農民芸術学校の幻、再び
 
  札幌市に10年ほど前、札幌コンサートホールKitaraと言う世界に誇る素晴らしいホールができた。音響が素晴らしいだけでなく、都心のオアシス中島公園の奥まったところにあり、環境も最高である。ホールのすばらしさが知れ渡り、海外のオーケストラも次々とやってきては、盛んに公演を行っている。私が札幌で学生だった20数年前には、来日する海外のオケはほとんど東京と大阪で公演して終わりだったから、隔世の感がある。また、コンサート専用ホールでありながら、日本中にわんさかある箱物ばかり立派で余り活用されていないホールと違い、利用率も極めて高い。ハードだけでなくソフト的にも充実していて、札幌交響楽団の本拠地となり、また故バーンスタイン氏が提唱して始まったPMF(Pacific Music Festival)という世界中の若手演奏家の教育を目的とした音楽祭の本拠地にもなり、両者ともKitara内に立派な事務所を持っている。また、札響とPMFは、練習場所として、郊外にある札幌芸術の森という、これまた恵まれた環境の中にある、すばらしく設備の整った施設を優先して使っている。ここは、農民オケでも旗揚げ公演を始め、最初の何年かは練習場所としてもかなり利用させてもらったが、自然の中に野外美術館や、市民が宿泊して利用できる様々な施設等が点在している。PMFのピクニックコンサートが開催される野外音楽堂や、札響の常設練習場にも利用されているアートホールは、いずれも数年前には随分立派なものに造り直された。
 札幌には、音楽に関してこれだけすばらしい施設がありながら、唯一残念なことは、公立の音楽大学が、ついにできなかったことだ。これにしびれを切らしてか、今年から札幌大谷短大が4年制大学となり北海道で初めての音楽学部を設けたが、レベル的にはまだ充分なものとは言えない。京都市では、50年も前に市立の交響楽団に先立って市立の芸術大学を作り、地元で音楽家を育てるということをやって来た。北海道では、戦前には北海道大学の教育学部に特設音楽科があったが、戦後はこれを北海道教育大学札幌分校に移し、今年からはそれを岩見沢分校に移してしまった。教育大学という名の通り、音楽家養成というよりも、音楽教育者養成という感が強い。アメリカでは総合大学に芸術専攻コースがあるのは普通だが、日本の国立大学では筑波大学にあるくらいで、それも美術系だけで音楽系はない。北海道大学には全国の総合大学で唯一、本格的なパイプオルガンを備えたホール=クラーク会館があり、芸術を学生の人格形成のために重視した時期もあったが、残念ながら、もうかなり老朽化している。
 世界トップレベルの音楽校であるニューヨークのジュリアード音楽院は、リンカーンセンターというコンサートホールやオペラハウスを備えた施設の一角にあり、学生は常にトップクラスの演奏に身近に接することができる。かつて、画家はパリを目指し、音楽家はウィーンを目指す時代があった。もちろん今でもパリやウィーンは芸術の都であるけれども、今やニューヨークは、世界の経済の中心地というだけでなく、世界中の芸術家が集まって来る都会とも言えるだろう。
 しかし、都会というのは、芸術にとって本当に好ましい環境なのだろうか? 都会的なセンスというのは褒め言葉であり、田舎っぽいというのは、けなし言葉である。でも、そもそも都会とは、田舎から色々なものが流れ込み、集まっているというだけのことである。都会は基本的に消費する場所であって、生産する場所ではない。田舎がなければ、都市は存在することはできない。都会人は、田舎に感謝するべきであって、蔑むことなど決してあってはならないのである。
 作曲家や作家など、創作活動をする芸術家の場合、発表の機会はやはりどうしても人口の多い都会中心になってしまうが、その創作の場には田舎や自然の中を選択するという人も、決して少なくはない。それは、喧騒を離れた静かな環境があるということだけでなく、自然そのものが、芸術にとって一番の教師であるからだと私は思う。
 私の夢見る農民芸術学校は、自然の中で、農業と音楽を同時に学ぶというものである。農家がどんどん減っている現状の中で多くの人に農業に携わってもらいたいという思いと、農家にも音楽を楽しんでもらいたいという気持ちから、この構想が生まれたわけだが、それだけではない。北海道農民管弦楽団は、農民の、農民による、農民のためのオーケストラを目標に活動してきたわけであるが、現実には農民だけではオーケストラが成り立たない。また、創立メンバーの一人に過ぎなかった私自身が、代表、事務局、指揮、時には独奏、時には作・編曲と、何もかもやっている状況であり、これではいけない、後継者を育てなければという思いからでもある。
 そもそもなぜ、農民オーケストラなのかということだが、農民は都市の住民と違って、大地に根差して自立して生きる強みがあり、そこから生まれる芸術には、うわべだけの物ではない力強さがあると信じているからだ。全寮制の学校という構想は、今すぐ実行できるような段階にはないけれども、宿泊できる合奏練習可能な施設、できれば発表の場にもなる施設を作るということを目的に、昨年ついに隣接地を得たわけである。しかし、施設を建てる資金はおろか、土地代もまだ未払いで目処がたっていないというのが現実である。
 まだまだ前途は多難であるが、私はこの夢が単に私の個人的な夢想なのではなく、神から与えられた幻(ヴィジョン)であると信じていて、今後の人生を、農民芸術学校を創るために用いたいと思っている。  

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