理想社会と自給共同体  〜 アナキスト石川三四郎の「土民生活」〜
 
    「えこふぁーむ」は、本年4月に満15年を迎えることになる。曲がりなりにも、よく続いて来たと言えなくもないが、当初の目標を達成するまでには、まだ遠い道のりがある。その目標とは、「えこふぁーむ」を単なる有機農園から、自給的共同体にまで発展させるという壮大な目標である。数年前からこの紙面でも度々公表している「農民芸術学校」構想は、そのための一つの手段として、着想されたものに過ぎない。
 私が就農した時点では、もはやこの資本主義世界は長続きせず、10年後にはもっと農業が尊ばれる時代になるだろうという思いがあった。しかし、日本も世界も私の望んだ方向には進まず、ソ連・東欧の社会主義国崩壊や、中国の資本主義経済の導入により、資本主義独り勝ちの様相で、唯一の超大国アメリカは国連決議によらず産油国イラクを侵略、地球温暖化防止の京都議定書を無視するなど傍若無人に振舞い、世界はさらに破滅に向かってつき進んでいるようにも見える。
 とはいえ、アメリカも共和党敗退でブッシュ政権にも陰りが見えてきたし、中南米は、有機農業で見事自立しつつあるキューバを中心に反米社会主義政権一色に染まりつつある。日本においては、政治的には安倍政権成立で反動化が一気に進む懸念がある一方で、先月国会で有機農業推進法が全会一致にて成立し、有機農業という言葉自体が行政から無視されていた20年前からみると、隔世の感もある。変わらないと思われていたことが動き出す兆候は見えるのであり、このかすかな希望を、大きな流れにしなければならない。
 現実には、有機農業を営む農家はまだごく少数派にとどまっているし、農業担い手の減少には歯止めがかからない。自給率向上を謳った新しい食料・農業・農村基本法が制定されてから数年たつが、自給率低迷から脱却する兆しも全くない。食料を自給することは、国の独立を保つ基本であると思うが、日本の中枢にいる官僚や政治家に危機感はこれっぽっちも見られず、その気は全くないように思える。
 私自身は、日本という国よりも、自分自身の独立を保つということの方を大切に考えているし、国としての自給よりも、自分自身がどれだけ自給できるかということの方に関心がある。しかし、それは決してエゴイズムで言っているのではない。社会の変革は、決して上からは成し遂げられず、下からの個々の変革の広がりによって起きるのである。自給する個人が増えれば、自ずと社会全体での自給率も上がるのであり、国内の自給率を上げるために、既存の農家が個々に生産量を倍増することなど、机上の空論に過ぎず馬鹿げた話である。
 私が「えこふぁーむ」を作ったのは、自分が自分らしく幸せに生きるため、そして世界を平和にするため、という2つの理想のためであった。宮沢賢治が『農民芸術概論綱要』の中で、「世界がぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」と、いみじくも語っているように、この2つはどちらか片方で実現するということは決してない。平和でない世界で自分らしく生きることもできないし、世界の平和のために自己を犠牲にしなければならないのならば、それは偽りの平和であり、そのようにしてまで世界が平和になる価値などない。だから、世界の幸福の方が個人の幸福よりも優先するかのようにもとられかねない宮沢賢治の言葉は、危険をはらんでいる。世界と個人の幸福は、同時に実現しなければならないし、真の幸せとは、平和な世界の中に自分が存在すること、そのものであるとも言える。だからこそ、真の幸せは、より多くを得たいという際限のない物欲を捨てなければ得られない。競争ではなく共生を追及してこそ幸福は得られるのであり、奪い合うのではなく分かち合うことによってしか、満ち足りることはできないのである。
 したがって、常に競争を強いて世界を平和にしない資本主義も、社会の安定のために個人の自由を奪う共産主義も、理想を実現する手段としては、間違っている。では、第3の道はどこにあるのか。それを追求するのがアナーキズムであり、資本や独裁という権力から個人の自由を守る唯一の方法は、自給共同体という社会を作ることである。しかし現実には、アナキストによる自給共同体の試みは、多くが短期間で失敗に終わり、成功した例は極めて少ない。
 なぜ失敗するのか。私が考えるには、それは共同体を維持するために必要な3つの要素を、兼ね備えていないからである。3つのうちどれが欠けても、共同体は崩壊する。その3つとは、第1に価値観の共有(宗教あるいは哲学)、第2に共同体の維持に必要な生活の技術(特に農業技術)、第3に生きることの喜びの表現としての芸術の尊重である。特に3番目の芸術は、共同体に何の関係があるのかと思われ、ないがしろにされやすい。しかし、人間の幸福ということを考えた時に、芸術は極めて重要な要素と言える。そして、これらの要素のうち、いずれかを重視して、その他はおろそかになるということになりやすいのだが、それでは共同体はうまく行かない。宗教、農業、芸術、この3つが統一されることが必要なのである。そのためには、祈ること、耕すこと、表現することが、分業されるのではなく、一人の人間によって行われなければならない。なぜなら、人間の営みを分業化することによって、人々の心まで分断化されてしまうからである。一人一人が宗教家であり、農民であり、芸術家でなければならない。そのような人間を、宮沢賢治は「地人」と言い、石川三四郎は「土民」と言ったのである。
 石川三四郎は、大杉栄や幸徳秋水と並ぶ日本の代表的なアナキストだが、彼らほどには知られていない。彼らと大きく違うことは、終生キリスト教を捨てず、暴力革命を否定したことで、大杉や幸徳のように権力により殺されることは免れたが、戦中戦後もアナキストとして、ぶれずに生き抜いた。同じくキリスト教アナキストの同志には、木下尚江がいる。
 石川は、学生時代に海老名弾正に出会いキリスト教徒となったが、卒業後『萬朝報』の記者となり、同僚だった内村鑑三から、キリスト教の原点イエスに帰ることや、絶対平和主義、文明批判等を学んだ。内村と共に非戦論を主張して、萬朝報を退社した仲間で平民社を作り、社会主義者となったが、あくまでもキリスト教がバックボーンにあり、堺利彦らとは対立した。平民社時代には、鉱毒問題を追及し栃木県谷中村に移り住んだ田中正造から強い影響を受け、イエスの十字架を背負う生き方、議会制民主主義との決別、農に帰り土地を守る姿勢を学んだ。一方で、天皇を中心とした国体を守ることを第一義におく権藤成卿や橘孝三郎らの農本主義者とは対立した。「土民生活」という言葉にデモクラシーとルビをふり、必ずしも農民に限らない土着の民衆が、キリスト教的な個人主義に基づいて自立することを理想としていた。石川が、日刊紙として再出発した『平民新聞』の編集長となった明治40年、平民社の渡辺政太郎らキリスト教アナキストらは「平民社農場」を北海道留寿都に開き実践を試みるが、社会主義者による当局の徹底的な弾圧に抗しきれず、開拓の厳しさもあって、わずか3年で幕を閉じている。
 この頃石川は、キリスト教アナキストであるカーペンターの著作に出会い感銘を受け、彼に学ぶためヨーロッパに長らく亡命し、フランスのルクリュの下で農的生活を実践し、帰国してから昭和2年50歳の時に、東京世田谷にて半農生活を始めた。しかし、ヨーロッパでの農法をそのまま持ち込もうとして、農業としては成功しなかった。また、宮沢賢治の「地人協会」にも似た、共に学びあう「共学社」という学習の場を作り、「農民自治」つまりアナーキズム的な農業共同体を目指した。彼はまた、『土民芸術論』という論文も書いている。これには、民衆による生活に密着した芸術を説いた、ラスキンやモリスの影響も大きいと思われる。
 私は石川三四郎の思想を、再び蘇らせたいと願わずにはおれないが、あえて地人とか土民という言葉を用いず、百姓とか農民という言葉を使いたい。農業を人間の基本的な生き方として、尊いものと考えるからだ。もちろん、農本主義のように全ての人を農に縛りつけようとすることは愚かであり、100人が100人とも地面を耕す労働に従事する必要はない。しかし、現在の日本ように100人の食料を数人でまかなう(実際には40人分だが)というのはどんなものだろう。
 江戸時代の思想家であり医者でもあった安藤昌益は、農民以外、特に宗教家や武士、商人などを不耕貪食の輩として厳しく批判した。毛沢東やポルポトも、そのような思想を持ち、知識階級を廃し農業に従事させることを強制したが、文化大革命での悲劇や、カンボジアでは数百万人に及ぶ大虐殺という惨劇を招いた。それらは、全く本末転倒であって、多くの人が土を耕すべきなのは、すべての人が十分に満ち足りて生きるためであり、そのために不幸になるのであったら、農業などやる意味がどこにあるというのだろうか。
 しかし、農業を守らなければならない理由は、何も食糧を得るためだけではない。第一次産業という言葉があるように、他の産業を支える基礎となっているのであり、さらには環境を守り、地域を守り、文化を育み、心の癒しにもなるなど、経済では計れない様々な価値も多く持っている。だからこそ、食糧さえ得られれば外国からどんどん輸入するというような政策は、改めなければならない。農業が滅びれば、農民が滅びる前に、国が滅びるのである。
 現代の農家は、輸入農産物に対抗するため、際限なく規模拡大してコストを下げる農業を強いられているが、そのことが環境を破壊し、地域社会を崩壊させ、安全性に問題のある農産物を流通させている最も大きな原因になっている。それらを一気に解決する方法が、自給的農業の復活であり、石川三四郎の言うところの「土民生活」の復興なのである。
 自給共同体=農的コミューンは、組織的農業により階級社会が形成される以前は、ごく普通の社会であったわけで、これをユートピア的な理想像とする思想は古来よりあった。紀元前に書かれた旧約聖書創世記のエデンの園「パラダイス」がそうであるし、世界中の神話にも同様の楽園が存在する。18世紀前半の安藤昌益の言う「自然世」もそうであり、ほぼ同時期のフランスのルソーも「自然に帰れ」と説き原始的な共同体社会を理想像とした。19世紀初めにイギリスのオーウェンは、そのような共同体を実験的に建設したが必ずしも成功しなかった。その後に登場したドイツのマルクスは、やはり「原始共産社会」を究極の理想としたが、それを実現するためには資本主義社会から労働者独裁社会というプロセスを経るべきだとして、アナーキズムを空想的と否定した。マルクスやエンゲルスは、農民を真の革命の主体と考えず、あくまでも労働者が主体と考えた。私は、そこに間違いがあったと思う。労働者とは元々、農民として生きられなかった民衆であって、農民が農民として生きられることが、究極の目標であるべきなのだ。農民をも労働者であるべきだとする社会主義は、地主制の封建主義と同じく抑圧社会であって、決して資本主義より優れたシステムとは言えない。
 マルクス主義による社会主義革命以前に、自給的な共同体を目指すアナーキズム的革命運動は、歴史上何度か起きているが、ほとんど短期のうちに権力によって潰されたり自壊したりしている。ドイツにおいては15世紀末から16世紀にかけて革命の神学者ミュンツァーらが主導した農民戦争が各地で起き、権力を否定して農民の完全自治を目指したが、同じく宗教改革者であったルターはナショナリズムや資本階級とも結びついて弾圧する側に加担し、農民蜂起を担ったアナバプティスト(再洗礼派)は徹底的な迫害を受け、余りにも急進的だったミュンツァーは敗北して温厚なメノナイト(メンノー派)が主導権を握る。この結果、農民はブルジョアジーに負け農村は都市に従属することになった。日本においても、宗教的ラジカリズムにより開眼した農民自身による武力的な解放闘争が、ドイツ農民戦争より早く15〜16世紀にあった。それが、浄土真宗の門徒らによる一向一揆であり、農民ら被抑圧民が完全自治を目指した。イエスと同様に差別と闘いどんな権力も認めないラジカルな思想家であった親鸞なき後、真宗をまとめた蓮如は、権力に迎合して一揆を抑えようとするが抑えきれず、蓮如を離れた加賀国の一向宗徒は一揆に勝利して1世紀ほども門徒領国という形式的には農民による自治コミューンを実現する。しかし、内部からの崩壊を招き、やがて織田信長らによりそれらの自治は完全に壊滅させられることになる。また、17世紀前半の島原・天草の乱は、キリシタンによる日本史上最大の百姓一揆であり、農民だけでなく漁民、手工業者、零細商人等による、まさしくアナーキズム的革命運動だったと言えるが、江戸幕府により徹底的に壊滅させられ、悲惨な結末に終わった。
  確かに、アナーキズムによる社会革命が、歴史上において成功した例は乏しいと言わざるを得ない。しかし、ではマルキシズム=ボルシェヴィズムが成功したかと言えば、それはある一定の成果を上げもしたが、最終的には理想からほど遠い全体主義を現出させただけであったし、決して資本主義を打ち砕くことはできなかった。
 歴史上、農民主体の自給共同体が最もうまく行っている例は、イスラエルのキブツであろうと思う。イスラエルは、国家としては自由主義経済の資本主義国であるが、その農業生産の40%は、人口比で3%に過ぎないキブツによって担われ、モシャブという自作農の協同組合による生産を含めれば90%に達し、厳しい自然条件にも関わらず食料自給率は9割を超えている。またイスラエル建国後、キブツは工業生産も行うようになり、最近は観光産業にも進出したりしている。300ほどあるというキブツの規模は様々だが、かなり大規模な場合もあり、教育、医療なども自前で行う完全自治の共産社会である。第二次大戦後、欧米のユダヤ系財閥の支援で作られたイスラエル国は、パレスチナ人を追い出し軍事国家となったが、本来シオニズムというものは農業共同体を目指す聖書の神が示した理想郷作りの運動であったのである。異邦人や寡婦を差別してはならないという聖書の教えに従ってパレスチナ人との共存を計らない限り、イスラエルには再び神の審判が下され、滅びの時が来るに違いないだろう。
  農民として生きるということは、単に農業生産に携わるということではない。大自然と神の前に従順になり、大地にしっかりと立ち、泥にまみれ汗を流して労働し、実りの時には感謝をもって収穫する。そして収穫を皆で分かち合い、喜びを表わすために歌を歌い、楽器を奏で、踊りを踊る。これこそが、人間の生き方の原点である。そのような生き方を、現代の農民は忘れている。私は、単に農業をやりたいのではなく、そのような生き方を取り戻したいのである。そのような生き方ができた時にこそ、資本主義も社会主義も存在しなくなり、自由で平等、平和な理想社会が実現するだろう。  

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