サクランボがいたましい!

  「痛ましい」というのは北海道弁で、「もったいない」とか「惜しい」という意味。北海道弁で「なげる」と言えば「捨てる」こと、「こわい」と言えば「疲れた」ということ、「気持ち悪い」と言えば、「不安だ」とか「心配だ」というような意味になり、標準語とかなりニュアンスが違い、これらの言葉を初めて聞く内地(道外)の人はとまどう。ところが、これらを方言と気付いていない道産子が多く、大抵の道産子は自分が標準語を話しているつもりでいるので、困ってしまう。
 さて、先月号でお知らせしたサクランボであるが、やはり3年続きの全滅状態だった。「薬をかけない。屋根をかけない。手間をかけない。」の3かけない栽培では、当然と言えばそれまでだが、成り始めてから5〜6年間は無農薬でも大丈夫だったのである。しかし、一旦病原菌がついてしまうと、これを根絶するのは極めて難しい。一般の(慣行栽培の)農家では、花が咲いてからサクランボが成るまでの短い期間に4〜5回は農薬をかけている。それでも病気が付くのだから、この病気(灰星病と幼果菌核病、共にモニリア菌による)は、やっかいである。私自身、来年からどうするか、まだ迷っている。
 うちには今まで、入植して2年目に植えたサクランボの樹が40本くらいあった。そして畑を増やした今年は、これが一気に100本近くになった。もし1本の樹に実がびっしり着くと数万個は成るから、大木なら1本だけでも一人ではもぎきれないくらいに成る。さらに収穫以上に大変なのが、選果とパック詰めである。サクランボの軸が見えないように、同じ方向にきれいにパック詰めするのはとても大変な作業だが、これをするのとしないのでは値段が倍以上は違う。サクランボが高価なのは、これらに人件費がかかるからである。うちのサクランボが、もしびっしりと成り、これを全部収穫しようとしたら、最低でも20人くらいの出面(北海道弁で農家アルバイトのこと)を、雇わなくてはならないだろう。
 しかし幸い?なことに、うちでは一人も雇わずにやっているので、成らなくても困らないし、成ったら成ったで、お金になるのが分かっていても、もぎ切れないので、もっと痛ましいことになっただろう。サクランボが成らないのも、確かに痛ましいことではあるが、他で収入が得られれば、私自身は別に痛くはないのである。
 ところがどっこい、今年ワインブドウは全く手入れしていないので多分収穫皆無、リンゴや洋梨も例年の数パーセントしか成っていないのである! ああ何たることであろうか。リンゴと洋梨は、昨年の台風直撃の影響で秋のうちに花芽が動いてしまい、肝心の春に全く花の咲かない樹もたくさんあった。さらには、記録的な大雪で下枝がボキボキ折れてしまっていたし、昨年までは問題なかった花の時期にモニリア病という病気がつき、多くの花が腐れ落ちてしまった。結局、台風で大きな被害のあった昨年、風に落とされず残った数より、もっと少ない実にしか、袋掛けすることができなかったのである。
 果樹では唯一、生食用ブドウが、無農薬でも今のところまあまあのできである。今年は生食用ブドウの畑も一気に2倍近くなったので、こちらの方に期待をかけるしかない。というよりも、生食用ブドウの管理に今まで以上に手間がかかったので、もしサクランボやリンゴが成っていたら、と思うとぞっとする。もとより、4町歩(1万2千坪)もの広さの果樹園を一人で管理しようなどというのが、どだい無理な話なのである。
 もちろん、畑を拡げたのには訳がある。何としても、農民芸術学校を完成させて、生徒達の手でこの広い農場をきちんと管理できるようにしなくてはならないのである。今は荒れ放題になっているワインブドウ畑も、いずれは復活させたいと願っている。

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