高い波が少年をさらいました。 その日は一団と太陽が照りつける、波の無いおだやかな日でした。 堤防で遊んでいた少年はこう思った物です。 「ああ、なんて平和で、きれいな海なんだ」と。 その直後、波が少年をさらったのです。 誘拐されたのです。 その日の海は見た目こそ平和でしたが、異常でした。 海の中に日光はほとんど入らず、真っ暗で、いつものおだやかな雰囲気は全くありません。 海流もすさまじく、泳ぎが達者な少年でさえピクリとも動けません。動くことさえ出来なのです。 動き続けるのは、海流に流される少年の位置と、少年が吐き続ける気泡だけでした。 いきなりこのような境遇に陥り、何も考える事のできない少年に声が聞こえてきました。 これは水の中では絶対にありえない事です。水の中では決して声は耳に届きません。 その声はか細く、それでいて迫力がありました。 「我らは訴える……。人間に訴える……」 少年の目に不意に飛び込んできたのは魚たちです。大小様々な、この辺りでよく見かける魚から、南方からきたのでしょうか、赤い体で金色の目をした図鑑に載っていない魚までいました。 少年に聞こえた声は、その魚たちが全員で一斉にしゃべっている声のようでした。 呼吸できず、苦しいのも忘れ、少年はその怒りに満ちた声を聞きます。 その声はこんなふうに聞こえました。 「我らは生きている。 我らはただ生きている。 殺し、殺され、それに感謝し、生き延びことと死ぬ事を同時に願い生きている。 生きる事で子が産まれ、死ぬことで他の命を生かす。 これに幸福を感じるのだ。生と死の混乱こそが幸福なのだ。 だが、人間はどうなのだ。 無遠慮に我らを取っては食い散らかし、命を無駄使いをしては、それを元手に海を汚し、我らを死に追いやる。 それで、あっちでは大きな魚は小さな魚を食えずに飢え死に、こっちでは大きな魚がいないものだから小魚が増えすぎ小魚は食べ物を食べ尽くし、他の命を延ばしことなく餓え死ぬ事になってしまう。 これは不幸なのだ。 歴史に無い、不幸なのだ。 今すぐ止めたまえ。 人間達は食うのに魅せられ過ぎた。 生きるために食わずに、食えるから食ってはいけない。 人間が生きるためには、我らの命を喜んで布施し、与えよう」 少年は夢か現か、幻か。そんな声を聞きました。 その言い分はもっともで、怒りに満ちていたのはわかりましたが、深い悲しみも感じ取れたのです。 少年の父親が、少年を怒る時の声に何か似ていたからです。 それで少年はその声にうなずこうとした時です。 何かが、海の中に入ってきました。 数多くの魚たちは慌てふためき、ちりぢりになろうと暴れましたが、もう遅かったのです。 それは網。人間達が無遠慮に命を取る凶器です。 魚たちは少年に語っていたのでこの網が来るのに気づかなかったのです。 そして、浜では歴史で一番の大魚となり、人間達は喜んで命を食い散らかし、海を汚染したのです。 こうして、海の中はいつものように平和になり、大人になった少年も網を投げるのでした。 何もいない海に向かって。 |