本線蒸機最期の11日間

1975年12月14日〜24日

 1975年12月14日、室蘭本線に最期の蒸機牽引旅客列車が走りました。通常の営業運転は前日までに終わり、この日室蘭本線に走った蒸機列車はこの225レだけでした。そして次の日からの10日間日本全国探しても蒸気機関車が走っているのは夕張線だけになってしまったのです。学校のテスト期間中になってしまったため十分に記録する事が出来ませんでしたが、その最後の日々をお目にかけたいと思います。

一枚目は蒸機でなく申し訳ありません、12月14日さよなら列車を待つ間にやって来た貨物列車です。すでに他の列車は全てDL化されていたのをお見せするために出しました。

そしてC57135牽引の「SLさよなら列車」です。各駅での混乱のため30分ほど遅れて上空にヘリコプターを引き連れてやってきました。そのため追分から乗ろうと思っていた帰りの夕張線列車に乗り遅れて、これから夕張に向かうと言うファンの車に同乗させてもらい帰りました。定期試験前日特別に行かせてもらったのですが、帰りが遅くなり両親に怒られました。


同乗させてもらったファン氏と一緒に撮ったD511086牽引の貨物列車です。川端ー滝ノ上


同じく14日の撮影です。多分南清水沢-沼ノ沢だと思います。このカマはあまり馴染みのない番号です。


日は改まっています。定期試験終了後に撮影したものですが、記録がなく撮影日が明らかでありません。清水沢駅ですが、今は465が走っている線路しか残っていませんし、ホームも屋根がなくなり短くなっています。


上の写真の465号機が切り離され入れ替えに向かうシーンです。今はなき跨線橋の上から撮りました。


3枚上の397号機と同じ場所の241号機です。


お馴染みの場所の465号機牽引昼過ぎの石炭貨物です。


清水沢炭鉱引込み線で炭鉱から清水沢駅に戻ってくるD51です。大夕張鉄道の外側を回りこむように敷かれていました。今も探すとその面影は残っています。

 ここから運命の日12月24日になります。この日は学校の2学期終業式の日でした。SL夕張応援号の有名撮影地となった場所で撮影した最期から2番目の列車です。最終検査機関車603号機が清水沢で貨車を外し単機でやって来ました。


ここからはD51241号機牽引の蒸機最終列車です。最終停車駅となった清水沢で撮りました。


上の入れ替え中を後追いで撮ったものです。


見送りに来ていた子供を乗せて記念撮影です。今なら怒号が飛び交うかもしれません。


 最期の発車を待つ241号機です。夕張線のヌシだったギースルD51、御存知のように苗穂工場で誕生以来、その一生を追分機関区のみで過ごしたカマでした。綺麗に磨かれてランボードに白線が入り、煙室ハンドルをピカピカの603号機のものを移植した晴れ姿です。長い時をこのカマと共に歩んできた追分機関区の職員の気持ちが伝わってくる姿でした。ヘッドマークはありませんでしたが、逆にその方がこのお別れにはふさわしい感じがしました。

 ついに最期の汽笛が鳴り清水沢駅を発車しました。次に停まる時はその役目を終えるときです。ファンばかりでなく、多くの市民に見送られてD51241は日本の鉄道開通以来走り続けてきた全ての蒸機を代表してそのトリを勤めたのでした。

 クリスマスイブの良く晴れ上がったとても寒い夜でした。全ての列車もバスも終っていて空にまたたく星を見ながら歩いて家に帰りました。生涯忘れ得ぬ夜です。