生命・霊性・神 〜 宗教としてのエコロジー

     グリーンピースという団体がある。様々な環境保護活動を行なっている世界的団体だが、捕鯨反対運動とか動物実験反対運動などでは、過激とも思える実力行使に出ることで有名である。彼らの考え方はおそらく、「動物にも、人間と全く同様の生きる権利があり、その権利を守るために行動を起こすことが、自分たちの任務である。」というものだと思う。彼らが、ベジタリアンであるかどうかについて、私は不勉強のためよく知らないが、「日本みどりの党」を名乗っている、かつてアイヌモシリ解放などを訴え世界革命ゲバリストを自認して活躍(暗躍)していた太田竜などのグループは、現在アイヌ民族からは見放されて、環境保護運動や玄米正食などの自然食運動に力を入れている。
 彼らの思想は、ディープ・エコロジーと呼ばれるものだ。彼らは、生命中心主義を掲げ、人間中心主義に反対する。また、反階級闘争を人間社会にとどめず、生命圏平等主義をとるため、動物解放運動にも力を入れるのである。もはや、生命の相互関係を研究する『エコロジー=生態学』という学問からは完全に離れ、立派なイデオロギーである。
 このような思想潮流が、現代地球の生態学的危機から生まれて来たことは確かである。人類の活動が生態系に及ぼす影響は、余りにも大きくなってしまったし、科学万能主義やヒューマニズムで、環境問題は解決できなくなっている。だが、生命中心主義により生態系が守られたとしても、そのために人間が疎外されるようならば、その思想は間違っている。生態系の尊重と人間性の尊重が、共に満たされなければ、意味はない。
 生命中心主義のような考え方は、従来なかったものなのかというと、そうでもない。仏教では、「一切衆生悉有仏性」というように、すべての生命の霊性を重んじ、日本でもかつては四足歩行の動物に対する不殺生戒があった。インドのジャイナ教徒などは、現在も徹底して蚊も殺さぬ戒律を守り続けている。一方、世界中の狩猟採取民族は、おしなべてすべての生命に神性(God ではなくSpirit=霊)を認めるアニミズムを信仰しているが、殺生そのものを否定はしない。しかし、彼らにとっての殺生は、あくまでも生態系を乱さない範囲においてのみ許される行為であり、動物を殺すことは、その動物を神と見なして霊を送る、きわめて厳粛な宗教的行為でもある。旧約聖書にある生けにえも、元は同じような宗教儀礼だったと考えられる。
 このような生命平等主義に反し、人間中心主義によって現代の生態的危機を招いた元凶は、ユダヤ・キリスト教的な思考によるものだという有力な説がある。特に旧約聖書の創世記の解釈が、人類に動物を支配し自然を改変する権利を認め、そのことが環境破壊を伴った近代科学技術の発展を推し進めたとみるのである。確かに、自然と人間をはっきり区別して考えない汎神論(パンセイズム)的な仏教の世界や、ましてやアニミズムの世界から、現代の科学文明が生まれて来たのではない。しかし、ユダヤ教、そしてキリスト教の聖典である旧約聖書、新約聖書の思想は、神中心ではあっても決して人間中心主義ではない。旧約聖書の中のコヘレトの言葉(伝道の書)や、ヨブ記40章、詩篇第104篇などにおいては、人間とその他の生命の霊性には全く違いのないことが、明らかに主張されている。そして、霊性こそは侵すべからざる神の属性なのである。聖書に記された神は、超越性を備えた唯一の存在であると同時に、すべての被造物に内在する普遍的な存在でもあるのだ。決してイエス=キリストだけが神の子なのではない。すべての人間、いや、すべての生命が神の子なのである。聖書を正確に読むならば、創世記第1章の天地創造の物語を、「神に造られた人類は、自然や他の被造物に対して連帯し、管理することを信託されたスチュワード(信託者)である。」と理解すべきであろう。また、新約聖書最大の著者であるパウロはローマ人への手紙第8章において、人類の罪により苦しむことになった被造物が、神の栄光を現わすために解放されるように待望している。同様の思想は、イザヤ書第11章や、黙示録第21章にも見られる。私は、創世記第1章の中に、実はすでに現在の生態学的危機の根源が示されていると理解すべきだと考える。神と同じ知識を得ようとして楽園を追放され、農耕を強いられたことがすべての始まりである。そこに、すでに生態学的な危機の始まりがあったのだ。聖書は、それこそが人間の原罪であるとしている。
 聖書の中にエコロジカルな思想を読み取ることは、十分に可能であるだけでなく、現代において聖書の神というものは、そのように理解することが求められている。そうして生まれたエコロジー神学は、解放の神学などと共に新しい神学として育ちつつある。西欧近代文明の発展に寄与した人間中心主義というものは、決してユダヤ的なものではなく、ギリシャ的な思考に由来していると考えたほうが正しいであろう。確かに、過去のキリスト教の伝統の中に、エコロジカルな視点は大きく欠けていた。唯一例外と言ってもいいのが、13世紀のアッシジのフランシスコである。他にも、シュバイツァーとか、田中正造とか、同じ流れに入るクリスチャンはいるが、決して主流にはならなかった。
 彼は、清貧をモットーとし、動物や植物をこよなく愛し、小鳥に説教したという説話は有名である。彼は、権力や富を得て大きくなっていたローマ・カトリックの中では異色の存在であり、決して武器をとらず、誓わないという主義をも貫いた。現代のキリスト教で異端とされている、エホバの証人(ものみの塔)にも似通っている考え方である。彼のようなラジカルな思想家が、よく破門されなかったものだと思う。しかし、彼の考え方は、教会においては特殊であったが、聖書においては何ら特殊ではない。旧約聖書の特に預言書や詩篇に顕著な思想、そして新約聖書のうちマルコやルカによる福音書に示されたイエスの思想は、権力や富を嫌い、貧しき者、虐げられた者こそが、神の国に入れると説くものである。マタイやパウロは、それを心の問題に矮小化し、権力を容認してしまった。
 1970年代に『スモール・イズ・ビューティフル〜人間復興の経済学』というエコロジストのバイブルにもなっている本を著わしたシューマッハーは、西欧近代思想が巨大信仰と物質中心主義を生みだしたことを批判して、仏教的な経済学を提言し、仏教の中道の教えにならい、「中間技術」という最小限の消費で最大限の幸福を得ることを理想としたオルターナティブなテクノロジーを提唱した。私には、フランシスコやマルコの奉じたイエスの生き方は、シューマッハーの言っている意味ではきわめて仏教的なものだと思う。
 エコフィロソフィーを提唱する間瀬啓允氏は、「現在のエコロジカルな問題は、深く宗教的な問題である。宗教的真理は、つねに自然を愛する生命の道、いのちの道に生きることを教えている。この<私>は自然によって<生かされ生きている>からである。」と述べる(『エコロジーと宗教』岩波書店)。仏教かキリスト教かという問いよりも、テクノロジーかエコロジーかという問いの方に意味がある。間瀬氏の哲学は、(1)自然を支配するという考えを捨てて、自然との共生という考えに転じること。(2)自然における生命の位置を見定めて、全体に生命中心のエコシステム的な考えに転じること。(3)質を重んじる生活、金では買えない非物質的な価値を尊重する生活に転じること。以上3つの点に要約される。その実践のためには、超越的な神への信仰を、現実の生命や自然と切り離した、観念的なものにしてはならないだろう。かといって、原日本的なアニミズムやパンセイズムのような感性的な自然観だけでは全く不十分であり、エコロジカルな知性的な自然把握がなければ、環境の破壊には対応できないと間瀬氏は強調する。
 そこで、エコロジー神学の掲げる汎在神論(パンエンセイズム)=「超越にして内在なる神」の考え方が、最も望まれるのである。キリスト教のサクラメント(秘蹟)の中で、プロテスタントでも認めているのは洗礼(水による浄めを用いた、聖霊による新たな生まれ変わりの儀式)と聖餐(パンとぶどう酒を食すことによる、キリストの肉と血を自らのものとする儀式)の2つであるが、これらはエコロジー神学によれば、もはや単に象徴的な儀礼ではない。水こそは、まさしく生命の源となり地球を浄化している物質であり、水によって人間は真に清められているのである。そして、パンとぶどう酒も、単にキリストの肉体を想起させるためのものではない。農民が大地を耕して育てた小麦とぶどうは、太陽の恵みと土の中の無数の微生物の力を借り、深い地中より水と養分を吸い上げ生長し、やはり最後は農民の手により収穫される。そしてさらに人の手が加えられ、そこに酵母という極めて小さな生命体による発酵というプロセスを経て初めて、パンとぶどう酒ができる。これらの食物は、神の造られた多種多様の生命の働きと、人間の労働と、そしてエコロジカルな物質の循環の結晶である。それが、再び人間の血となり肉となるのであり、キリストの甦りとは、そのようにして永遠に生命が続いていくこと、そのものなのである。
 キリスト教の三大祝日、イエス=キリストの降誕日、復活日、聖霊降臨日として祝われるクリスマス、イースター、ペンテコステも、もともとは冬至の祭り、過ぎ越しの祭り、刈り入れの祭りという、すべてユダヤ農民の暦に基づく祭りだった。そのような自然の営みを、従来のキリスト教は余りにも切り捨てて来た。これからの社会に必要なエコロジカルな宗教とは、大地に根差した生命に宿る霊性を、我々自身の霊性と共感させることにより、宇宙自然を創造しコントロールしている絶対者である神を自覚する、というようなものになるべきではないだろうか。


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