桜姫東文章−昼の部−
第一幕は、物語の発端。寺の青年僧清玄と、稚児の白菊丸の駆け落ち心中の場面から始まります。
花道から手に手を取って若い二人が、道ならぬ恋に身を焼いて、ついには死を決意して足早にやって参ります。しっかりと寄り添い、「女に生まれ変わり、来世では必ず清玄様の妻に」と言い残し、崖から身を投げる白菊丸。
この白菊丸は玉三郎二役なのですが、実に凛々しい。心中に躊躇しがちな清玄の手をぐいぐい引き崖を登るわけです。「本当に死んでもいいのかい」とかうだうだ言ってる清玄を尻目に、さっと飛び込む潔さ。
どことなく品が良くて軟弱な清玄は、白菊丸が飛び込んだ水しぶきに恐れおののき、死に損なってしまったわけです。色男、金と根性なかりけり。
清玄役は市川段治郎。梨園の御曹司ではなく、一般家庭から歌舞伎界に入った俳優さんです。市川猿之助さんの部屋子ですが、師匠は段四郎さん。屋号は澤瀉屋(おもだかや)。つまり、猿之助一門。ここは一般家庭から歌舞伎に入った俳優さんが多いのが特色でしょうか。他でも一般からの俳優さんは大勢いますが、主役級の俳優が多いという点では、やはり澤瀉屋が一番って感じ。
ちなみに、坂東玉三郎も一般から歌舞伎界に入ったひと。もっとも、玉三郎さんは梨園の家に養子に入っているから、段治郎さんとはちょっと違うかな。
幕開きで、満開の桜に包まれた朱塗りの境内と、その中央に座する桜姫を観たときは「うわ〜っ」と、思わず声を上げてしまいました。
本当に、絵巻物のような美しさ、絢爛豪華さ。赤姫姿の板東玉三郎は、まさに動く人形。からくり人形じゃないの。だって瞬きするし、喋るんだもーーん。
全てが優雅でしなやか。これは一生に一度は肉眼で見ておきたい絵巻物です。ワタシの中で、またひとつ人間国宝指定が増えました。タッキーよりは説得力ある?
世の中にはまだまだ美しいものがあるんですね。
吉田家の息女、桜姫は17歳。美しい御姫様が寺に詣でて、高名な住職に出家を願い出るところから始まります。実は桜姫、生まれつき片方の手が開かず、それが原因で縁談にも恵まれず不遇が続いており、出家して前世の業を払おうとの考え。
そしてその住職こそ、17年前、白菊丸と許されない恋に溺れ心中し損なった清玄。彼はその後、死んだ気になり修行に励み、白菊丸の霊を弔いながら立派な住職になっておりました。姫を哀れんだ清玄が祈祷をすると、不思議なことに姫の手が開き、そこから香箱の蓋が。底に清玄と書かれた蓋は、かつて白菊と蓋と身とに分け持った形見の品。白菊丸はその蓋を懐に抱き、海へ身を投げたのだった。
以前より面影が似ていると感じていた清玄は、姫こそが白菊丸の生まれかわりと悟り、愕然とするのだった。
スゴイでしょ〜。ブッ飛びな物語だと思いません?だって、少年を愛した修行僧が心中し損なって、17年経ってからよく似た少女を生まれかわりと信じて恋い慕うんだよ。全く修行が身になってないじゃん、この住職。
17年間の修行をバッサリ捨てられるくらい、白菊丸を愛してたってことだよね。
しかし、清玄の想いも知らない桜姫、出家の決心は固く・・・・のはずが、こちらもブッ飛びギャルなのでした。
実は桜姫は、1年前に屋敷に忍び込んだ賊に強姦され、密かに子供を産んでいたのです。しかも、姫はその時の賊が忘れられず、チラリと見えた腕の入れ墨と同じ入れ墨を自分の腕にも彫っているのであります。もう、立派にヤンキー。
そのヤンキー桜姫が、ふとしたことで賊に再会。暗闇のため顔を見ていないけれど、入れ墨で判るという、とんでもない発想。しかも桜姫はそれだけで賊にゾッコンLOVE。顔より身体がポイントの桜姫なのでした。
これから出家という身の上にもかかわらず、侍女たちを下がらせ、賊を部屋に招き入れ、色っぽく艶っぽく誘惑しまくるヤンキーお姫は17歳!!!
賊の名は釣鐘権太。冗談みたいな名前が歌舞伎の作品にはごろごろあって珍しくもない。で、この権太を演じるのが清玄と同じ段治郎。白塗りだった清玄とはガラリと変わり、ナチュラルベージュなちょいとヤサ男。
余裕たっぷりな桜姫にあの手この手で誘われ、最後には帯をほどかれ、あられもないお姿に。綺麗だけど妙に生々しい濡れ場シーンは途中で御簾が降りてきてオシマイ。
どうやらこの時代は理性よりまず欲望の優先順位が高かったのでしょうね。禁欲なんて言葉、もしかしたら無かったのかも。
その後、部屋での密通が露見し、私利私欲をたくらむ輩の陰謀もあり、桜姫の相手が清玄ということで話しは進む。もちろん無実の清玄ですが、姫が白菊丸の生まれかわりだと信じて疑わない清玄は、敢えて間男の罪を受けて寺を追われ、姫と二人で百叩きの刑を受け河原にさらされます。
そこで、産み落とした我が子と再会(預かり親が金にならなくなったことを知り、返しに来ただけなんだけどね)。清玄は赤ん坊ともども桜姫と一緒になろうと説得するが、そこに邪魔がはいり、それぞれがバラバラに。
愛しい白菊丸を胸に秘め、修行を続ける高名な僧侶が、心機一転、執拗なストーカーに大変身です。桜姫は権太に首ったけなので、罪を背負ってくれたことには感謝すれど、正直いって清玄の気持ちはウザいの。腕にタトゥーの17歳、世界は自分中心に回っているのは、今も昔も変わらない。
一方の清玄も心中し損なったのは17歳の頃。その時から時は止まっているのか、桜姫に引けを取らない自己中ぶり。姫の気持ちなんて完全無視だもん、ある意味似た者同士よね。
夜の河原で、雨に打たれながらも「桜姫や〜〜い」と探す清玄、キモさ全開。
この情けないことのこの上ない清玄。なかなか良かったと思います。立派な僧侶でも、一歩道を踏み外せばこうも情けなくなる。ネチこくてしつこい。若いギャルが遠慮したくなるタイプそのものだけに、困った顔してやんわりと拒む桜姫にも納得できる。
香箱の文字を見たときの清玄はぞくぞくしましたしね。沈着冷静だった清玄が、胸に秘めていた想いが一気に吹き出る様が滲み出てました。心中するほど相思相愛だった相手なのに、生まれかわった相手の気持ちは以前と違う。でも、失ったものを今度こそ取り戻そうとする執念が、清玄を情けない男に変え、破滅させてゆくわけです。
でも、清玄はそれで満足だったんでしょう。きっと、始めからそうすべきだったという後悔の念に苦しみながら17年生きてきたのだな〜と、段治郎の清玄を見て思いました。
権太は昼の部ではあまり見せ場は無く(濡れ場ならあるんですが)、どうこう言えるほどの展開はありませんでした。
その他の出演者で印象に残ったのは、長浦の笑三郎、残月の歌六。
設け役ってことを差し引いても、とてもしっくりと自然に見られました。笑三郎は、何年か後に「先代萩」の八汐なんかも見てみたい気がします。歌六も、生臭坊主のおかしさ、哀れさが芝居の邪魔にならずほどよく出てナイス。
あとはねぇ〜〜〜、侍女の笑子が綺麗だったかな、って程度かな。
七月大歌舞伎は、正直いって「坂東玉三郎リサイタル」みたいなもんだしね。そんな中、段治郎はよく頑張っていたよね、ってな感じ。
で、昼の部には桜姫のほかに「修善寺物語」と「三社祭」という短編も上演されたのですが、修善寺・・・・は途中の記憶が無い・・・・。こちらも笑三郎が頑張ってた。
三社祭はゴメンナサイ。見ないで帰りました。バレエに間に合わせるために。
というわけで、昼夜の通し演目にもかかわらず、昼の部だけの観劇で終わりました。夜の部では権太がメインになるので、そちらの段治郎も見たかったな。玉三郎の桜姫はもはや円熟期の域なので、注目は段治郎なんだよねー。猿之助の跡を継いで一門のスターになれるかどうか。段治郎は良いと思うのよ。まだまだ修練の余地はあれども、清玄をあそこまで堂々とやれたら(それも玉様相手に)合格点だと思う。でもね〜、他の役者さんの印象が無さ過ぎ。釘付けになるほどの美形でもないしね。
蛇足ながら、物語のその後。
いろいろと邪魔は入るものの、桜姫は権太と再会し一緒になります。姫の実家吉田家は悪いヤツの陰謀で、将軍家より拝領された巻物を奪われ、それがもとでお取り潰しに。全てを失った桜姫は権太の勧めで夜のお勤め。お姫様言葉なのに腕にはタトゥのアンバランスさに人気は鰻登り。しかし、客をとってる最中、枕元に幽霊が出るという評判が立ち、お客もドーンと減少。幽霊の正体は清玄で、ストーカーとなった清玄は桜姫を見つけ、執拗に迫るが拒まれ、ならば共に死のうと短刀をふりかざし揉み合うさなか絶命。
その清玄が幽霊となり、桜姫に赤子の行方を告げて去る。めでたく我が子と再会した姫は、ふとしたことから権太の過去を知る。権太は屋敷に忍び込んだとき、桜姫の父を殺し巻物を盗んだ張本人。そしてその後、巻物を奪回すべく旅だった弟も殺害したと知る。
酔った権太にカマをかけ、行状を洗いざらい聞き出し、「父と弟の敵」と権太を殺しめでたく仇をとり、巻物を奪い返し、吉田家を再興してめでたし、めでたし。
怖い物知らずの17歳、ヤンキー桜姫。世界はやっぱり自分中心に回っていたのでした。
夜の部は、執拗にストーカーする清玄も観たかったなぁ。
歌舞伎チャンネルで放映してくれるかな。カメラは入っていたのか気になるところ。
それにしても、玉三郎さんが窮地の澤瀉屋のために一肌脱いで芯で大歌舞伎を取り仕切るなんてねぇ〜〜、時代は流れているんだねぇ〜としみじみ。
3月以来の歌舞伎座でしたが、幕間になると必ず何か飲み物や食べ物を買ってしまうのは何故でしょう。決してお腹が空いてるわけじゃないのに、人形焼きをみると食べたくなる。食事も、入場したら予約カウンター直行だし。
今回は中日過ぎだったので、舞台写真を販売してました。どの写真も素晴らしく綺麗でしたが、値段が高い・・・高すぎっっ。1枚500円なんだよ。ジャニーズの1枚150円がとっても良心的に思えてくるほどです。
そんな高価な写真を、ババ抜きできそうなくらい購入されているご婦人がいっぱい。まだまだ日本にバブルは息づいてますね。締めるところは締めるけれど、ここぞという時には際限なくお金をかける風潮を、歌舞伎座とジャニショ(ジャニーズ・ショップの略)でヒシヒシと感じました。