戦争の準備が進められている!

 連休明けの国会において、メディア規制3法案が成立に向けて審議される。また、戦後初めての本格的な有事法制(=戦争立法)となる有事関連3法案も上程される。これらは日本国憲法第21条の「表現の自由」、そして第9条の「戦争の放棄」を踏みにじる、天下の悪法である。戦前の大日本帝国憲法の下、1925年に制定された治安維持法は、権力に反対する団体を規制し、個人の思想・信条までも取締り、国は対外侵略政策を八紘一宇の名の下に強めて行った。そして、1938年制定の国家総動員法によって、全ての国民および企業、そして宗教団体に至るまでが、戦争に全面協力することを強制され、1940年からは日中戦争、そして1941年12月8日の真珠湾攻撃という奇襲により太平洋戦争・第2次世界大戦へと突入して行った。これは、1920年代後半の世界不況・失業者の増大という問題が、侵略という糸口による解決策を求め、最後には戦争という悪夢により終結を迎えたものであるが、そのために着々と戦争立法が準備されていたのだから、戦争を防ぐためにはまず、それらの立法を阻止すべきだった。
 膨大な赤字を抱え財政危機に陥っている現在の日本が、不況と失業者の増大を止められない状況で、国家統制を強め戦争に備えるような法律を次々と成立させつつあることは、全く危険な事態と言わねばならない。国会は、法律を作る論議をするところである。議員秘書給料流用の問題などに、多くの時間を費やしている場合ではない。すでに1999年に、盗聴法(通信傍受法)という憲法第21条に明記された「通信の秘密」に抵触する悪法が成立し、同じ年に日米新ガイドラインに基く周辺事態法という、有事において日本の自衛隊が米軍に協力し、米軍が民間の空港や港湾を自由に使えるというとんでもない法律が成立している。そして昨年成立した改正住民基本台帳法も、国民の個人情報を11桁の数字で国家が一括管理できる国民総背番号制を決めたものであり、戦時に対応できる国家統制のための強力な武器が次々にでき上がりつつある。また昨年は9月11日のアメリカ中枢多発テロのどさくさで、防衛秘密法制があっという間に成立し、今まで決してあり得なかった米軍の後方支援という名の自衛隊の海外派兵まで行われてしまった。もう憲法第9条はあってないようなものになりつつある。
 さて、メディア規制3法案とはあくまで通称でメディア自身の命名であり、実際は人権擁護法、個人情報保護法、青少年有害社会環境対策基本法という、誠にありがたい名前のついた法律である。しかし、これらは世界の民主主義国家のどこにもないような言論の自由を奪う悪法である。人権や個人情報は、何よりも権力から守られるべきものである。ところが今回の法案は、人権を盾に自由な取材や報道を規制し、権力の座にある者をメディアから守ろうという、民間規制法案なのである。有事法案にいたっては、武力攻撃が予測される(何とあいまいな!)だけで、国民の権利を制限し、戦争協力を強制できるという、とんでもない法律であり、断固許すことは出来ない。
 日本国憲法は完全ではない。国民主権と言いながら天皇を国民の象徴(君主でないとも書いていない)としている矛盾、外国人・先住民(アイヌ)等マイノリティーの権利や環境保護に対する問題意識のなさ、自治権のあいまいさ、国民投票などの直接民主主義的手段のないこと等々、改正の余地は色々ある。そして、メディア規制法案で今回初めて気付いたことは、表現の自由は保証されているが、国民の知る権利というものがどこにも書かれてないことである。これは、国民が主権を持ち(これは憲法前文で一応保証されている)、国家権力をコントロールするためにはちょっと物足りない。しかしながら、第9条の戦争(もちろん自衛のための戦争も戦争!)と軍備(軍備があるから戦争がある。軍備のないパレスチナのやっているのは戦争ではなく抵抗!)の放棄については、世界中で日本以外にコスタリカくらいにしかない、すばらしい文面である。この一点だけで、憲法を守る価値は十分にある。しかし、コスタリカは本当に軍備を持たずにすばらしい成果を上げているが、日本は世界第3位の軍事費を誇っているのはどうしたことか。全く日本という国はおかしい。
 自民党政府は、過去に憲法を次々と有名無実化して来て、憲法改正(特に第九条)を党の方針としているほどである。彼らはよく、憲法はアメリカ占領軍の押し付けという建前を口にするが、憲法を破って再軍備したのもアメリカの意向に沿ってのことである。戦後すぐの1950年、朝鮮戦争が勃発した年に警察予備隊として後の自衛隊が成立した。また、1952年には破壊活動防止法(破防法)が成立する。これは、憲法第21条の「集会・結社の自由」に抵触し、権力に反対する左翼団体や宗教団体に乱用される恐れが十分にある。治安維持法にも匹敵する悪法で、なかなか権力も行使できずにいたが、オウム真理教の地下鉄サリン事件で初めてこれを大々的に適用しようとした。この時に破防法適用に最も反対したのは、左翼団体ではなくキリスト教団体である。かつて治安維持法によって日本のキリスト教会は、天皇を神とする国家神道を認め、天皇のための戦争を推進する間違った方向に走った、そういう苦い経験があるからこそ敏感なのだ。
 キリスト教は、イエスという男の生き方によって生まれた宗教であり、彼の最も革命的だったところは、ユダヤ教の律法主義からの解放を堂々と主張したことである。つまり、戒律とか法律に従がって生きることが神の前に正しいとされていたことを、それによって抑圧されている人間の立場に立ち、法律よりも人間の方が上であると宣言したことである。当たり前のことのようではあるが、神中心の宗教国家にとっては本当に革命的・急進的なことであった。安息日に畑に入って飢えをしのぐ事を、安息日にしてはならない労働だなどと言う律法主義者に対して、彼は挑戦状をたたきつけ、神に反逆する者として殺されたのである。  このイエスの原点に立ち返れば、キリスト教はオウム真理教と同じく、国家に逆らい法律に逆らう危険な宗教となるのである。残念ながら戦前日本のキリスト教にその強さはなかった。でも、江戸時代キリシタンの時代にはそれがあった。天草・島原の乱は代表的なものだが、北海道でも多くのキリシタンが迫害を受け殉教した歴史がある。
 もちろん、そのような悲劇の歴史は繰り返したくない。毒ガスのサリンをまくようなことは無差別殺人以外の何物でもないから、もちろん取締る必要のあることであるが、国家や法律に従おうとしない団体や個人を、単にそれだけで取締るようなことは決してあってはならないだろう。破防法は、絶対に廃止させなければならない法律である。
 メディア規制法案、有事法案を廃案に、そして破防法を廃止に追い込もう! そして、天皇のために死んだ国民だけを(A級戦犯や、本当は日本人でないはずの朝鮮人をも強引に)神としてたてまつる靖国神社の参拝に固執する小泉が首相の座に就く政権にNoを! ただし次の首相を、一番近い男と言われる石原慎太郎にするのだけは、絶対に避けなければならない。人の言うことなど聞かずに、言いたい事だけはっきり言うのは小泉にそっくりだが、独善的な言動の過激さは小泉首相の比ではない。彼ほど傲慢で偏見に満ちた男が首相になろうものなら、すぐにも戦争ということになるかもしれない。東京都民は、一体何を考えてあんな男を知事にしたのか!? あのように短気でイヤミな男に人気があるということは私には全く理解できないが、イスラエルでも、首相を公選制にしたためにシャロンのようなタカ派が選ばれてパレスチナと泥沼の応酬となってしまったし、フランスでも極右のルペンが大統領選でシラクと決戦投票になったようだし、国家の長を人気投票で決めるのはどうかと思う。日本でも首相を国民投票にしたら、石原慎太郎のような男に人気が集るのかと思うとぞっとする。この点での憲法改正にも私は反対する。

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