反日運動と憲法第九条

 韓国、中国における反日デモは、なぜ起きたのか。それは9.11が何故起きたのかということと共通する。アメリカは、その根本原因を追求せず、ただその行為のみを非難して、アフガニスタン、イラクへの侵略戦争につき進んだ。もっとも、戦争することは最初から決まっており、そのための口実は何でもよかったという方が真実だろう。9.11は、そのための最高の出来事だったというわけである。日本も、最近はしきりに北朝鮮や中国の脅威をあおる風潮があり、憲法第9条や教育基本法を改正(=改悪)しようという動きと合わせて、非常に危険な徴候を感じる昨今である。
 中国が、反日暴動の取締りをせずに、暴徒化をある程度黙認したことは確かだ。暴動の中心が、若者や出稼ぎ労働者などであることを見ても、彼らの不満のはけ口を外国に向けさせたということはあるだろう。もちろん、罪のない日本料理店などへの破壊行為には、抗議してしかるべきだが、中国当局を非難しても、何一つ解決には向かわない。根本原因が日本にあることは、言うまでもないからだ。変わるべきは、中国ではなく、日本なのだ。イエスも言っている。「自分の目に梁があるのに、他人の目にちりがあると言って、ちりを取らせてくださいなどと言えるのだろうか!」と。
 「どこまで謝れば気がすむのか。もうそんなに過去にこだわる必要ない。」という論があるが、本当にそうであれば、なぜ首相が靖国神社に参拝し、自民党の国会議員の何人もが「新しい歴史教科書を作る会」などという、かつての戦争を美化するような戦前の国家主義そのものの侵略史観に塗り固められた復古主義に賛同し、韓国が日本による侵略の原点であると理解している竹島(独島)に対して領有権を主張するのか。反省していないと言われても当然のことをしているのだ。
 今回の中国における反日運動で思い出すのは、部落解放同盟がずっと行ってきた「糾弾」である。差別する側は、差別していることに気付いていない。だから、「糾弾」は必要だった。しかし、その方法によって、差別する側は、「差別」の心を反省するのではなく、単に「糾弾」を避けるため、表面的な差別行為だけを止める。だから「糾弾」は、余り本質的な解決にはならない。今回の「反日運動」も、日本の歴史認識を変えさせることには余り役立たず、かえって右翼的な論客の中国批判を激化させてしまっている。私には、そのことが残念でならない。
 中国は、台湾の独立を阻止しようと圧力を強めているし、チベット・ウイグルなどの民族に対しても抑圧を止めていない。しかし、日本における沖縄の基地の現状、アイヌ民族のおかれた状況などを見れば、中国の民族自治は、日本よりはるかに恵まれていると言えるだろう。日本はもっと誇りを持つべきだという民族主義者がいるが、私は誇り高き人間は大嫌いで、劣等感の裏返しのような差別的な誇りなら、ない方がよほどましである。中国も韓国も、自国の歴史に誇りを持っている。日本も、そうあるべきだと主張したいのだろうが、私にはとてもそう思えない。なぜなら日本の場合、常に権力を持った側からの歴史であったからだ。初めて民主化された敗戦後も、反動勢力が息を吹き返し、政治の中枢に居座り続け、民衆による国家というものを阻止し続けてきた。昭和天皇は、数千万のアジア民衆を殺し、自身の決断が遅かったために広島・長崎のような惨劇を招きながら、ついぞ戦争について謝罪することなどなかったし、日本国民はそのようなものを日本国の象徴として抱き続けてきた。日本という国は、一度も民衆の側からの革命というものを経験していない世界でもまれな国である。明治維新など、天皇をかつぎ上げての薩長によるクーデターに過ぎなかった。中国は、2度の大きな革命を経て、現在の国家があるのだし、韓国は、抗日運動という民衆運動を経て、現在の国家がある。日本には、そのような歴史がなく、常に上からの変革であったし、現在の民主化は、アメリカから与えられたものだった。私は、日本における真の民主化は、天皇制の完全なる廃止、それにおいてしか成し得ないと考えているし、そのためには憲法第1条から第8条までは全面的に書き換えなければならないことは当然であると思う。しかし、今は憲法を守る時だ。
 日本が誇れることと言ったら、この憲法をおいて他にあるだろうか。世界の平和主義者たちにとって、この憲法はあこがれの的である。どのような宗教においても、この憲法の理念は最高のものと見なすことができるだろう。イエスの「敵を愛せよ」という教えは、この憲法第9条に見事に結実している。私は、このような理想を高く掲げた憲法を持った日本国であれば誇りに思うことができるし、この憲法は第二次世界大戦で流された多くの血によって生まれたかけがえのないものであると信ずる。アメリカが、日本を支配下におくために、このような憲法を押し付けたという説に、多少なりの真実があったとしても、それは幸運なことであったと喜びはしても、アメリカを恨む気持ちには毛頭なれないのである。
 これからの日本がとるべき最善の道は、憲法第9条の平和主義を大きく打ち出すことしかない。国会議員の多くが憲法第9条を改正しようとしているが、第9条の改正は、戦争へ大きく踏み出す確実な一歩である。憲法第9条が実態にそぐわないなどという声があるが、実態こそ変えなければならないのである。具体的には、武力削減(究極は自衛隊を災害救助隊に再編しての武力廃止)、靖国神社へのA級戦犯の合祀取り消し(究極は侵略戦争を招いた靖国神社という国家主義の思想的支柱を取り壊し、非宗教的な平和的慰霊施設に作り変えること)である。憲法第9条を死守しよう!  


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