農場開放宣言! 〜「えこふぁーむ」の再生のために〜
 
   有機農業による自給と、農民オーケストラを創る夢を実現しようと、この地に入植して早14年が過ぎた。手をかけた果物や野菜を送っておいしいと喜んでもらえた時や、コンサートで聴衆から大きな拍手をいただいた時などは、本当にこのような生き方を選択してよかったと、喜びに浸る瞬間である。しかし、決して順風満帆であったわけではない。実を結ばない苦労も、たくさんして来た。経済的には、ずっと綱渡りの状態であった。いや、これからは、もっと大変なことが予想される。あれもやりたい、これもやりたいと欲張り過ぎて、どれもこれもが、中途半端になってしまっていなかっただろうか? 本当はもっと大事にすべきことなのに、おろそかにしてしまっていることも、たくさんある。そして、そのつけが一気に回って来たようである。
 今、私は心の中で、すごくもがいている。ここ数年はこの通信で、農民芸術学校を創るということを、しつこく述べ立てて来た。ホラ吹きみたいに思われようが、高邁な理想であれば、言い続けることで、いつかは実現できると信じていたのかもしれない。農家になる夢も、オーケストラを創る夢も、思い描いた通りの姿ではないにせよ、それなりに実現させて来た。今までずっと、夢を追い続けることでしか、自分の生を確認できないようなところがあった。しかし、今その夢が思うにまかせないばかりか、農業による自立という根幹のところが、ぐらついて来ているのである。このままじゃ、ダメだということは分かっているのだが、どうすればよいのかということが、なかなか見えて来ない。農業を取り巻く環境は、ますます厳しい状況に追い込まれている。身の回りでも、競争に勝ち残れず離農する農家は、後を絶たない。そんな中で、自給的な有機農業こそ、生き残る道だと信じているのに、まだまだ自給と言うには不十分であるし、かと言って、もうかる農業もできそうにはないのである。
 「えこふぁーむ」では、農薬を使う一般栽培でも難しい果樹を、無農薬で栽培することにこだわって来た。農薬を使えば収穫できることが分かっていても、それを使ってしまえば私が農業を始めた意味を失ってしまうのだ。何もそこまで無農薬にこだわらずに、最初は低農薬でもいいじゃないかとみんなが言うのだけれど、そういうやり方では無農薬は実現しないのである。わたしは、敢えて困難な無農薬に最初から挑戦し、生態系がうまく機能して農薬を使わなくとも病気も害虫も増えないような畑になるのを、じっと待ち続けているのだ。経済と生命を天秤にかけることなどできない。心を売ってまで、生き延びたくはないのである。しかし、理想だけで生きて行くことが、できるはずのないことも分かっている。どこかで妥協はしなければいけないのだけれど、その線引きがなかなか難しい。
 いくら高い理想を掲げても、現実には労力不足、経験不足、能力不足と、ないないずくしで、なかなか思うような収穫を得られてはいないというのが、正直なところだ。そして農業は、自然の大いなる力には逆らえない。この余市では、半世紀に一度の大型台風の後に、記録的な豪雪が2年続き、3年間も大きな気象災害が重なった。台風や大雪は、永年作物である果樹や、耐用年数を過ぎたブドウ棚やハウスなどの施設に、甚大なダメージをもたらした。今年の1月に倒壊した大型ブドウハウスでは、北海道では珍しいブドウを60種類以上も栽培し、これは収入の柱ともなっていた。この潰れたハウスを解体するだけでも、気の遠くなるような作業で、この春にはとても間に合わず、一部を撤去するだけで済ませて、何とか一緒に潰れたブドウ棚だけは直そうと作業を続けているが、まだまだ先が見えず春の作業は遅れに遅れている。ハウスの下に残っているブドウは露地での栽培が難しいものばかりで、これを復活させるためにはハウスを再建しなければならないが、新たに建て直すには500万円以上もかかることが分かり、到底採算が合うものではなく断念した。高級ハウスブドウの詰合せは、「えこふぁーむ」のメイン産物だったが、今年は露地なので収穫できるものがあるかどうかも分からないし、少なくとも今までのように完熟させることは困難だろう。
 もともと、ハウス栽培というのは、景観も損ねるし、石油製品にたよらねばならないので、望んで始めたわけではなかった。しかし、前の所有者が苦労して作った施設だったし、せっかくあるものは最大限有効に使おうと考え、結果的にこれがメインになってしまったところがある。予想を超えた大雪とはいえ、充分な対策をしていればこのハウスの倒壊は防げたのであり、厳しい状況を招いてしまった原因は私自身にある。しかし、これも神の思し召しであると受け入れて、新たな収入の方策を考えなければならない。
 一方で、入植して数年間は収入の柱であったワインブドウは、有機栽培が困難で消費者への直接販売もできないので妥協して低農薬でやっていたため、手をかけるのが一番後回しになり、おかげで現在ではほとんど枯れてしまった。大雪で倒れた垣根を片付ける手間もなく、針金がそのままになっているので草刈りもできず、荒れ放題になっている。さらに、2年目から何十本も植えたサクランボは、すでに大木となり、毎年見事に満開の花を着けているが、ここ数年は病気が蔓延して全く収穫できない状態だ。プラムやプルーンも虫に食われて、人の口には入らない。
 現在の余市において、ワインブドウは機械化による規模拡大と農薬の多投によって、最も安定した収入を得られる果樹になっている。またサクランボは、雨除け施設を導入し、収穫およびパック詰めに人手をかけさえすれば、(もちろん農薬もたっぷりかければ)、単位面積あたりで最も高い収入を得られる果樹になっている。いずれにしても、これらの作物を収入の柱にするためには、私の理想に反した栽培方法を採らざるを得ない。
 今まで、米以外のありとあらゆる作物に挑戦し、うまく行くものもそうでないものもあったが、できが良くとも悪くとも、この通信の読者を中心に、理解ある消費者にそれらの農産物を買っていただくことで何とか生計を立ててきた。しかし、収入の柱になるべき作物が次々に困難な状況に陥り、このままでは、農業で食べて行くことができないい事態になりかねない。それなのに、さらにリスクを背負う新たな夢を追い続けている。妻はあきれて、この夢については全く協力しないと断言している。
 私は昨年、農民芸術学校建設のために、今しかないチャンスだと思って、隣接地を後継者のいない農家から譲り受けた。公社に一端買い上げてもらったので、支払いは4年後である。この学校の構想については、共感してくれる人が少なくはない。だが、学校に協力しようという人が訪ねて来ては去って行くということを繰り返していて、農地は私一人の手では全く管理しきれず、学校の方も一向に先に進む気配がない。
 愚痴が多いと心配してのことだが、生産物の品質のことや、深夜の除雪アルバイトのこと、養鶏を収入の糧にしようということ、ハウスを建て直そうという考えについてなど、様々なおしかりを受けた。そして、一番もっともだと思ったのは、農民芸術学校構想に対する批判であり、その部分について、そのまま引用させていただく。

 「〜(前略)〜 自分はいきなり自給生活は不可能だから、自給的の農民芸術学校を作りたい。その準備のため、誰か夢を共有しようという人よ、ただで協力してくれというのは、自立と共生とは異なる、呪縛と強制になりかねません。いくら夢を共有しようとする人が現れるのを神に祈って待っていても無駄でしょう、この計画はみ旨ではないようです。
 それより如何でしょうか。自給的生き方を目指していながら、実際に自給生活に踏み切れない人はたくさん居ます。これらの人が集まって始めから互いに創意や力を出しながら自給的コミュニティを構築して行くやり方は。
 昨年8月に開催された農民芸術学校セミナー、これではないでしょうか。牧野さんに相応しい農民芸術学校の歩み出しは。私から見ると牧野さんはもう第一歩を踏み出しているのです。1泊2日のセミナーでも夏だったらテント村で出来るでしょうし、そのうち最も簡単で皆が参加して作れるログのキットの組み立てから始まり色々できるでしょう。参加費で必要経費も賄って行けるでしょう。自給自足は創る喜びで一杯なのです。
 〜(中略)〜 農民芸術学校設立の構想を、箱物作り、資金集めという誰でもやるような他力依存型から、参加者すべての創意、力を結集する自力自立型に切り替えることです。」

 生徒とスタッフが生活を共にする学校を創るという夢を、あきらめたわけではない。しかし、それを今の自分に実現する能力はない。もちろん、農民芸術学校が軌道に乗れば、スタッフの給料はきちんと払えるだろう。最終的には、個人の私塾のようなものではなく法人化し、私もスタッフの一人という形になるのが望ましいと考えている。けれども、そのような学校がどうしたら実現できるか。一向にプロセスが見えて来なかった。協力してくれるスタッフ候補が固まった時点で、広く浅く資金を募り、出資者が運営に直接関わってもらう形でスタートするつもりでいたが、そんな協力者は現れそうにないし、今のままでは、そんなに簡単にお金が集まるとも思えない。そして、学校ができたとしても、最初から必要経費を賄うだけの生徒が集まる見込みも、あるわけではない。
 農業経営が順調で、人を雇えばどんどん収入が増えるような状況だったら、黙っていても人が集まって来るだろう。アルバイト先を求めている新規就農希望者は、いくらでもいる。でも、元より儲かりもしないがリスクだけは大きい有機農業をやっていて、自分の労賃だって出ないような状況なのだ。自給が実現できれば、お金はなくても暮らして行ける。しかし、自給が実現できるまでは、お金を稼がなくてはならない。理想と現実の折り合いを付けることが出来ずに、信念だけは曲げずにやっていたら、自給も出来ず、儲かりもしない、こんな中途半端な農業になってしまった。畑も持て余していて、土地は充分あるのに、荒れたままになっていて、活用する道が見えて来ない。
 農業を止めることなく、ここから脱皮するためには、どうしたらよいのだろう。この農場を、自給を求める人たちに、もっと利用していただくしかないのではないか。学校は、そこに参加する人たちによって、いつか自然にできるのを待とう。まずは、無料市民農園みたいなものとして利用していただくことはできないだろうか。条件は、有機栽培であることだけ。できる限りのアドバイスもしますし、面積は必要なだけ提供します。トラクターでの耕耘や、堆肥の投入も手伝います。お返しに、少しこちらの果樹の手入れなども手伝っていただくという交換条件で、いかがでしょうか。アメリカには、小規模な有機農業を維持するためにCSA(Consumer Suported Agriculture)という方式があるが、日本の有機農業で行われていた提携運動よりさらに一歩進んだ形の、皆さんの農場という意識で、この農場を用いていただくことができないだろうか。
 もう堆肥や肥料をまいて畑を起こし、色々な種や苗を植え付ける時期を迎えている。今頃こんな提案をしても間に合わないかもしれないが、自給栽培に関わってみたいという方は、至急ご連絡いただければ幸いです。また、昨年に引き続いての農民芸術学校セミナー第2弾も、夏にテントを張ってやりたいと思っている。皆様からも、ご意見やご提案を、ぜひともお寄せください。

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