今年の初日で上演500回を迎える、もう立派なロングラン作品となった「Endless SHOCK」ですが、帝劇での観劇は今回で2回目で、前回は一昨年の3月だったと記憶しています。その他はDVDで観たくらいですか。
 正直なところ、一昨年のSHOCKを観たときは、光一君の何でも出来るスーパーマンぶりに驚嘆して終わった感想しかなかったんです。ダンスだけじゃなく、スペクタクルな場面も多くて、赤い布だけを手に宙を飛ぶ姿は、単なる力業ではなくまさに芸術的で、とても感動したのをよく覚えてます。
 ミュージカルというより、ラスベガスのショーのようだなと思ったのが2年前のSHOCKでした。
 補足しますが、ラスベガスのショーはご存知のとおり一流です。ショーがメインですが、曲芸もあれば手品もあったり、大がかりなイリュージョンを取り入れることもあり、劇場(を抱えるホテル)によって出し物やカラーは様々です。人気のショーはかなり前から予約を入れないとチケットは取れません。ツアー等の現地コンダクターが手配してくれるショーは残念ながら一流とは言い難いんですけどね。
 
 大倉君が出るから、という実に単純かつファン気質丸出しな理由で2年ぶりにSHOCKを観たわけですが、おおよその物語や進行は変わっておりませんでした。今回、主要キャストに若干の変更があった程度なんですが、それだけで作品の雰囲気はガラリと変わりました。
 では前回観た時のキャストが悪かったのかというと、決してそうではなく、新しいキャストを迎えたことで雰囲気が変わったのに加え、作品自体が確実に進化を遂げたことをヒシヒシと感じたのです。
 堂本光一という希有なスーパースターの活躍だけがクローズアップされた印象の作品であったのが、今回は彼を取り巻くキャストが彼の脇をガッチリと支えている印象を感じました。
 脇が良くなければトップは自分の光のみしか出せないけれど、脇がトップを盛り立て自らも輝けば、トップはその散光を一身に受けて更に輝きを増すものです。
 それと逆のこともいえるわけで、同じ実力を持つ複数の脇が、違うトップをそれぞれ抱えて同じ場面で踊ると、トップの輝きが強いほうが脇も上手く見えるわけです。
 脇はただの脇ではなく、トップとは深い関係を持った、重要な位置なのだと今回改めて感じました。それがMADです。
 素晴らしいの一言に尽きます。カンパニーの一員として群舞の時はそういうカラーで踊り、ヤラと一緒にチームで踊る時はヤラのカラーで踊る。見事なまでのアンサンブルを見せてくれた功労者だと思います。
 また、殺陣での芝居も壮絶でした。コウイチとヤラの気を受けながら、寸分狂わぬ殺陣で場の緊張感を昂騰させてくれました。
 こんなにも素晴らしい脇を努めるJrがいたのだと嬉しく思ったのと同時に、その彼らが数年前に翼のバックを踊り目を留めた彼らだということも嬉しいことでした。

 今回ライバル役に抜擢されたのが屋良君で、SHOCKにはすっかりお馴染みの常連キャストでもあり、作品については光一君の次に熟知しているであろうことを鹹味しても、難しい役には違いないと思う。何より、歴代ライバル役と比較されるという、逃れられない宿命というオマケも付く。
 しかし、今回一番の収穫がライバル役のヤラでした。
 屋良君には、自分の中で思い描いた”ライバル像”の解釈があったのかもしれない。自分が演じたら、ヤイバル役はこうなんだというメッセージを感じました。
 コウイチに追いつきたいという気持ち、認めてくれてもいいじゃないか、という思い。いつまでも一喝されてしまうことへの苛立ちが積み重なっているのが感じられ、少しずつ反抗していく過程が自然に思えました。
 コウイチとヤラは、ダンスを始めとして雰囲気が何もかもが違いすぎる。このままやっていても、いずれは道を分かつのは誰もが思うことである。それをダンスで見事に表現して客を納得させてしまったヤラのライバル役。
 近い将来、ヤラはコウイチのもとから去っていくだろう。でも、それは、こんな去り方ではなかったはず。そこからドラマが始まる。
 ヤラは正統派のダンスもちゃんと踊れる。けれど、ヤラ独特のダンスで存分に踊る。それが全てコウイチへの反抗に映る。その究極が、合戦から一騎打ちまでの場面に凝縮されているように思う。
 あくまでも美しく様式美に満ちたコウイチの堂々とした姿とは対照的な、野性的で粗野で猛々しいヤラの姿。ふたつ並んだ台から同時に飛び降りる様ひとつにしても、コウイチとヤラは天地ほども違うのである。
 双頭の鷲にはなれない現実を、まざまざと見せられてしまう。あっぱれ、という言葉しか出なかった。
 実力には僅差がないのかもしれない。けれど、降り注ぐ光の雨は自分を通り過ぎて、優雅にたたずむコウイチを照らしている。残酷な現実を突きつけられながらも、ヤラは渾身の想いを胸に抱き、それに反発していく。
 自ら描いた理想が、やがて一人歩きを始め、その亡霊に取り憑かれていくコウイチに必死に追いすがろうとするヤラ。その距離は、追えば追うほど離れていく。
 夢を共有出来なくなってしまったことを受け入れられないのか、それとも自分から拒否したのか。舞台に棲む亡霊からコウイチを取り戻そうという気持ちが、刀のすり替えという行為に及んだのかもしれない。
 しかし、コウイチにヤラの想いは届くはずもなく、想いは虚しく宙を斬り、空回りする。
 ヤラが己の稚拙な作戦に気づいたのは、コウイチに取り憑いた舞台に棲む悪魔が顔を出し、その挑発に乗り真剣を振り下ろした瞬間だった。
 目の前に広がる朱い血が、朱い階段を朱く染める。断末魔の叫び声が、意識の遠くに聞こえている間、スローモーションを見るように、コウイチが視界から消える。
 目を見開いているヤラの脳裏には、一体どんな叫びがこだましていたいたのだろうか。

 渡された刀が本物だと気づいていたコウイチ。
 それでも舞台の進行を止めない。そのまま続けようとする。 Show must go on。その言葉の先に、一体何があるのだ、コウイチ。
 その言葉の先に待つものは、オオクラに苦悩と後悔を一生背負わせることと、ヤラに生涯重い十字架を背負わせることだけなのに、それでも先に進もうとするのかコウイチ。
 Show must go on。
 素晴らしい言葉だと思う。けどコウイチ、それもこれも生きていればこそ。生きているからこそのShow must go on ではないのか、コウイチ!!!
 死と隣り合わせであっていいはずがない。人は生きるために頑張るものであるし、生きていたいと願うからこそ、人は向上心を持つし明日を夢見る。輝く明日を夢見るために抱く希望こそが、Show must go onではないのか?コウイチ。
 そんなことを思いながら、壮絶ともいえる場面を泣きながら観ました。
 出来ることなら舞台に駆け上がり、贖罪と共に残されるであろう仲間のために、ショーを止めてくれと泣いて懇願したいほどだった。
 そう思わせるくらいコウイチもヤラも、見事なほど自分の持つ作品や役への思いを伝えてくれたのだと思う。
 ミュージカルを観ていても、説教する気持ちを忘れないワタシって凄いです(笑)。

 ほとんど号泣状態で迎える休憩時間ほどばつの悪いものはないわけでして、客電が点いて現実に戻ると自分がとても間抜けに思えて困ります。
 2幕は、公演中に重傷を負ったコウイチは入院、カンパニーもバラバラになり・・・という、とても暗い場面から始まります。
 舞台花道上の飾り舞台で意識不明のままコウイチの容態が急変し息絶える様子が演じられ、本舞台でセメタリーという墓場をイメージしたダンス場面に移ります。
 この場面が一番好きなんですが、振り付けやフォーメーション、衣装やセット等がとても良く出来ていて「これぞミュージカル!」という場面に仕上がっていると思います。
 コウイチが死んだという暗示の場面から、元の劇場に戻りシェークスピアの芝居を細々とやっている現実とシェークスピア作品とを絡めながら、事故の原因と真実をあぶり出し、残された者をさいなむ場面に移るわけです。
 シェークスピアは3作品くらいの名場面をやっているようなんですが、再演を重ねているためかコウイチが一番しっくりはまってます。
 残念なのはロミオとジュリエットになると、ジュリエットがビツクリするくらい棒読みちゃんに変身してしまい、感動もなにも全てを奪い取ってしまいました。
 芝居の出来ない方じゃないんですよ。他は芝居も歌もダンスもとても良いんです。でも、ジュリエットに限っては「ちょっと頑張った中学校の発表会」に早変わり。
 たしかこれは2年前も同じことを思ったので、ジュリエットはとても難しいんだな、ということかな。「ひどいひとわたしにはいってきのどくものこしてくれないのね」。適度な漢字とカナと句読点が欲しいです。

 コウイチは文句の付け所がありません。探しても見つからないものを探すほど、ワタシもヒマじゃないので無駄な努力はしません。
 たまに、歌が弱いとか聞きますけど「それが何か?」くらいのものですよ。
 これだけいろんなことが出来て、更に容姿も良くて、そのうえに歌がオペラ歌手並とかを望むのなら、それはアナタが悪いと思います。
 ワタシは宝塚ファン歴も長かったので言いますが、宝塚なんて一応「歌劇団」なわけですよ。だから歌は上手くて当たり前のはずなんです。でも、「ひょっとしてワタシの方が上手いんとちゃうか?」という歌唱力(?)の方がトップスターで大活躍するとこも多々あります。また、思わず失笑するくらい踊れないトップも過去にはいました。
 でも、いずれの方もトップとして堂々と組を背負って活躍し、惜しまれながら卒業して行ったんですよ。苦手な分野があっても、それを補うくらいの魅力があればいいんです。
 ○○さんの立ち姿にポーッと見とれてたから、歌なんて耳に入ってないわよー!という会話が、なんの悪意もなく交わされてしまうんです。
 ワタシはロンドンで本場のミュージカルも色々と観ましたけど、コウイチ並に踊ってジャンルの違うスペクタクルを数々こなした上に、マリア・カラス並に歌い上げるキャストは居ませんでしたよ。もちろん、歌えるキャストはいました。いましたけど、舞台に根があるがごとくドッシリとした感じでしたもん。
 がっつり踊るキャスト、メインで歌を聴かせるキャストがちゃんといて、それぞれの分野で舞台を盛り上げて、主役は盛り上がったところにポッと入ってオイシイ場面を更に盛り上げるわけで、最初から群舞並に踊ってませんしね。
 SHOCKにもそういった場面はもちろんあるし、コウイチもプロのダンサーに混じって踊りセンターで留めも謙遜なく努めているんですから、海外のミュージカルスターと何も変わりません。劣るところなんて皆無だと思ってます。
 Show must go onを有言実行して死んでしまうくらいの狂気に満ちた役が、実にしっくりと嵌るくらいなんですよ。少しくらい手を抜いても文句言わないのに・・・くらい言ってあげたいですよ(笑)。

 さて、最後にオオクラオーナーについての感想を(笑)。
 計らずして二代目オーナーに就いてしまった雰囲気がよく出ていて、二代目のぼんぼんという言葉がピッタリな役でした。もともとのキャラが上手く嵌った気がします。
 稽古期間ひとつを取っても不利な条件は沢山あったであろうことは承知してますが、それが理由にならないのがショービジネス。幕が開けば、観客にとって条件は皆同じ。
 まだまだ未熟なところが一杯で、それを持ち前の雰囲気がうまいことカバーしていたかな、というのが正直な感想です。
 でも、未熟ながらも懸命さと舞台に対する誠実さは感じられ、今はまだ出来ていなくても、少し先には出来ているかもしれないという期待感を持たせてくれたこと。
 ワタシは2週間の間を置いて2回観劇したのですが、1回目の時はダンスの時にターンする振り付けで体の軸がずれているためか、綺麗に回れていなかった。
 けれど、2回目に観たときは軸もぶれず、とても綺麗にダブルターンが回れているのを観て、とても嬉しかったです。
 もちろん、商業舞台ですから「数日後までには」という甘えは許されません。初日には完成させて当たり前だというのは十分承知しながらも、そこはやはりファンの欲目というか甘さでしょうね。出来ないことを知っているからこそ、それが出来ているのを目の当たりにすると素直に喜んでしまいます。
 「このくらいでいいかな」という間違った余裕は、どうしても舞台に滲み出てしまい、作品の質や完成度を落とします。
 SHOCKが500回を超えて愛されているのは、主役を始めキャストが誰も妥協しないからだと思います。常に「昨日より今日、今日より明日」を感じます。
 慣れることをよしとせず、進化し続ける舞台。だからこそ、大倉君はやっていけたのかな、とも思います。周りが止まっていないから、歩き続けていられたのかなと。
 事務所きってのダンサーを選抜している舞台で、精一杯といえども付いて踊っているわけですから、その努力や頑張りは褒めてあげたいくらいです。
 SHOCKには、石川直さんがパーカッション担当として出演されてますが、パンフレットによると大倉君とはドラムの関係で以前から交流があり、今回の舞台でもその実力に合わせた演出を考えている旨のコメントがありました。
 コウイチが天井から吊り下がる梯子を使った、空中でのパフォーマンスがあるのですが、本舞台では音楽に合わせてキャスト達が和太鼓を連打して大技に花を添えてます。
 扇の形に配置されているその要の位置で、コウイチをしっかりと見据えたまま和太鼓を力強く打ち続ける大倉君が、とても眩しく、そして誇らしかったのが印象的でした。
 頑張っただけの成果も感じているでしょうが、これからもっと頑張らなければいけないところも感じていると思います。そこを、たとえSHOCKを離れても頑張って会得していけるかで、彼の未来が決まるのかな・・・なんて思います。
 頑張った分だけ、舞台はすぐに返ってくる。そこが舞台の良さでもあります。
 自分しか頼れない、誤魔化しの利かない世界。そこで認められたら、本物だと思います。まだまだ未熟だというこは、まだまだ上達出来るという可能性を持っている証拠。
 帝劇での温かい拍手を忘れずに、もっともっとワタシをビックリさせて欲しいと思います。大倉君は、ワタシにとって可能性のかたまりです。得意な分野を極めて見せることをせず、すべてのことに真摯にチャレンジしている姿は、とても励みになりました。
 妥協を決して受け入れない素晴らしい先輩から、盗める限りのものを盗んでください。
 
 最後に、演出がとても好きだった場面を。
 離れていたヤラを呼び戻しに行った場面での、ヤラの「告白」。ここはヤラの熱演に思わず貰い泣きする名場面なんですが、舞台の演出も見事です。
 ヤラの告げる真実が始まると同時に、紗幕が透けてあの朱の階段が浮かび上がり、日本刀が突き刺さったまま照らし出されるんです。
 観る者の意識が、あの場面に引きずり戻されていく感覚のなか、ヤラの独白が続き、息をすることすらためらわれるほどの緊張感に劇場が包まれる一瞬です。
 これは客席にいなければ味わえない感覚で、まさに舞台の醍醐味です。
 ワタシが「出来るなら舞台を観て欲しい」と願うのは、舞台は客席で観るお客さんのために作られたものであるからです。映画が映画館で観るのが最高であるように、舞台は劇場の客席で観るのが最高なんです。
 あの空気を感じながら、SHOCKを一人でも多くの方に観て欲しいと思います。
 まぁ、ミュージカル自体に興味のない方や、出演者の誰にも興味のない方は、チケットも取りづらい公演ですし、無理して観なくてもいいと思いますが。
 また、作品を見た感想や捉え方は千差万別ですし、好みも大いに関係しますんで、ワタシがこう思ったからといって、それが正解であるはずもありません。
 ご覧になった方、それぞれのSHOCKがあって当然ですし、それぞれ違っていても構わないと思ってます。
 ワタシにとってのSHOCKは、こんな感じだったんだな〜と思って戴けたら有り難いなと思ってますし、もし、これを読まれて「今年はもう無理でも、来年また再演されたら観てみようかな」と思って戴けたら、こんなに嬉しいことはありません。
 2008年のEndless SHOCKに携わった方すべてに「素晴らしい舞台を有り難う」という気持ちです。これを書いてる現在、まだ公演は続いてますが、事故や怪我のないまま千秋楽を無事に迎えられますことを祈ってます。

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Endless SHOCK   帝国劇場 2008.1〜2月