ロンドン 3日目

 

3日目にして出発日。ホテルに午後1時5分までに戻ること、という午前中フリーの1日であります。1時5分。この5分という半端はナンなんでしょう?この5分を甘くみて遅刻する参加者を生む、という方向には考えない方針のようです。まぁ、海外旅行というものは時間をお金で買っているような部分があるので、旅費を滞在時間で割ったらまさに「時は金なり」。ギリギリまで楽しんで頂くための「5分」なのかもしれません。嗚呼、ワタシってばなんてプラス志向なんざましょ。こうなると、世の中自分中心に回してますね。

この日のスタートは、「マダム・タッソー蝋人形館」。

テレビや情報誌で一度は聞いたことのある観光スポットですが、あまり実感というのはありません。あー、そういえば世界のどこかに、千代の富士の蝋人形があるところがあったっけ、そんな程度の認識です。そこに、時は金なりの法則に従い、わざわざ日本から予約を入れて参りました。ガイドブックによれば相当な混みようで、30分〜40分の待ち時間は当たり前と脅してる。そんな脅しにすぐにビビッてしまうアタシは、短い滞在時間に「待ち時間」なんていう予定は入れられない。しかも、田舎者だけに、「待つ」という行為自体に慣れていない。10分待ちというだけで、そりゃもうアッサリと諦めてしまう潔さを、田舎の人間は持っているのです。

といった理由で、朝イチで予約を入れ、クーポンを手に開場20分も前に到着しました。しましたら誰も居なかった・・・・。ほどなくして、外国人らしき外国人(?)がチラホラと4人くらい集まりまして、総勢5人で開館を迎えたのでございまいす。雨は降っていなかったけれど、なんとなく雨が降りそうな空模様のためか、開館時間よりちょっぴり早く中に入れてくれるところにも、時間にキッチリしているイギリス気質がチラホラ。これがイタリアやスペインなら、開館時間に職員がやってくるので時間より早く開けるなんてーことは不可能なのだ。

ガラガラのため(笑)、どこに行けば蝋人形の館に入れるのか判らない。誰かの後に付いて行きたくても、肝心の「誰か」が居ないのである。ホールで右往左往していると、やっと「誰か」がやって来てエレベーターに乗ったので、それを観察して同じように乗り、ひとつしかないボタンを押し、ドアが開くとそこが蝋人形の館の入り口になってました。「オマエも蝋人形になるのだ!」と叫ぶデーモン閣下がいるはずもなく、いきなりお姿を現したのはモーガン・フリーマンと見覚えのある女優さん(名前が判らない)。もう、どこから見ても生身の人間にしか見えない!セイラム劇場にいた子供達はどう見てもお人形にしか見えなかったが、お人形のはずのこっちは人間にしか見えないのだ。ややこしい喩えだけれど、理解して頂けるだろうか?

ちょっと離れたところにはイーサン・ホークとキアヌ・リーブスが仲良く並んで気取っている。ここで既に1本糸が切れてしまったワタシは、やっと見つけた日本人の母娘連れに頼み、モーガン・フリーマン&女優さんとツーショットでの写真をお願いした。取り終えてから、二人の前に立った自分を反省した。ただでさえハリウッドスターと比べて顔の大きさや等身がパタリロサイズのアタシ、出来上がった写真がどんなに悲惨なものになるか、想像には難くないはず。今度は後ろに立とうと心に決め、次なる部屋へと向かう。その途中でスポーツコーナーのようなものがあり、日本で人気沸騰のベッカム様を発見。いや、正直いってベッカム様を判別出来るほどサッカーを見ていないワタシ。判らないけど、たぶんベッカムであろう。ここは話題のために1枚抑えておかねば!と、「写真撮って貰えますか?」と、唯一覚えた英会話を使いまくり写真撮影に成功。

そしてハリウッドの部屋へ。ここはスゴイです。ワタシは全員と写真を撮りたかったですね。ここは一人で来てはダメだ!と、7日間で唯一そう思いました。誰かに頼むといっても、ガラガラなので「誰か」が居ない。居ても同じ人ばかりに頼むハメになり、申し訳なくなってくるわけですね。そのため、厳選して撮らざるを得ないわけなのです。トム・クルーズ&ベネロ(以前はニコールだったのだろうか)、アンソニー・ホプキンス&シュワちゃん、プラピ。写真を撮ったのはこのお三方ですが、他にもジョージ・ルーカス、ニコラス・ケイジなんかが本物のごとくいらっしゃってました。客のいないハリウッド部屋に足を踏み入れた瞬間、ワタシは踊りましたね。ウサギのように飛び跳ねました。そのくらい感激&ミーハーになれます。ジェームス・ディーンなど、往年の名優さんたちも、もちろんいました。俳優にとどまらず、司会者やコメディアンもいたようです。

次はイギリスの歴史&政治の部屋。ここにはロイヤル・ファミリーを中心に、歴史上の有名人がいます。教科書で見たエリザベス1世やコロンブス、エジソン、ガンジー・・・とにかく、いっぱい居ます。入り口にはルイ16世一家も何故かいました。ロイヤル・ファミリーだけは囲いがしてあり、一緒に写真を撮るには専属の方にお金を払って撮って貰わなければいけないらしく、写真は挫折。サッチャー首相時代の国連理事国首相達や、アドルフ・ヒトラーとフセインなんかも居ました。もちろん、現アメリカ大統領ブッシュさんとロシアの大統領も、演説台を挟み並んでました。

そんな中、ポツンと佇んでいたのがダイアナ元妃。テレビでよく見た、ちょっと目線をずらした、はにかんだような表情をして、たった一人で立ってました。間近で見ると、あまりにも精巧に出来ている、ということを思わせないくらいの生身の人間っぽさ。それと同時に、等身大の彼女を見て、こんなに細い身体で、ずいぶん大変な想いを背負って来たんだなぁ・・・という気持ちが、想像から実感に変わり、涙が出そうになりました。せめて結婚相手が、ウチの皇太子殿下のような人であれば、もっと違う人生を送れたであろうに。小さな肩で重圧をたった一人で背負ったダイアナ妃の冥福を祈りながら、一緒に写真を撮らせて頂きました。

次はお化け屋敷ならぬ、拷問の歴史。暗く、石ばかりの回廊に、過去の犯罪者が囚われていた牢獄や監禁の様子を再現している風景が続きます。そりゃもう怖いのなんの。ここで「ワーッ」とお化けが出て来たら、間違いなく泣きながら全力疾走ですね。ギロチンもありまして、そのギロチンの門をくぐって先へ進んだりするわけですが、「あの刃は切れない」と理性では納得していても、周りが全然納得出来ないほどのリアルさ。ニセモノの刃が上がった瞬間、走り抜けたら、同じタイミングで来た中近東から来ていた2人連れの女性も同じことを。お互いに顔を見合わせ微笑むも、和やかなのはその一瞬。ギロチンの先も、怖い世界はまだまだ続く。さっさと通り抜けたいけど一人で通り抜ける勇気ナシ。さっきの2人連れをそれとなく待ち、怖いゾーンを抜ける作戦に出る、が、2人はなかなか進もうとしない。勘弁しろよー。

マリー・アントワネット、ルイ16世、ロベス・ピエールの生首を横目で見ながら、違った意味のウサギ跳ねをする、実にカワイソウなワタシであった。ほどなくして、やっと明るい雰囲気になり、ロンドンタクシーのような乗り物に乗せられる。ノン・ストップで走るタクシーなので、乗り込むときはタイミングが大事。つまり、駆け込み乗車ってわけだな。

タクシーに乗り、イギリスの歴史の旅。大航海時代、産業革命があり、第一次大戦があり・・・・ってなふうに、通り抜けます。このツアーの中にも、エリザベス女王陛下がいました。もちろん、本人にしか見えない出来映え。

終点に着くと、そこで旅も終わり、蝋人形の館も出口に近づきます。あとは土産物スペースを通り、外へ。想像していたより広く、内容も濃かったです。どうやら、人形も時事に応じて変化があるようなので、何年かしたらまた行くのも良いかもしれません。とにかく、有名人がテンコ盛りなので写真を撮りたくなること請け合い。是非、誰かと一緒に行くのをお勧めします。ワタシが行った時は、開館直後だったためか、とても空いていて自由に見られたし、写真も好きなように撮れました。

外に出ると雨が降っていたこともあり、ホテルに戻る時間的制約もあり、タクシーにて大英博物館へ。さすが大英帝国、入館料は特に定めず、「寄付」という形にしている。太っ腹。ワタシは帰りのタクシー代の小銭を考慮し、余った小銭を投じて中へ。広い、デカいぞっ!!大きさはルーブルほどではないにしろ、判りにくさはルーブルに匹敵するくらいだ。滞在時間は2時間。とりあえず人の流れに従い、階段を上がる。目的はふたつ。ロゼッタ・ストーンとシンジャー。悲しいくらいガイドブックに洗脳されている自分が多少情けないが、時間がないのだ。この言い訳は葵の紋所のように効果がある。「ええい、構わぬ。斬り捨てー」という悪代官も、ロンドンには居ない。

見るというより、迷子になってる、と言ったほうが正しい状態のワタシ。なんとなく、同じ場所を回っている気がするが、展示物が似たような物なので判らない。そうこうしていると、偶然、お目当てのジンジャーに遭遇。おおっ、これかー!長い道のりだった。そっか、これがジンジャーかぁ。以上。

ワタシは次なるターゲットの、ロゼッタストーンに出会うべく、再び大英博物館内を彷徨うことになった。エジプトからかっぱらって、いや、盗んできた、いやこれも適当じゃない。エジプトから騙し取った遺跡の数々。確か、ルーブルにもこういうのが無数にあるよなぁ。だいたい、大英博物館の中に、本当に英国内で見つかったものが何割くらいなのか。ほとんどがアフリカや中近東から騙し取った物のような気がするのは、いつまで歩いてもロゼッタストーンに会えないイライラが成せる業であろう。

歩き疲れた頃、「この先は韓国から騙し取った物が飾ってあります」みたいなことが書かれた看板に突き当たる。確実にロゼッタ・ストーンはあるまい。ワタシは視点を変えることを余儀なくされた。上ばかり歩いたが、もしや下にあるのかも。下に行こう!と思えど下に行く階段が見あたらない。あっても、アメリカのインディアン文化とやらに迷い込みそうな、イヤ〜な予感がして入れない。なんとかして、振り出しのホールに戻りたい。が、どうあがいても辿り着けない。まさしく迷路状態。最後の手段は、エレベーターを使う。とりあえず、これで下に降りるのだ。を3回ほどやり、ようやくホールに帰還。

ホールでガイドマップを貰おうにも、普通なら書いてあるはずの「お目当てはココにあります」みたいな記述がない。ええい、不親切なガイドマップだ。仕方がないので、見本に出されていた売り物のパンフをめくり、ロゼッタストーンのある部屋の番号をチェック。4って書いてあるじゃん。4って何処?えーっ、1階なの??つまりは、このフロアなわけ?

いきなり2階から見て回ったアタシが、そもそも辿り着けるハズが無かったのである。

気が付くと時間も押し迫っていたため、大急ぎで4へとダッシュ。ほどなく行くとありました、人だかりになっているスポットが。ルーブルのモナリザのごとく、日本人に囲まれているロゼッタ・ストーン。そこで朗々と説明しているのは、きっと現地ガイドさんであろう。「この石によって、エジプトの象形文字が解読されたのです」。それを知らないでロゼッタ・ストーンを見に来る人がいるの?と思ったことは胸の中にしまっておくとして、ロゼッタ・ストーンはタダの石じゃありませんでした。古代の息吹ではなく、解読に尽力したであろう、たくさんの学者や博士の魂が乗り移っているようで、しばらく見入ってました。

あまり時間がないので、ミュージアム・ショップに寄りロゼッタ・ストーンの文鎮を購入してホテルへ。もう少し高価なロゼッタ・ストーンのレプリカが欲しかったけれど、スーツケースをこれ以上重くするわけにはいかず断念。成田を出発する時点で21kgで、既に20kgの規程オーバー。JALは甘いけど、出国する時も甘いとは限らない、なんせ帰国時はエールフランスが搭乗手続きを代行するわけだし。

帰りもタクシーを利用し、遂にロンドンの地下鉄には一度も乗らずじまい。キングス・クロスという、地下鉄には絶好の立地にホテルがあるにも関わらず、雨には弱いワタシなのであった。

15時25分発のユーロスターでパリ北駅に向かう。国際列車には、もちろん初めての乗車。ドーバー海峡を海底トンネルで通るらしい。でも夜に向かって走るため、どこで海底に入ったのか、どこで出たのか、全く判りません。車内は日本の特急列車みたいな感じで、車両の半分が進行方向、もう半分が逆になっていて、座席は固定式。座席を回して・・・という感覚はないみたいです。日本の列車って優秀かも。でも、座席そのものは広めで、わりと過ごしやすかったかな。

夕食用に配られた幕の内弁当は、駅に着く前に配られたため2時間くらい持ち歩くことになり、入れてある袋がどう頑張っても平らにはならず、車内で開けたら、ほとんどのお弁当のオカズが違うものになってました。漬け物味フルーツ、サラダのきんぴら和え、ってな具合。すっかり冷たくなったお弁当を少し食べ、そっとフタをして荷台の上に置き去りにしたのはワタシです。

ロンドンは食べ物がマズイってウワサ、本当みたいです(笑)。

パリ北駅では、ロンドンと違い治安が少々悪く、足早に構内を集団脱出。バス2台に分かれてパリ、ギリギリ市内のホテルに向かう。地下鉄1号線の終点が最寄りの駅。それも徒歩10分と書かれているけど、ワタシは断言しよう。たとえ走っても10分では行けない。そして、駅からホテルへも行けない。パリでは、駅から徒歩3分以内のホテルが条件ですね。旧市街なら徒歩10分でもいいけど、ワタシが泊まったデファンスは振興都市地区なので、パリ市内にあってはならない高層ビルが立ち並び、駅からホテルは全く見えず、方向感覚が無くなります。つまり、歩道が無い!あるところにはあるのだろうが。高速道路の中に駅があるような感じで、徒歩でどうやってそこに行くの?って不安になるのだ。

ま、デファンス駅がどれくらい不便だったかは、パリ編でたっぷりと愚痴ることにして、パリ到着の夜は、この旅行で唯一の夜ゆっくりしている日。近代的(といっても日本よりゃ落ちます)なホテルで、ロンドンのように使える電圧をセーブされてることもなく、持参したドライヤーも使えるし、MDも使用可能。ロンドンではドライヤーを使った途端、電圧が落ちてあらゆる持ち込み電気機器が使えなくなったのだ。実にケチなホテルであった。

パリでは珍しく明るい電気が付いていて、広い部屋も含めてまずまず。さっそくスーツケースから必要なものを取り出し、テーブルに並べる。もちろん、帰る朝まで出しっ放し。その中に、中居正広の写真立てもある。掃除に来る人はこの写真を見てどう思うだろう。当然SMAPは知らないだろうから、きっと恋人の写真だと思ってくれるに違いない。嗚呼、なんて素敵な誤解。

そんなバカなことを考えながら、ワタシは深い眠りについた。


 この後、ロンドンからパリ市内に入り、パリ観光へと続くわけですが、力尽きたのか旅行記はここで挫折してしまいました。

 パリ編は翌年の「パリ旅行記」のほうを読んで戴くということで。エヘヘ>笑って済ますんかい