1976年2月22日
1975年12月24日夕張線で日本最後の本線蒸機列車が走った後も追分機関区では3両の9600型が現役として残り最後の入換業務を黙々とこなし、日本の蒸機のラストシーンを演じていました。そんな彼らを撮影しに訪れたのは間もなく終焉を迎えようとする2月22日の事でした。 |
最終日の運用もこなした79602。はるばる九州からやって来た門デフ、変形キャブの異色機が蒸機時代の黄昏を飾ったのでした。 |
この日走っていたもう一両は49648。こちらは一転していかにも北海道のカマと言う感じです。最後の3両の中では唯一静態保存されています(中頓別町)。後ろには舞台を下りた中間達が体を休めていました。 |
最後の3両の中で最後の日に走ったもう一両の39679はこの日は予備でお休み。ゴシック体で形式入りプレートをフロントに付けたこれも異色機でした。 |
末期は短期間にころころと顔ぶれが変わった追分の9600達。そんな中の1両がこの79642です。私は彼が走っているのを見たことがありません。 |
いかにも倶知安のカマと言った感じの79616も最後は追分の舞台に立ちました。倶知安を離れて追分に来る前に旭川機関区に居たらしいのですが、その時にヘッドライトが通常のタイプにされてしまったようです。日高町で保存されています。 |
機関区事務所前で休む49648です。ランボードに白線が入っていた痕跡と、相反する「団結号」の痕跡が対照的です。 |
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機関区の外れには舞台を降りた蒸機たちが体を休めていました。このおかげで彼らは焼失を免れました。左から2台目は独特のテンダーから厚木で保存されたD511119であると分かります。 |
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