない人間にとって、心を養うための大切な道具なのだ。もし音楽がなかったら、人生はどれほどつまらないものになっているだろうか。音楽の無い映画を想像してみてほしい。無声映画の時代だって、生の音楽はちゃんと付いていた。音楽がなくても生きることは可能だが、生きる価値は随分と減ってしまうような気がする。そして、オーケストラというのは、音楽の中でも最も高度なものだ。弦、管、打楽器と様々な楽器が夫々の音を奏で、全体で一つの音楽になる。色々な職業の人がいて成り立つ社会の縮図の様だ。実際にやってみると、こんなに面白いものは他にはないのじゃないかと思える。
 さて、現代世界では、物も情報もあふれかえっている一方、貧困や戦争が絶えず、またいくら物質的に豊かになろうと、心は満たされず、自殺や犯罪もなくならない。 我々は何を求め、どうやって生きていくべきなのか。その答えは、「神を愛し、人を愛し、土を愛す」ということに尽きるのではないだろうか。
 神とか宗教とかいうと、ネガティブなイメージを持つ人も少なくないかもしれない。確かに、人を惑わし不幸にするような宗教も少なからずあるし、宗教によって起こされる戦争も少なくない。しかし人間は、自分の力によって何でもできると思い上がった時、そこにあるのは破滅だけだ。
 人間の作り上げた神を信じることは、間違っている。戦争をするような宗教は、人間が都合よく作り出した間違った宗教に過ぎないのだろう。そういう宗教であれば、信じない方がよい。我々は、人間を創られた神を信じ、神が人間を愛して下さるように、人を愛する人生を送りたいものである。

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