「きものという農業」を読んで  〜食だけでなく衣の自給も目指そう!
 
  中谷比佐子著「きものという農業」(三五館 2007. 5. 30.初版)を読んだ。絹、麻、和棉、草木染め、といった日本の伝統的な衣の文化を守る人たちについてのルポルタージュであるが、この本で知った興味深い事実をいくつか記し、そこから私が考えたことを述べてみたい。
 暮らしに必要な衣食住のうち、食だけが農業なのではない。食糧自給率は40%を切り、世界の主要国では飛び抜けて最低な日本であるが、衣の自給というと、もうほとんど0%に近いということになる。伝統的な着物でさえ、輸入絹糸が主流であって、養蚕は国の保護政策の打ち切りにより、風前の灯火になっている。日本において養蚕は、稲作と同じくらい古く、3000年以上の歴史のあるものだ。皇室、特に皇后は、伝統的に養蚕に関わり、現在でも皇居において小石丸という日本在来の品種の保存に力を入れているとのこと。また、今上天皇は皇居で日本茜を発見して、それを正倉院宝物の復元のときに染色に用いたらしい。
 私は天皇制廃止論者だが、皇室が、そういう経済度外視の農的文化を守るという点で、貴重な役割を担っているということを、否定するつもりはない。しかし、庶民がそういう自給的生活をできない社会であっては、決して豊かな社会ということはできないだろう。
 普通の蚕=家蚕は桑しか食べないが、野外で飼育する天蚕は、色々な樹木の葉を食べ、生産性が低いが品質は良く、非常に高価な織物となる。他にも柞蚕、シンジュ蚕、クス蚕(これから取れたのがテグス糸)などが過去に繊維として利用されていたが、現在もどこか国内に飼われているところがあるのかどうか、この本に詳しい記述はない。
 麻に関しては、大麻と苧麻が日本で栽培されていたが、いずれも日本で5000年以上も前から栽培されていたことが確かめられたのだそうだ。そして、大麻の栽培を国の法律で基本的に禁止しているのは世界で日本だけで、それは戦後にGHQによってなされたことらしい。当のアメリカでも栽培を禁止している州は多くない。マリファナの幻覚作用のために禁じたというよりは、麻の生産を絶やして、化学繊維を普及させる意図があったと思われ、禁じた当国のアメリカからの麻の輸入もあるとのことで、納得いかないことではある。
 和棉に関しては、絹や麻に比べれば、その栽培の歴史は浅いが、それでも平安初期の西暦800年頃には栽培が始まり、日本の気候に適した独自の品種が発達し、世界的に主流の新世界綿とは異なるタイプであることも分かっている。この和綿織物の生産は、伝統織物として細々と残っていた絹織物や麻織物と違い、ほとんど途絶えてしまった。その復活に力を入れているのが、千葉県鴨川の田畑健さんであり、色々な和棉の品種を保存するだけでなく、綿繰りや綿打ち、糸紡ぎ、機織りに至るまで、インドのガンジーアシュラム(道場)や日本にある伝統的な道具を研究し自ら改良を手がけて製作し、種まきから衣服に至るまで、道具の段階から完全な手作りを実践しているのである。もちろん食生活も、米作りから養鶏まで、ほぼ自給を成し遂げ、家も自分で建てている。なぜ、そこまでするのか。それは、全共闘時代に学生運動で社会の矛盾に向き合い、福祉を学んだ田畑さんだからこその解答なのだ。
 ガンジーは、イギリスの産業革命による紡績産業の発達で、インドが単なる綿花の生産地として植民地支配されるようになってしまったことを踏まえ、チャルカという糸紡ぎ車を普及させるべく、それを独立運動のシンボルとした。イギリスは植民地支配を徹底するために、手紡ぎの道具を打ち壊し、技術をもった職人たちの腕を切ったり失明させたり、相当残虐なことをしてきたのだ。ガンジーは、被差別民への偏見や差別と闘い、そして自給運動という全くの非暴力的手段によって、イギリスの支配からの解放のために闘い、それがインド全体を動かして独立に導いたのだ。しかし、彼は暗殺された。
 そして、植民地主義が否定さた現代においても、グローバル資本主義によって、さらなる格差と支配の構造が世界を覆っている今、ガンジーや田畑さんのような、非合理的とも思える自給を取り戻す運動は、ますます重要になってくることだろう。我々日本人ほど、経済合理主義というものに毒されている人種もいないのではないだろうか。すべての人が豊かに暮らすためには、大量生産と競争による社会ではなく、より少ない生産と共存による社会を目指さなくてはならない。有限な地球においては、そう生きることでしか我々に未来はないのである。

>>>> えこふぁーむ・にゅーす見出し一覧