宮澤賢治と宗教
 私は宮澤賢治の宗教観に、かなり危険なものを感じている。彼は若い時に、熱心な門徒(浄土真宗)であった父の下で妙法蓮華経(法華経)に触れ、深い感銘を受ける。その後、一時はキリスト教会に出入りしたりもするが、最終的には父親の反対をよそに、法華経をより重視する日蓮宗系の、それも田中智学の国柱会という、当時の日本の対外侵略政策を思想的に支えた国粋主義的な宗教の熱心な信者となった。しかし、彼の作品から読み取れる宗教観は、全く国粋主義的ではない。それでもなお、全体主義(トータリズム)的な感じはぬぐえない。例えば、彼の『農民芸術概論綱要』に、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という有名なフレーズがある。これが、「世界がぜんたい幸福にならなければ」となっていたら、全体主義そのもので個人は否定されてしまうわけであるが、少なくとも賢治にとって個人は、全体(彼にとっては皇国日本ではなく4次元銀河宇宙)を構成する細胞に過ぎないという意識が濃厚である。これは、『銀河鉄道の夜』を読んでも感じられることで、キリスト教の自己犠牲にも似ているが、仏教的な輪廻転生の世界も感じさせる。
 彼はまた、あらゆる宗教と科学、芸術は統合されるべきと考えていた。その点から言えば、賢治の宗教観は、日蓮系の国柱会の思想よりも、神秘主義的な新宗教(ブラヴァッキー夫人の神智学、シュタイナーの人智学、最近では麻原のオウム真理教など)に、より近いものがあるように感じられる。綱要の続きの「新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある」というフレーズは、1980年代にブームとなったガイア理論の先取りにも思えるが、当時もそのような思想が流行し、矮小化されて民族主義的な全体主義につながって行った危うさも持っている。
 私は、このようなどちらかと言えば神秘主義的な彼の宗教観には、少し抵抗がある。私が宗教に求めるものは、もっと社会的に開かれたものだ。科学的と標榜する宗教(オウム真理教は科学に合致した宗教こそ真理であると説く)ほど、非科学的なものはない。宗教とは、基本的には言葉によるコミュニケーションであって、理論的な言葉(ロゴス)で説明できない超自然現象を説明するためにあるものではない。そのような言わばオカルトは、宗教の本質ではなく、迷信というべきものだろう。
 もちろん賢治は、そんなオカルト宗教にのめりこんだわけではないが、それにしても、彼がすばらしい理想を抱きながら、実際には社会を変革する力を全く持ち得なかった(というのは言い過ぎか、しかし同じ文学者のトルストイが、生前よりインド解放のガンジーや日本の白樺派など世界中に与えたインパクトに比べて、彼の影響は本当に一握りの身近な人だけにしかなかった)のは、彼の信仰に問題があったからではないかと、私は考える。私にとって信仰とは、変革の原動力である。私がキリスト教に惹かれたのは、その教えが、現実の罪を受け入れた上で価値の逆転を計る、ということであり、それは現実を変革する大きな力となることを、知ったからである。罪を否定するやり方(バプテスマのヨハネ、あるいは密教の修行僧のように)は、多くの人にとって頭では理解できても受け入れることが困難であり、例えそれが可能であっても現実の逃避にしかならず、現実を変革する力とはなり難い。そういう意味では、仏教の中では親鸞の説いた浄土真宗が、最もキリスト教に近いと言えるのではないか。
 とにかく、賢治の純粋無垢さは、貴重であると同時に、彼最大の欠点であることは間違いない。悪く言えば、世間知らずのお人好しの坊ちゃんが、百姓相手に難しい講義をしたり西欧音楽をやらせたりして、なかなかうまく行かず、結局は無理をしすぎて早死にしてしまったというわけだから、彼を余りに神格化するのはどうだろうか。
 また、彼が国柱会に入会した理由は、よく父親への反抗からだと言われているけれども、私には父親というよりも、西欧に対するコンプレックスが最大の原因ではないかと思われる。彼は、キリスト教や、クラシック音楽など、西欧からの文化に強く惹かれながらも、それをストレートには受容できなかった。しかし、伝統的な日本の文化には、ほとんど興味が持てなかったようだ。例えば、彼の作曲した「星めぐりの歌」という曲などは、基本的には西欧音楽のスタイルだが、転調の仕方など何か少し変で、日本民謡に近い音律を使いながら、しかし決して日本的ではない無国籍な民謡風の音楽である。彼の童話にしても、描かれているイーハトーヴという土地は岩手のはずなのに、日本的な匂いはこれっぽちもなく、どこか西欧の国のようにさえ感じられる。また彼は、無国籍を目指してエスペラント語を学ぶわけだが、結局エスペラント語は西欧語そのものである。一方で、彼の入信した国柱会という宗教は、西欧には直接何の関連もないのだが、仏教としては異例な外向きの宗教(創価学会もそうだが)で、ある意味ではキリスト教の悪しき布教活動(帝国主義の地ならしとなった事実)に非常によく似た面があると思う。このように、彼は西欧に惹かれながらもそれを否定しようとして、かえってその西欧を嫌味なほど引きずってしまったとは言えないだろうか。
 彼と同時代、民衆(賢治の言葉では農民または地人)の中に芸術を発見した人物として、民芸運動を興した柳宗悦がいる。彼も一時キリスト教神秘主義に凝って研究するが、最終的には浄土真宗の教えに行き着く。そして、名もなき民衆の中に真の美を見出し、特に当時蔑みをもって見られていた朝鮮や沖縄の優れた文化を掘り起こし、当時の差別思想に抵抗した稀有な人物であった。それに比べると賢治は、真の芸術は農民の中から生まれるべきという理想を述べてはいるけれど、かなり空想的なところがあって、現実から遊離している面は否めない。私も、どちらかと言えば柳宗悦よりは宮澤賢治に近いスタイルかもしれないが、本質的に過去よりは未来を好むロマンティストなのだ。
 今回、敢えて意識的に宮澤賢治のネガティヴな面を掘り起こそうとしてみたが、それでも彼の理想とした世界、農民芸術が隆盛する理想世界の輝きは、少しも色褪せることはないだろう。彼の理想を現実のものとするためにこそ、彼の足りなかった面を知り、克服する必要がある、というのが私の言いたかったことである。

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