有機農法と自然農法の違い
 
       有機農法(organic farmin)という言葉には、ほぼ定義といえる物が出来上がっていて、基本的には化学合成農薬と化学肥料を用いない農法ということである。この他に、最近では遺伝子組み換え品種を用いないというようなことも必要条件に加えられている。
 有機農産物の基準は各国でほぼ共通していて、一部の無機農薬(石灰硫黄合剤とかボルドー液=硫酸銅+生石灰)の限定的使用は許可されているし、天然の無機肥料や一部の微量要素の補給なども許可されている。決して有機質だけを使う農業ではないし、有機合成農薬は不可だが無機合成農薬は可なのである。これは、自然界に存在しなかった物質である有機合成農薬が、分解されずに残留したり環境中で生物濃縮を起こし人間や他の生物にも悪影響を及ぼす危険性がある一方、無機農薬にはそのような危険がないことで区別しているわけである。一方、化学肥料は、物質的には自然界に存在するものと同じなので、有機合成農薬のような危険性はないが、有機質と違って土壌のバランスを崩して微生物などにも悪影響があり、作物も大きくはなるが健康に育ちにくいということで避けられているわけである。
 これらの基準は、安全な農産物を生産するということ以上に、環境を守るということを主眼にして、ヨーロッパを中心に30年ほど前から作られてきたものであり、日本においても2000年に農水省のJAS法によって有機農産物の基準が設けられ、有機農産物と表示するためには、そのような栽培方法を3年以上続けた畑で生産物であることを、認証団体から認証してもらわなくてはならない。
 有機農法自体は、言葉としては20世紀初頭にイギリスのハワード卿やアメリカのロデイルにより提唱されたものであり、日本でも40年ほど前に日本有機農業研究会が設立されorganic farmingを有機栽培と初めて訳したのである。当研究会では、有機農業の目的として、 安全で質のよい食べ物を生産するこということの他に、環境を守ること、自然との共生、地域自給と循環、地力の維持培養、生物多様性の保護、さらには人権と公正な労働の保障、生産者と消費者の提携というようなことまで挙げており、自然の理に適った永続的な方法というだけでなく、社会的にも適正な方法であるということを目指している。
 これに対し、自然農法という言葉は、日本独自に使われるようになった言葉であるが、基本的には有機農法の範疇を逸脱するものではない。しかし、有機質肥料も限定使用あるいは不使用としたり、不耕起であったり、有機農法よりも厳密に人為的な栽培を排除する。しかし、厳密な定義があるわけではなく、様々な農法でこの言葉が使われている。
 自然農法の起源は1930年代に遡り、世界救世教創始者の岡田茂吉氏、そして農業試験場の研究者を辞めて愛媛県に帰農した福岡正信氏により、相次いで実践されたものである。有機農法の定義には外れないが、厩肥を主体に有機質の循環を考えるハワード・ロデイルの路線ではなく、肥料はできるだけ与えないというところに特徴があると言える。岡田茂吉の自然農法は、その後MOA自然農法として全国に広がり、救世教から分派した神慈秀明会、黎明教会などでも、ほぼ同様の自然農法が実践されている。救世教では当初、人糞や厩肥など動物質を利用した堆肥は不浄なものとして避けてきたが、その後、琉球大の比嘉照夫教授が世に出したEM菌(有効微生物群)などを利用して浄化できるとして、現在では動物質の堆肥も使うようになっている。こうなると余り有機農法との違いはない。一方、福岡氏の自然農法は、無農薬・無肥料に加えて、不耕起、無除草というのが4大原則で、究極の何もしない農業である。この農法は、空中窒素を固定するマメ科のクローバーと、種籾にミネラル分の補給になる粘土団子を利用することにより、米麦連続不耕起直播栽培として実践されたが、全国には普及しなかった。しかし、彼の著書「自然農法 わら一本の革命」などは哲学書として世界的なベストセラーともなり、彼の著作に影響を受けたものは、私もそうだが日本全国で様々な農法を実践することになる。
 福岡氏亡き後(2008年に95歳で没)、「自然農」という言葉で全国に知られているのが奈良の川口由一氏で、やはり不耕起、不除草で稲や野菜の栽培を実践しており、妙なる畑の会(奈良県桜井市)、赤目自然農塾(三重県名張市)などを通じて全国にも発信している。この川口氏に福岡氏と共に影響を与えたのが大阪の藤井平司氏で、野菜の育種的・植物学的研究から無農薬・無化学肥料で自然な成長を促す「天然農法」を提唱した。私も藤井氏の著作は何冊か持っているが、今はほとんど絶版。私が最も影響を受けた福岡氏の「自然農法〜その理論と実践」(1974年、時事通信社)も、かなり以前に絶版になったままである。
そして、最近「奇跡のりんご」で一躍有名になった青森の木村秋則さんの方法も、不耕起・不除草の「自然栽培」である。リンゴだけでなく米も無農薬・無肥料を実践しているが、全国で「自然栽培」の農家を集めて販売するナチュラル・ハーモニーという組織は、ネットでの宣伝が、ちょっと怪しい。
 他に、無農薬・無化学肥料だけでなく、特にカルシウムは石灰ではなく草から補給するということを重視する大分県の赤峰勝人氏の「循環農法」、炭素率の高い有機質を浅くすきこみゆっくり分解させるブラジル在住の林幸美氏が提唱する「炭素循環農法」なども、自然農法に近いと言えるだろう。また、冬期湛水・不耕起移植型稲作を指導する千葉県の岩澤信夫氏(自然耕塾)の方法も、自然農法の一つの形と言え、福岡氏の農法よりはるかに現実的な方法だろう。
 ヨーロッパでは1930年代にシュタイナーにより提唱されたバイオ・ダイナミック(ビオ・ディナミ)が有機農業の一大潮流となっているが、ロデイルの有機農法(ビオ・ロジック)に対して日本の自然農法のような位置づけと考えることもできる。天体の運行に合わせて農事暦を決めたり、水牛の角に牛糞や水晶の粉・ハーブなど様々なものを詰めて熟成させた調合剤というものを目的に合わせて作り、肥料のように使うという、かなり神秘的・非合理的な方法であるが、ワインなどではビオ・ロジックにようにボルドー液などの農薬も使わないので、より安全なものとして消費者に広く受け入れられており、デメーターという生産・流通組織も有名である。日本では、まだバイオ・ダイナミックの実践者は「ぽっこわぱ耕文舎」(熊本県)など、まだ非常に少数だが、北海道伊達市にはこの農法を指導する「ひびきの村」という共同体があり、小学生から大人までを対象としたシュタイナー主義の学校もある。
 ヨーロッパやアメリカでは、近代的な大規模農法が主流になっている一方で、バイオ・ダイナミックだけでなくキリスト教一派のアーミッシュなど、トラクターを使わずに今でも馬耕を実践するような農家も存在している。つい40年前まではそのような農法が珍しくなかった日本で、そのような農法が駆逐されてしまったことを思うと、非常に残念であるし、今からでも農具を復活させ、かつての農法を継承する必要を感じる。
 より自然に、永続的で循環的ということを考えると、石油にたよることを止めるべきであろうし、石油によって動くトラクターだけでなく、ビニールハウスやポリマルチなどの石油製品も、本当は余り使いたくない。有機栽培の世界的基準(IFOAM)では、燃やすとダイオキシンが発生する塩化ビニールは禁止だが、ポリエチレンはいいことになっていて、この辺の基準は、かなり曖昧で現実路線だ。種子に関しても、遺伝子組み換えは大いに問題ありで、論争の末に不許可になったが、自家採種のできないF1品種などは、現実に販売されている野菜の種の大半がF1品種になっている今、これを有機栽培で禁止するところまでは至っていない。しかし、有機栽培であるからには自家採種とまでは行かなくとも、できるだけ固定種や在来種(エアルーム品種)を使いたいものだ。
 いずれにしても、有機農業は、特殊な農業(日本ではまだ1%に満たない生産)としてではなく、それが主流になるべきものであり、一方で自然農法は、究極の理想農法として存在して行くことだろう。

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