作/久遠 毎年、冬が去り、氷が割れ始める頃に、そのセイウチの一族はゴロン浜にやってきました。冬の間、モルゲン王と家族は別の場所にいて、春から秋までをゴロン浜で過ごします。 先に来たモルゲン王はほかの王様たちとたたかって、場所を取ります。モルゲン王はほかの王様たちより大きく、そして、立派な牙を持っていたので、毎年いい場所を取ることができました。 しばらくすると、メスのセイウチたちがやってきて、子供を産みます。しばらくの間、モルゲン王は食事をしないで、家族を守るために見まわりをしました。見たことがないものが近づくと追い返し、敵が近づくと家族を逃がして、最後までその場にふみとどまって家族を守ります。 モルゲン王はこの浜が好きでした。海の底には貝やエビなどがいっぱいいたので、セイウチだけではなく、アシカやトド、アザラシの大勢の家族がいても食べものに困らないで暮らせました。うしろは岩山でさえぎられていますし、左右は見晴らしがよいので、敵が来ればすぐに分かり、いつでも海に逃げることができました。 「敵、か」 モルゲン王は薄目を開けて、イヤそうに空を見上げました。今日も青空には白い雲が流れていました。この時期、雨が多いと生まれたばかりの子供は寒さでまいってしまいます。 「今年は雨が少なそうだわい」 もう少し赤ちゃんセイウチが大きくなれば、雨もそれほど悪くはありません。セイウチは海の中で暮らす時間が長いので、濡れることは気になりません。 でも、降ってくるものが雨ばかりではないことを、モルゲン王は知っていました。 「来るとしたら、もうそろそろかな」 モルゲン王はキョロキョロと空を見まわしました。すぐに自分が怖がって見えるような気がして、王様らしくないと思いました。 「ふん。あんな奴なぞ怖くないわい」 モルゲン王はそう言ってはみたものの、本当にそうなのか、なんとなく自信が持てませんでした。モルゲン王は小さく頭を振ると、久しぶりに海に出ていきました。 数日後、モルゲン王は自分たちの住む場所を見まわったあとで、家族から少し離れたお気に入りの場所に行き、うたた寝をしていました。 ブブブブ…… モルゲン王の立派な牙がピクッと動きました。 ブブブブ…… モルゲン王は目を開けて体を震わせると、上半身をそらして吼えました。 「来おったな! ミカリン!」 そのおなかに石のように固いものがぶつかりました。 「オゴエッ!」 モルゲン王はあまりの痛さに声をあげました。モルゲン王の体がぐらりと揺れて倒れました。 「グハッ!」 今度は固いものが背中にぶつかりました。モルゲン王は体をそらせると、がっくりと倒れました。 小さなものはモルゲン王のまわりをくるりと飛んでから、倒れているモルゲン王の顔の近くに降りました。 「来たよ」 小さいわりに大きな声がゴロン浜に響きました。モルゲン王はミカリンをにらみつけました。でも、あまりの痛さになみだ目になって、ミカリンがぼんやりとしか見えません。 「この礼儀しらずの妖精が」 「お! お!」 銀色のよろいとかぶとを身につけたミカリンは大きく目を開き、口をとがらせました。 「失礼しちゃうぞ。ミカリンだって礼儀は知っているぞ。今年も遊んでください(ぺこり)」 ミカリンはかぶとをぬぐと、いきおいよく頭を下げました。ミカリンの頭がモルゲン王の額にぶつかりました。 「ギャッ!」 モルゲン王の目から火花が飛び散りました。 「こ、この石頭めが」 「今ので百八十七勝三十六敗だね」 「おじぎに勝ち負けなどあるものか」 「う、じゃあ、いいよ。おまけにしてあげよう」 「『おまけ』だと! 『してあげよう』だと! こら、どこへ行く!」 ミカリンは空に舞いあがりました。 「ミカリンはずっと飛んでたので、おなかがすきました。ごはんを食べに行ってきます」 「待て、こら」 ミカリンはもうモルゲン王の話など聞いていません。 「ごッはんだ、ごッはんだ、はらぺッこだッ!」 ミカリンは大きな声でごはんの歌を歌いながら、ブブブブと飛んで岩山の向こうに行ってしまいました。 その日からミカリンは、気が向くとモルゲン王のところに遊びに来ました。ミカリンは三年前にゴロン浜に来てから毎年、この時期になるとやってきました。夜は岩山の向こうの森にいて、昼になると遊びに来ます。 モルゲン王は大人ですし、なにより王様だったので、ミカリンの相手をしないようにいつも心掛けていました。それでも、ミカリンが何か言うと、モルゲン王は冷静ではいられません。ミカリンはモルゲン王を怒らせる名人でした。 ミカリンはブブブブと飛んでくると、モルゲン王の頭の上にとまります。 「おはよ。王様」 モルゲン王が返事をしないと、ミカリンはくすっと笑いました。 「おはよ。耳なし王様」 モルゲン王はムカムカとしましたが、黙っています。そうすると、ミカリンはくすくす笑い出しました。 「おはよ。鼻でか王様」 「うるさいわいッ!」 「うきゃきゃきゃ!」 モルゲン王が怒り出すと、ミカリンは大喜びです。モルゲン王の牙をつかんではひねり倒したり、足をひっぱっては転がしたりします。 たいていは飛んでいるミカリンにモルゲン王はかないません。ですが、たまにミカリンの上にのしかかることができました。ミカリンはモルゲン王の巨大な体につぶされそうになります。 「うわぁ、重い。重い。たしけて」 「もう悪さはしないか」 「しません。しないから、たしけてください」 「約束だぞ」 「約束するです。早くどいて、どいて」 モルゲン王が体をずらすと、ミカリンは地面にめりこんでいます。地面から出たミカリンは、よろよろしながらモルゲン王の前にやってくると、おじぎをしました。 「今日は負けました。ミカリンはまだまだです。修行しなくてはいけません」 そう言うと、くやしそうにブブブブと飛んでいきます。 そして。 次の日には約束など忘れて、モルゲン王にちょっかいを出すのでした。 モルゲン王は妖精にくわしくありません。それでも、旅の途中で自分より年をとった王様に会い、話を聞いたことがありました。 「妖精じゃな。見たことがあるわい」 その王様はひげをぴくぴくさせて目を細めました。 「すがたかたちはあの不愉快な人間どもに似ておるな。じゃが、もっと小さくて、チョウの羽を背中につけておる。薄いオーロラのようなものを身にまとっておった。ふわりふわりと飛んで、そりゃあ、美しいもんじゃった」 「さようでございますか」 モルゲン王はていねいに答えて考えこみました。モルゲン王が知っている妖精の姿とは違います。しばらくして、モルゲン王は年をとった王様に尋ねました。 「すがたかたちは小さな人間のようで、ブブブブとハチのように飛び、銀色のかぶととよろいを身にまとった、うるさくて、固くて、痛い妖精をごぞんじか」 年をとった王様はフォフォフォと笑いました。 「そんなものは聞いたことがないわい」 「妖精、と自分で言っておりましたが」 「わしらにもいろいろなすがたかたちのものがおるからの。きっと妖精にもいろいろおるんじゃろうな。自分で言っておるのじゃったら、その固くて痛い小さなものも妖精なんじゃろう」 「さようですな。確かに。わしも変なものに好かれてしまったわい」 モルゲン王はそう言うと黙ってしまいました。 「それは、しかし」 モルゲン王の情けなさそうな顔を見ていた年をとった王様は、気の毒そうにつぶやきました。 「悪霊というものかもしれん。それこそ聞いただけで、わしは見たこともないがな」 モルゲン王の顔がさらに情けなさそうになると、年をとった王様は離れていきました。 その日もミカリンはモルゲン王の頭にとまり、あいさつをしました。今日はどうやって遊んでもらおうかと考えていると、近くで声がしました。 「とうちゃん」 「とうちゃん」 ミカリンが下を見ると、歩けるようになった二頭の赤ちゃんセイウチが近づいてきます。 「お! お!」 ミカリンは王様の頭から地面に降りました。目を丸くして、近づいてくるセイウチの赤ちゃんを見ています。ミカリンはモルゲン王を見上げました。 「王様の赤ちゃんですか?」 「そうじゃ。手荒な真似をするでないぞ」 モルゲン王はミカリンが赤ちゃんセイウチにやさしいことを知っていましたが、念のため注意しました。 「しないですよ。ミカリンは赤ちゃんにやさしいのです」 ミカリンはブブブブと飛んで、二頭の赤ちゃんセイウチの前に降りました。小さなミカリンを見て、セイウチの赤ちゃんは立ち止まりました。 「こんにちは(ぺこり)」 ミカリンがあいさつすると、二頭はおそるおそる近づいてきました。 「おばちゃん、だぁれ?」 「今度『おばちゃん』て言ったら、ひげ抜くよ。ミカリンねえちゃんだよ(にこり)」 二頭は怖そうに首をすくめました。 「チビねえちゃんでもいいの」 別の一頭がおそるおそる尋ねました。ミカリンは腕を組んで考え込みました。 「いいよ。赤ちゃんたちよりチビだから。でも、おばちゃんはダメだよ」 二頭はほっとしてあいさつしました。 「ぼくはサーン」 「ぼくはセーンバ」 ミカリンはにこにこしてサーンに近づきました。 「うひゃひゃ、赤ちゃんだ」 「くすぐったいよ」 ミカリンがよじのぼっていくと、サーンは笑い出しました。 その日からミカリンはモルゲン王にあいさつをすると、そのまま群れの中に遊びに行くようになりました。おかあさんセイウチは最初こわがっていましたが、赤ちゃんセイウチたちが喜ぶので、ミカリンが来るのを歓迎するようになりました。 「そういえば、あやつが来るようになってからかのぉ」 ミカリンはただ遊んでいるのではなく、赤ちゃんを守っているようにモルゲン王には思えました。群れからはぐれている子を見つけると、引きずって群れに戻します。鳥が近づくとその毛をむしり、さんざんな目にあわせます。ミカリンが来る前より子供のことで泣く母親は少なくなっていました。 「あやつと毎日たたかうのは骨じゃが、それは王の務めでもあるからな。それで子供を助けてもらえるのなら、たたかうのもしかたがないのかもしれん」 モルゲン王は赤ちゃんセイウチたちの楽しそうな声を聞きながら、目を細めました。 赤ちゃんセイウチは、しばらくすると海に出ていくようになりました。モルゲン王やおかあさんセイウチたちは泳ぎ方や食べ物だけではなく、海や陸の恐ろしい敵を教えます。 「ノロン浜に行ってはいけません」 どのおかあさんセイウチも、一番最初にそう子供に言いきかせました。 サーンとセーンバは泳げるようになると、いろいろなところに探検に行きました。それでも、ノロン浜には近づきませんでした。 泳ぎがうまくなり、少し体が大きくなると、サーンはノロン浜に行ってみたくなりました。ノロン浜にはゴロン浜にはない、氷原が残っています。サーンは氷の上を歩いてみたくてしかたがありませんでした。 「今日は氷の上に登るぞ」 「やめなよ。サーン」 セーンバは止めました。 「この上には怖いのがいるって、かあちゃんが言ってたよ」 「ちぇ、弱虫だな。そんなことだからチビねえちゃんに勝てないんだ」 最近ではミカリンはサーンやセーンバたちとたたかうようになっていました。もちろん、モルゲン王とたたかう時ほど力を出しているわけではありません。ミカリンには遊びでしたが、サーンはいつか勝ちたいと思っていました。 「僕はこの上に行くよ。怖かったら帰ればいいさ」 サーンは海から氷の上に、はい上がりました。 「待ってよ。僕も行くよ」 セーンバは慌ててサーンの後を追いました。 昼寝の時間になってもサーンとセーンバは帰ってきません。サーンのおかあさんとセーンバのおかあさんは心配になって、モルゲン王に相談に行きました。 「王様」 おかあさんたちは声をかけましたが、モルゲン王はそれどころではありませんでした。 「今は忙しい。あとにせい」 「うきゃきゃ」 モルゲン王のそばを楽しそうにミカリンが飛んでいます。 「でも、王様。子供たちが帰ってきません」 その一言でモルゲン王はミカリンを追うのをやめました。 「待て待て、ミカリン。休戦じゃ」 モルゲン王の真剣な声を聞いて、ミカリンもなにごとかと王様の頭の上に降りました。ミカリンは心配そうなおかあさんセイウチに話しかけました。 「サーンとセーンバのおかあさん、どうしたのですか」 「お昼寝の時間になっても、うちの子たち、帰ってこないんです」 「いたずらッ子どもめ。どこに行っておる」 おかあさんたちは顔を見合わせました。やがてサーンのおかあさんがハッとしたように顔をあげました。 「ひょっとしたら」 「心当たりがあるのか」 「ええ、『チビねえちゃんに負けないようにノロン浜で修行をするんだ』とか昨日の夜、言っていました。まさかと思うけど」 「そう言えば、昨日遊んでいたらずいぶんくやしがっていたのです」 ミカリンがつぶやくと、モルゲン王は苦々しげに言いました。 「まだ子供ではないか。かげんしてやればよいものを」 「お! お! ミカリンが悪いのですか」 「そうじゃ。何かあったらおまえのせいだわい」 「それはたいへんです(しょぼん)」 ミカリンはうなだれていましたが、すぐに顔を上げました。 「ミカリンはノロン浜に見に行ってきます」 ミカリンはブブブブと飛び立ちました。 ノロン浜には二匹の白熊が住んでいました。兄のダルーと弟のニーギリは、この辺では知らないものがいないらんぼうもので、誰にも負けたことがない力持ちです。 「ニーギリ、はらへったな」 「あんちゃん、はらへったね」 二頭はのそのそ歩きながら、つぶやきました。 ダルーとニーギリが子供の頃には、ノロン浜にも獲物はいっぱいいました。でも、大きくなってからはダルーとニーギリ兄弟は有名になりすぎて、迷子になったもの以外、ノロン浜に近づくものはいませんでした。 「二日前に食ったエルクの子はうまかったな」 「もう五日前だよ、あんちゃん」 ダルーのおなかがキュルルと鳴りました。ニーギリのおなかもキュルルと鳴りました。 「はらへったなぁ」 二頭は情けない声で、つぶやきました。 ノロン浜に獲物がいないので、二頭は氷原に行ってみることにしました。冬より薄いとはいえ、ノロン浜には氷原が残っています。 ダルーとニーギリが氷原をのそのそ歩いていると、行く手に何かが動いていました。 「何かいるよ、あんちゃん」 「そうだな。なんだろう」 ダルーは目を細めました。二頭の動きが速くなります。 「セイウチの子だ」 「二頭いるね」 「山分けだぞ」 ダルーとニーギリは走り出しました。 山のように大きな白いものが近づくのを、サーンとセーンバは見ていました。 「なんか来る」 「逃げようよ。サーン」 「ああ、急いで逃げよう」 サーンとセーンバは声をかけあいましたが、体がすくんで動けません。 「うぉぉッ! 逃がさんぞ!」 「うぉぉッ! 食ってやるぞ!」 恐ろしい声にサーンとセーンバは泣き出しました。 ダルーが先に近づきました、立ちあがり、サーンとセーンバを大きな手でなぐろうとした時、声が聞こえました。 「まぁぁぁてぇぇぇ!」 「グホッ!」 ダルーははらをなぐられ、そのまま吹っ飛びました。ニーギリは何が起こったのか分からずに、キョロキョロあたりを見ました。ダルーの近くを、なにかが飛んでいます。 「なんだ、おまえは」 「はじめまして、ミカリンです(ぺこり)。この子たちは食べ物ではありません」 「なんだと。じゃまするな」 ニーギリは立ちあがり、ミカリンにおそいかかりました。 「ウゲッ!」 ニーギリのあごに固いものがぶつかりました。そのままニーギリはひっくり返ってしまいました。ミカリンはサーンとセーンバの前に降りると、ダルーとニーギリを見て呆れたように声をかけました。 「弱いのに、えばってはいけません」 「このおれさまが弱いだと」 ダルーはうなり声をあげて、ミカリンに飛びかかりました。その手をつかむと、ミカリンはダルーを投げ飛ばしました。そのまま、バシバシと顔を叩きます。ニーギリがダルーを助けようと近づくと、ミカリンはニーギリの足をつかんで、振りまわしてから放り出しました。 「すごい」 サーンとセーンバは呆然と、その様子を見ていました。 しばらくミカリンと二頭の白熊たちはあらそっていましたが、やがて静かになりました。ダルーの顔もニーギリの顔もいつのまにか血まみれになっています。白い毛を血で赤く染めたダルーとニーギリはくやしそうに吼えました。 「うぉぉッ! はらがへっていなければ、もっと力が出るのに」 「うぉぉッ! はらがへっていなければ、もっと速く動けるのに」 ダルーとニーギリはくやしくて泣き出してしまいました。 「痛かったですか。ミカリンは本気を出していないですよ」 「くやしいなぁ。はらがへっていなければ、負けないのになぁ」 ダルーの声を聞いて、ミカリンは目を輝かせました。 「お! お! ほんとは強いですか」 ミカリンは目を丸くして尋ねました。 「あたりまえだ。はらがへっていなければ、おまえなんかに負けるものか」 「俺たち、ほんとは強いんだぞ」 ダルーとニーギリはくやしそうに叫びました。 「分かったです。ちょっと待っててください」 ミカリンはブブブブと空高く飛ぶと、すごい勢いで落ちてきました。 ドカッ! 氷原にぶつかると大きな音がしました。そのまま飛びあがると、また落ちてきます。 ドカッ! 何回かくりかえすと、氷原はドカンと大きな音を立ててひび割れました。空から降りてきたミカリンはひびに手をかけました。 「よいしょ。ん、ん、んん」 メリメリ音をたてて氷原の一部がはがれました。 「エイッ!」 ミカリンはそのかたまりを放りました。 「まだ待つんですよ」 「お、おう」 ダルーとニーギリはガクガクと頭を振りました。今まで自分たちがこの辺で一番の力持ちだと自信をもっていましたが、どうもそうではないようだと思いました。 ミカリンは自分があけた穴に飛び込みました。待っていると、大きな魚が穴から飛び出てきました。一匹、二匹、三匹…… 四匹目と一緒にミカリンも海から出てきました。 「水の中は息ができないので嫌いです」 ミカリンは羽をブブブブと動かしました。水滴があたりに飛び散ります。 「これは食べてもいいですよ。ごはんを食べて元気が出たら、ミカリンと遊びましょう(にこり)」 「どんな遊びをするんだ」 ダルーはおそるおそる尋ねました。 「力くらべです。ミカリンは力持ちと遊ぶのが好きなのです」 ダルーとニーギリはブルッと震えました。ダルーとニーギリはボソボソと小さな声で言いました。 「そのさかなは食いたいけど。ほんとうは俺たち、そんな力持ちじゃないんだよ」 「さっき言ったのは、うそなんだ」 ミカリンが氷原に穴をあけた様子を思い出すと、ダルーとニーギリの震えは止まりません。 「そですか」 ミカリンはがっかりして肩を落としました。 「でも、いっぱい食べて修行をすれば力持ちになれるかもしれないですよ。それまで、ミカリンはモルゲン王と遊んでいます。この魚はあげましょう」 「食っていいのか」 「いいですよ。早く力持ちになってください。また来ます」 ミカリンはサーンとセーンバを見ました。 「この穴から海にはいって帰れますか」 「帰れるよ」 「では今日は帰りましょう。みんなが待ってます」 サーンとセーンバは穴のふちまで行って振りかえりました。 「チビねえちゃん、ありがとう」 サーンは恥ずかしそうに続けました。 「チビねえちゃんには勝てないや」 「いっぱいごはんを食べて修行するのです。そうすれば、強くなるかもしれないです。また一緒に遊びましょう」 ミカリンはサーンとセーンバが海に入るまで待って、ダルーとニーギリにあいさつしました。 「では、ミカリンも帰ります(ぺこり)」 「お、おう」 魚を食べていたダルーとニーギリもペコリと頭を下げました。ミカリンが飛びあがり見えなくなるまで、二頭の白熊は空を見上げていました。 次の日、ミカリンが飛んでいくと、モルゲン王は涙を浮かべて頭を下げました。 「昨日はありがとう。サーンとセーンバはきつくしかっといたわい」 「どういたしまして。ミカリンは王様にお礼を言われてびっくりです」 「そうだな。そうかもしれんな。どうだろう。今日は休戦にせんか」 「いいですよ。では、今日はごろごろしていましょう」 その日は休戦にして、モルゲン王とミカリンはゴロン浜でごろごろすることにしました。 「ミカリンよ。おまえ、毎年どこから来るんじゃ」 「あっちです」 ミカリンは海を指しました。 「ずっとずっと向こうに住んでいます」 「仲間はおらんのか」 「仲間? 友達はいっぱいですよ」 モルゲン王は年をとった王様に昔聞いた話を思い出しました。 「仲間はチョウの羽が背中についていて、オーロラのようなものを身にまとっているのか」 「そです。王様はよく知ってますね」 「昔聞いたことがある。美しいそうだな」 「きれいですよ」 「おまえはどうしてオーロラのようなものを着ないんだ」 ミカリンは笑い出しました。 「ミカリンが着ると、すぐに破けてしまいます。きれいなかみかざりもミカリンが飛ぶと吹っ飛んで、どこかにいってしまいます」 ミカリンは銀色のかぶととよろいを叩きました。カンカンと澄んだ音がしました。 「これは小人がくれました」 「小人?」 「地面の中に住んでいる小さくてはたらきものの力持ちです」 「ほう。そんなものがいるのか」 「いるのですよ。遊びに行ったら、『これを差し上げますから、もうかんべんしてください』と言われました。贈り物をもらって、うれしかったです」 ミカリンは笑いながら説明しました。 「小人たちは力持ちですが、王様ほどではありません」 モルゲン王はため息をつきました。ほめてもらってもそれほどうれしくありませんでした。 「しかし、こんなところまで来ては友達と遊べまい」 「ずっと向こうは冬なので、友達はみんな寝ています。ミカリンはあったかいポカポカしたところで寝るのが好きなので、冬は遊んでいたいのです」 「向こうだって冬は寒いだろうに」 「寒いです。でも、遊び相手がいません」 モルゲン王はため息をつきました。 「わしが冬の間の遊び相手なのか」 「そです。王様は強いので、遊び相手にはうってつけです(にこり)」 ミカリンが笑顔で強いとほめても、モルゲン王はあまりうれしくありませんでした。 もう一度モルゲン王は深いため息をつきました。 子供たちはどんどん大きくなり、そろそろモルゲン王とその家族が冬を過ごす場所に行く日が近づいてきました。気の早いものたちは、すでに旅に出ています。 モルゲン王は最後までゴロン浜に残っていました。 「うにゅにゅにゅ」 その朝、ミカリンはよろよろとモルゲン王の前に飛んでくると、変な声を出して、ぽとりと落ちました。モルゲン王はびっくりして近寄りました。 「どうしたんだ」 「眠くないです。まだ遊びます」 「そんなことは聞いとらんわい」 「大丈夫です」 ミカリンは指で目を開けました。でも、モルゲン王の前に座ると、目を開けたまま、こっくりこっくりとうたた寝を始めました。モルゲン王は呆れながら見ていました。 「子供みたいな奴だわい」 お昼近くまでミカリンはぐっすり眠っていました。そのそばでモルゲン王は笑顔を浮かべながら、ミカリンを見ていました。 ミカリンは目を覚ますと、モルゲン王がそばにいるのでおどろきました。 「これはたいへん。おはようございます」 「おはよう。わしもそろそろ旅に出るぞ。おまえはどうするんだね」 「そですか。それではミカリンもおうちに帰ります」 「うむ。そうしなさい。だいぶ眠そうだからな」 ミカリンは恥ずかしそうに笑いました。 「ほんとはすごく眠いのです」 「遊ぶのは、また来年の楽しみにしておけばよい」 「そうします。では、また来年ね(ぺこり)」 ミカリンはモルゲン王に頭を下げました。すぐにブブブブという羽音を残して、空高く舞いあがりました。 モルゲン王はため息をついて海に向かいました。 「また来年か。それもしかたがないことか」 ブブブブ…… 身構える暇もなく、モルゲン王は足をつかまれ、ひっくり返されました。足の方から声が聞こえました。 「また来年、来るよ。遊ぼうね。いいね」 「分かった、分かった」 モルゲン王が返事をすると、すぐに足は自由になりました。 ブブブブ…… モルゲン王のまわりで羽音が聞こえました。 「今ので二百九十一勝百四十敗だね」 声が聞こえ、やがて羽音が小さくなっていきました。 モルゲン王は体を起こし、今度は一言も声を出さずに海に入りました。海の中に入ると、モルゲン王はぶつぶつつぶやきました。 「馬鹿め。あんなものは勝負にならん。二百九十勝百三十九敗だわい」 どこかからブブブブと羽音が聞こえたような気がして、モルゲン王は急いでさらに深く潜りました。 「どっちにしても、また来年のことだ」 『いいよ』 ミカリンの遠くからの声が、モルゲン王には聞こえたような気がしました。 − 了 −
<原稿用紙換算 33枚> |