そこには子牛しかいませんでした。 母牛はいつの間にか、いなくなっていたのです。 寂しい子牛たちが鳴いても、どんなに泣いても母牛は帰ってきませんでした。 ただ、代わりに来るのは、たくさんの食べ物だけです。 多くの牧草だけです。 まだ、白い乳を飲みたい盛りなのに。与えられる物は、無慈悲なくすんだ色の草だけです。 小さな仕切りに一頭ずつ子牛はいます。互いの声は聞こえても姿は見えません。愛情も友情も与えられず、ただ孤独と牧草だけが与えられました。 小屋の子牛たちは太陽を知りません。狭い中、嫌な臭いにまみれ、風も知りません。 親も友も知りません。 ただ、仕切りの中にいるだけです。 このまま長い時間が流れました。いつしか孤独は孤独ではなくなったのです。無感情は無感情でなくなったのです。孤独も無感情も常に付きまとう物であったために、それが日常になったのです。 先祖は、草原や森の中で力強く生き、時に尊敬を受けていたのに、子牛たちは醜く太っていきます。 もう、草原に放たれても、走れはしないでしょう。あまりに醜ささに、嫌悪されていたでしょう。 立派な角は生えてきます。 体は大きくなります。 草をたくさん食べました。 邪魔なだけの。 無駄なほどに。 いつもこれだけで何もできません。 子牛たちは太陽を見ます。 生まれて初めて外に出されました。 でも、何の感動もありません。ただ、熱くて邪魔なだけです。生物が本来もつ感情は失われていました。 そしてすぐに列車で運ばれたのです。 工場へ、よく太ってしまった牛たちが、よだれを垂らしつつ、がたごと電車で運ばれてきます。 ここで、死ぬために。お肉になるために。 この工場は牛がお店に並ぶ、誰もがおいしくいたただくお肉へ変貌する所なのです。 今まで、運動もできない小さな監獄に押し込められ、数え切れないほどの草を食べさせられ、何の尊厳も教えられずにでっぷりと太った牛たちが、何も騒がず、鳴かず、静かなままで次から次へと運ばれてきます。 酷く静かでした。なぜなら、このために今まで生きていたからでした。 食べられるために、殺されるために、小さな頃から生きていたのですから、何も感じないのです。何をしてもそうなるので、諦観し、太ったのです。 ですから、工場の見えないところで、殺されました。 無慈悲な機械で、効率的に細かく切られてゆき、お肉となってゆきます。 もう、跡形もありません。 親たちと同じく、跡形もありません。 明日へ遺す物は何もありません。食べられるだけです。 でも、牛たちは何も感じませんでした。どんなに無慈悲な事をされても。 しかし、この牛たちにはさらに悲劇が待っていたのです。 お肉が、牛たちの屍骸が、捨てられたのです。 それは病気の牛がお肉になっていた事がわかったからでした。 こうして食べられるはずだったのに、捨てられます。生き物の屍骸とを扱っているとは思えないほど乱雑に投げ捨てられて。 大量のお肉はどうする事もできず、外に投げ捨てられ燃やされるのを待つだけです。 山ほど溜まり、火葬を待つだけです。 ただ、虫たちとバイ菌たちだけが、やさしく食べていました。 |