平和を作り出すということ

 世界では、今なお戦争や飢餓により多くの人々の生命が奪われている。日本では、そのような戦争や飢餓の心配はほとんどない代わりに、交通事故、自殺、通り魔殺人のような悲しい事件がどんどん増えている。また、都会で増えているホームレスには、飢餓といえる栄養失調による路上死や結核などによる病死も少なくはない。なぜ、もっと多くの人がそのような危険にさらされることなく、平和に健康に生きられる社会が出来ないのだろうか。
 かつては社会主義や共産主義が、資本主義を超克する理想の社会として語られた。しかし、多くの社会主義国家が自ら崩壊してしまった今、グローバル資本主義社会への参入を拒否して追い詰められている数少ない共産主義国家やイスラム原理主義国家が、経済封鎖を受ける中で独裁軍事化をますます進めて飢餓にあえいでいる。彼らにとって資本主義は、あこがれであるよりは、憎しみの対象であるだろう。資本主義による暴虐がなければ、彼らはもっと平和に暮らせているはずなのである。
 北朝鮮を悪の帝国のように描く情報操作が、マスコミなどによってなされているが、余りに一方的な報道ばかりで、北朝鮮側の主張をまともに取り上げるメディアはほとんどない。たった20年ばかり前までは、韓国には個人崇拝こそなかったが、軍事独裁という意味では北朝鮮以上であり、多くの弾圧が行われ、軍が国民に銃を向けた光州(クヮンジュ)では数千人が虐殺されたりした。また、敗戦前の日本における天皇制は、現在の北朝鮮の姿以上に個人を抑圧する全体主義そのものであったことを、多くの日本人は完全に忘れている。また、その天皇制が、象徴制という形ながら、国民統制システムとしての根幹をそのまま残存している問題に、ほとんどの日本人が気付いていない。
 韓国では、日本よりはかなり勢力のあるキリスト教が、幸運なことに日本とは違って反体制の主体となり命がけの闘争を行ったことにより、民主化が実現した。日本では、平和のために闘うとは、どのようなことを意味するのか。それが、イラクに自衛隊を派遣するような、アメリカ主体の世界秩序に軍事的に貢献することなどでないことは明白である。
 では、日本における平和の実現とは、天皇制に対する闘いであるなどと言ったら、どう思われるであろうか。とんでもないことを言う奴だと危険視されるならまだしも、天皇制なんて、現実には何の意味もないと、まず誰にも相手にされないのである。しかし私は、日本において平和を実現する第一歩は、天皇制の廃止に他ならないと、固く信じているのである。天皇制は、いざという時に牙をむく、危険な国家主義の道具であることを認識すべきである。

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