北炭真谷地鉱専用線

 沼ノ沢駅から出ていた真谷地専用線。かつては旅客輸送をしていたり、ボールドウィンの8100型やE型の4110などで知られていましたが、私が撮影し始めた頃には夕鉄のDL導入に伴い余剰になった9400型22・24号が活躍していました。機関車は2両とも真谷地方向を向いていて、沼ノ沢行きは逆向き牽引、真谷地へ向かう空車のセキ車列車は正面向きの牽引となっていて、これは8100の時代からの伝統だった。
 昭和50年には廃線となった夕鉄からDD1002が入線して無煙化されたが、22号は廃車となったものの24号は予備として残された。しかし私の知る範囲でDL入線後24号は走る事無く昭和52年廃車になりました。
 専用線自体は夕張市内に最後に残った真谷地炭鉱が操業を終了し閉山となった昭和62年まで走り続け真谷地炭鉱と運命を共にしました。

 

 北炭真谷地炭鉱専用線の機関区で憩う22号機と24号機です。この2両は基本的に1ヶ月交代で走っていましたが、現場で聞いたところによると22はあまり調子が良くなく24が主に使われていたようです。事実真谷地は何度か訪問していますが(そのほとんどが自転車によるものでした)、22に火が入っているのを見たのはこの時だけでした。この日も運用を終えた22から24に交代するところでした。いつまでも見て居たい様なほのぼのとした午後のひとときです。

上の写真の前、入れ替え中の22号機です。このカマはパイプ煙突が特徴でしたが、九州等で見られた国鉄の9600のパイプ煙突より長いのが印象的でした。

22号機と交代で仕業に付く24号機です。秋の射光に蒸気が映えて綺麗です。

その後入換作業が始まりました。

沼ノ沢まで一往復して戻ってきた24号機です。まだ22号機は車庫内には入っていませんでした。

別の日に撮影した入換作業から、それを終えて車庫に戻った24号機です。1枚目の写真の奥にあるのが真谷地鉱の縦鉱と詰め所で、すぐ横に石炭の積み込み設備がありました。また右に見えるコンクリートの建物が真谷地炭鉱の事務所です。専用線の事務所も入っていました。

 3枚目の車庫内には22号機が見えます。また24後号機キャブには夕鉄の社紋を外した後がはっきり分かります。


多分続きます。