中国産加工食品からの残留農薬検出の意味するもの
 
 中国の工場で製造された冷凍餃子に混入した殺虫剤メタミドホスによる中毒事件のあと、次々に中国製の冷凍食品などから、基準に反する他の農薬(ホレート、ジクロスボス、パラチオンなど)が検出されているが、やっぱり中国の食品は危なかったなどと単純に考えるのは間違っている。今までずっと中国の加工食品にたよってきた日本において、中毒事件などというものは過去に一度もなかった。だから安全などと言うつもりもないが、もっと冷静に事の本質を見極める必要がある。
  この度のメタミドホスの混入事件と、他の多くの残留農薬とは、おそらく原因が同じではないだろう。日中双方での捜査が続けられているが、未だにどの時点で農薬が混入したのか解明されていない。メタミドホスは日本では随分前に農作物への使用禁止になっているが、最近になって中国でも食用農作物への使用が禁止されている。この混入が故意によるものか、あるいは事故なのかさえ分かっていないが、いずれにしても、この事件によって中国産の食品が危険であるとのイメージがますます高まったということだけは事実である。
 冷凍シメサバからも殺虫剤が検出されており、これも原因がちょっと分からないが、農作物からの残留であれば、栽培管理上の問題であろうし、毒性については種類と濃度によるのであって、基準を超えたからと言って即、危険だというものではない。最初のメタミドホスの事件と関係のない残留農薬問題について、混同して報道することには、扇動的な意図を感じないわけにはいかない。果たして、中国産食品だけが危険なのか? 日本だってついこの間まで、産地偽装やら賞味期限偽装やら散々問題になっていたわけで、幸いにして生命に危険を及ぼすような事例は出て来なかったようだが、基準値を超える残留農薬は、国産の野菜からも何度か検出されて問題になっていたのである。
  輸送によるエネルギーコストや環境汚染の問題、つまりフードマイレージを考えれば、できるだけ身近なところから食材を調達すべきであるのは当然だ。しかし、国産だから安全で、外国産だから危険だとか、中国はいい加減な国だというような偏見は、いい加減にやめるべきだ。国産であっても、どのように食品が作られているのか、消費者はあまりよく分かっているとは思えない。私だって、生協の餃子が中国産であることを、この事件があるまで知らなかったくらいである。多くの人は、日本の法律は中国よりも厳しいくらいにしか思っていないようだが、法律などを当てにしているようでは、偽装はもちろん本質を見抜くことなどできないだろう。そして、おそらく濃度の高さからみてその可能性の方が高いのかもしれないが、これがもし食品テロのような意図的な混入であったとすれば、かつて日本でも毒入りグリコ事件という愉快犯?の犯行声明による事件があったように、品質チェックなどで防げるようなものではない。
    メタミドホスの事件を受けて、今まで残留農薬についてノーチェックだった輸入加工食品について検査を行ったことにより、次々と日本で使用が禁止されている農薬が検出されたわけだが、そんなことは今までも十分に予想されたことで、今更報道されても驚くに値しないし、検査しないでいたのは怠慢でも何でもなく、敢えて問題にされるのを避けていたという意図的なものだと考えるべきだろう。
  北陸かどこかの生協が、これらの問題の広がりを受けて、中国産の加工食品を扱うのをやめることを決めたそうだが、生協の製品がきっかけで始まったこの問題を、生協自らが中国産のもの全部に広げて禁止するというのは、少しおかしいじゃないだろうか。生協ともあろうものが、今まで国産のものを育てることをせずに、中国でもタイでも人件費の安いところから仕入れておきながら、今頃になってマスコミが騒ぐから撤退しますなんて、そんな身勝手なことでいいのか。中国の生産者だって困るだろう。生協というものは、消費者さえ安全なもの食えれば、そのために打撃を受ける生産者がいようが、そんなことはおかまないなしというのだろうか? マスコミの偏向報道もあるが、利益優先でないはずの生協が、そのような行動しかとれないということには、落胆せざるを得ない。
  今頃になって輸入食品について、もっと検査体制を強化すべきなど言っているが、本当にそんなことを言って大丈夫かなと、私などは余計な心配をしてしまう。つまり、それならば日本の加工食品は残留農薬を検査しなくていいのか!? ということである。一般の人は、日本では中国よりも農薬の規制が厳しいし、農家も基準を守って使用しているので、大丈夫と思っているかもしれない。しかし、今までも国内の青果物で、残留基準を超えた農薬が検出されたり、中には数十年も前に使用されていた農薬が検出されて、廃棄処分となったりしているのである。後者は何と、函館の農協で出荷された無農薬栽培のカボチャから検出されたものであるが、分解されずに土壌に残っていた農薬をカボチャが根から吸収したためだと分かった。もちろん、日本の青果物だって一々農薬の検査など全部しているわけではないし、そんなことしたくても経費的にも物理的にも不可能である。農薬の検査をする場合は、これが検出されそうだという農薬について調べることができるだけであって、予想しない農薬を検出するということはできない。無数にある農薬について、全部を調べるなどということは、絶対にできないのである。
  そして、残留農薬も基準を満たしていれば安全なのか? 決してそんな保障はない。現在禁止されている農薬は、全てかつては許可されていた農薬である。そして、現在許可されている農薬も、永久に許可され続けるとは限らない、というより将来禁止される可能性のあるものは、いくらでもある。発ガン性などが疑われているが急性毒性が低いので許可されているものは多いし、慢性毒性や複合毒性については、現在の基準では全く考慮されていないからである。
  はっきり言って、加工食品から残留農薬が検出されるのは、中国製であろうが日本製であろうが当たり前なのであり、今の検査技術をもってすれば、使用した農薬は何ヶ月も前に使用したものであろうと、その農産物はもとより、加工されたものからも必ず検出できるのだ。
  例えば、私はワイン会社にいた時に、ワイン中の残留農薬を検査してもらったことがあるが、畑で使用した農薬は全て検出された。いや、正確にいえば、有機栽培で使用が許可されているボルドー液(=銅イオン)だけは検出されなかった。それは、醗酵の時点で酵母により消化されてしまうからである。(もっと正確に言うと、醗酵後の澱引きを遅らせたワイン=シュール・リー製法ものからは、澱から再び銅イオンが溶出して検出された。)銅イオン(無機銅)は、生物が分解できない合成農薬ではないので、最小限の使用に限り有機栽培での使用が許可されている。しかし、一般の合成農薬は、生物によって分解することができず、作物にもワインにも半永久的に残留し、もちろん人間の体内でも分解できない。だから、海外では自然派ワインとかビオワインというものが流行っているのである。
  中国では、日本でかなり昔に禁止された農薬が未だに使われたりしているが、農薬の原体を作っている会社は、在庫処分のために海外へ輸出先を探すが、農産物の輸入国である日本には、残留農薬という形で戻ってくる。それを、ブーメラン現象と呼ぶ。世界で最も基準の厳しいカリフォルニア州で禁止された農薬が、何年か遅れて日本で禁止になる。アメリカ合衆国でも南部は、日本よりさらに遅れて禁止になる。このタイムラグによって、農薬会社は在庫処分をするのだ。エイズや肝炎ウイルスの薬害を起こした血液製剤の事件と同様に、国民の生命や安全などは二の次と考える資本の論理であり、資本主義国家というものは、そのような資本の利益を最優先とするものなのである。
  ただし、日本では2年ほど前のポジティブ・リスト制度導入により、許可されていない農薬は、プールに耳掻き1杯程度の濃度でも検出されてはいけないことになり、ブーメラン現象は防止できるようになった。ところが、これは国民の安全を目的に作られた法律ではない。なぜなら、安全のためだけならば、そこまで厳密にする必要はないからである。本音は輸入の障壁とすることを意図して作られたと思われるこの法律が、逆に日本の農産物にも問題があることを露呈させてしまい、今現場ではこの問題を荒立てないように、あえて過去の危険な農薬の検査をしないか、あるいは結果を公表しない状況になっているのではと考えられるのである。つまり、測定技術の向上などにより、はるか過去に使用された農薬が、現在の日本の農作物から検出されてしまうのである。
 高度成長期、まだ毒性の強く難分解性の農薬の多かった時代、世界中で最も大量に農薬を使用していたのは日本であった。中国や東南アジアでは、その頃はまだ農薬が余り普及していなかった。今になって、中国では農薬の使用がかなり伸びているが、しかしかつての日本に比べればましだと思われる。中国では、今でも完全無農薬の農作物も結構あるが、日本では完全無農薬の作物はほとんど市場に流通していない。中国産だから横並びに危険などと言うのは、根拠のないいいがかりである。中国であろうと日本であろうと、安全にはコストがかかるのであり、不当に安い品物には、何らかの問題があると考えるべきだし、完全無農薬のオーガニックの認証をとった農産物は、圧倒的に中国を始めとした輸入農産物のシェアが大きいのである。
 いずれにしても、経済のグローバル化によって、人間にとって最も基本的な問題である食が大きく歪められ、そのような状況下でこの残留農薬事件が発生したことは間違いない。いわば起こるべくして起きたこの事件によって、我々のライフ・スタイルと経済のグローバル化を反省する契機になればよいが、中国バッシングのようなおかしな方向に事を向かわせてはならない。
  国内で十分に自給できるような食品を、人件費が安いからと発展途上国に作らせ、遠い海の向こうから何日もかけて運んでくる。それが、まともなことであるはずはない。しかし、安全とか安心よりも、安価であることを望むのが大多数の消費者である。今回のような猛毒ともなれば別だが、普段は何倍も高くつくような国産の無農薬・無添加の食品よりは、多少農薬や添加物を使っていようが、そこそこ安い食品を買うというのが普通の消費者だろう。しかし、安いものばかり食べていたら、健康を害することは間違いない。今の世の中、まともな食品を作ろうとしたら、どうしたって安くなんかできないことは明らかなのである。私は、農家の立場からも食品製造業界にいた立場からも、そのことは切実に感じる。
  しかし、我々庶民にとっては、できるだけいいものを食べたいとは思っても、値段の高いものばかり買ってなどいられない。だから、安全なものを食べるためにこそ、私は自分で作れるものは、自分で作ることにしているのだ。うちで作った野菜も果物も、どれも完全無農薬で安心して食べられる。そして、市場では手に入らない完熟で新鮮な美味しいものをふんだんに食べることができる。しかし、このような農産物は、市場には出回らない。というか、ほとんど流通できないのが現状である。本当に必要と思った人が、直接買ってくれることで、ようやく私のような無農薬農業が成り立つ。そして、それは市場の値段よりべらぼうに高いわけでもない。しかし、大量生産はできない。
  このような自給的農業というものが当たり前にできるようにならなくては、食の安全も安心もあり得ないだろう。しかし、そのためには、社会全体が大きく変わる必要がある。多くの人が都会の生活を捨てて、田舎を目指さなければならない。経済学者がいうような、少数の農家が効率的に大量生産するような方式では、決して食の安全は手に入らないと断言できる。 

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