昔の話です。 小高い山のてっぺんに、一つの社がありました。 そこには、一つの柔らかな笑みを浮かべた石像がありました。 それはいつからそこにあるのかわかりませんでしたが、いつの頃からかその石像に多くの人たちがお参りにやってくるようになったのです。 なんでも子宝に恵まれたり、病が治ったり、商売が上手くいくなどの霊験があると評判だったからです。 そのため、遠方からも多くの人がこの小山に来て、お祈りしていく物でした。 石像はそんな人たちの祈りを聞くたびに、その笑みが暖かい物にしていくようにも見えました。 信心深い人たちは、霊魂がこの石像に宿っているとまで行ったものでした。 人々の中心にこの像がいたものでした。 今の話です。 もうあの小山はありません。 ショベルカーによって崩され、もう跡も形もありません。 ただ、山を崩した土で海を埋め、享楽にふける遊び場を作り、崩した小山の跡に暗くじめじめした刑務所を作ったのです。 そのいずれからも毒は出て、様々な物を枯らし、追い出しました。 埋められた海には人しか住めず、刑務所からは寂しく、ゆううつな言葉がひそひそと聞こえ、心を乱します。 どちらにも、昔の小山にあった祈りや感謝はありません。 ただただ、苦しみの種が増える一方です。 さて、あの石像はどこに行ったのでしょう。 人好きそうな柔らかな微笑をたたえ、拝まれていたあの石像は。 社に人を集めていたあの石像は。 それは今、地面にあるのです。 汚らしい靴で毎日のように踏まれる、出っ張りがそうだったのです。 悲しい事に、今の人たちは昔の事を全て忘れ、感謝も祈りも無く、何も感じないまま、石像の顔を踏みにじるのです。 散々踏まれ、削られた物のまだ石像には顔があります。 ただ、毎日あんまりにも踏まれたため、変なふうに削られてしまい怒っているような顔をしているのです。 仁王像よりも恐ろしげな顔の目の部分には、大きなへこみがあり、そこには水が溜まり、時たま涙のように流れるのです。 でも、誰一人それを見る人はいません。 単に、邪魔臭そうに蹴られるだけです。 |