このサイトについて

 室蘭本線、苫小牧-岩見沢間のほぼ中間にある追分駅。今でも室蘭本線と石勝線の交差する駅として2面4線のホームを持ち、特急も一日に何本か停車しますが、かつては広いヤードを持ち多数の機関車が配置された機関区をもっていました。今では機関区がどこにあったのか見てもはっきりとはしなくなっていますが、確かにそれは存在し長い歴史も持ち、そして日本最後の蒸気機関車機関区となったのでした。
 このサイトは夕張に在住し夕張線と追分機関区を中心とした辺りをホームグラウンドにしていた管理人が写真を撮り始めた頃の蒸気機関車時代末期、あまり上手とはいえない写真ですが、ネガの劣化が進んできたため何とかそれを残してゆきたいと思い、ぎりぎり見せられそうな写真を選んで展示して、蒸機が生活の中に当たり前にあった最後の時代を少しでも感じられたらと開設しました。
 なお「ギースルエジェクター」の表記に関して、他では「ギーゼル・エゼクタ」等の表記も見られますが、外国語の日本語表記は1つに統一されている訳ではなく、ここでは私が一番最初に接して自分にとって一番馴染み深い「ギースル・エジェクター」とさせていただいています。

追分機関区の沿革

  • 1892年8月1日- 北海道炭礦鉄道追分機関庫として設置される。
  • 1892年11月1日-北海道炭礦鉄道夕張線(追分-夕張間)開業
  • 1906年10月1日- 国有化。
  • 1918年-追分機関庫火事により全焼
  • 1936年- 札幌鉄道局追分機関区に改称。
  • 1975年12月24日-夕張線蒸気機関車最終運行(D51 241)
  • 1976年3月2日-蒸気機関車による追分駅構内入替え終了。日本国内最終営業用蒸気機関車の引退。
  • 1976年4月13日-扇型庫火災により焼失。
  • 1976年-追分鉄道資料館開館。D51320保存
  • 1977年-新扇型庫完成
  • 1981年10月1日石勝線開業
  • 1987年4月1日 - 日本国有鉄道分割民営化により北海道旅客鉄道に承継。
  • 19xx年 - 追分運転区に改称。
  • 19xx年 - 追分運転所に改称。
  • 19xx年 - 岩見沢運転所追分派出所となる。
  • 1992年7月 - 追分駅に編入。
  • 2005年3月 - 運転士が岩見沢運転所に編入。123年に渡って続いた運転拠点としての使命に幕を閉じた。

(参考・Wikipedia、安平町HP他)

管理人自己紹介

1975年9月27日苫小牧駅構内にて、若かりし頃の管理人
ハンドルネーム・2号アパート(夕張在住時代2号アパートに住んでいたため。)
道央圏在住
職業・薬剤師