僧が気がついた時、その足はどこかへと向かっていました。 周りには、人影がなくただただ淡い光とその光の中の星の様な小さな明るい光が辺りを照らし、その向こうの何か大きな光の方へと歩いていきました。 四方に空に照らすその光は、あたかもその道を祝福するかのようで、僧の気持ちを嬉しくさせました。 ただ、一つの疑問がさっきから絶え間無くよぎっていたのです。 自分は死んだはずではなかったかと、不思議に思っていました。 確かに、僧は死んだはずでした。 吹雪の日、雲水として師を尋ね求め旅を続けていた時です。 道端にボロボロの布切れを素肌に一枚だけ巻きつけた乞食が、凍えていたのです。 そんな乞食に僧は自分の服も食料も分け与え、凍え死にました。 名の無い、忘れ去られる菩薩として生を終えたはずだったのです。 なのに今、どこに行くとも知れず、足は歩みを止めていないのです。 「仏が私を神通力で助けたのか、それとも何がしかの仏の浄土へと私は向かっているのか」 そのような事を考えていると、足が止まりました。 空や四方の星の様な光は何かの唄でも歌っているかのように美しい音を出してきます。 そしてその星の様な光は一斉に近づき、なんと人の姿を現したのです。 星の様な光の正体は全て天人なのか空を飛び、見たことの無い楽器を携えています。空を飛ぶためなのか背には鳥の様な羽を生やしていまいした。 僧が今まで見てきた天竺や明由来の書物にもこのような天人は描かれてはいませんでした。 驚く僧に、天人たちは楽器を鳴らし続け、その美しい音楽はあたりに響きました。 ふと、音がします。 大きな音でした。 「この世の終わり、裁きの時が来たのだ」 そう空から聞こえました。 見ると、僧が歩いていた方向には大きな光があったのですが、その光がより近づき、僧や天人たちを強く照らし出しています。 その中に、人がいるようでした。 髪も髭も剃り上げた僧とは対照的な長い髪にたくましい髭を蓄えた男でした。 その姿と光は釈尊を思い出させました。 釈尊のその肌は黄金色に輝いていたと聞いていたからです。また、その光は諸仏を背後から照らす後光のようにも思えます。 ですが、観世音のような面持ちの中に、何故か仁王の雰囲気を感じてしまったからです。 僧の知る、いかなる仏でも神でもありませんでした。 光の中の男の声が聞こえます。 「あなたの行いはすべて見た。 私の技を知らず、私を頼らずして、私の行いを成した。 あなたの罪は贖われた。 天の国が待っている。これが私の裁きだ。受け取るが良い」 すると僧が声を出しました。 「お待ちください。閻魔様」と。 死んだはずの自分に裁きを下すと言うので、僧は思わずこのように言いました。 男がそれを否定する間を与えずに声を出します。 「私は無知な愚僧です。しかし是非答えてください。 あなたは私に裁きを下したと言いながら、他に人はここには見えません。 一体、一体どこに行ったのございましょう。 仏のいます、極楽でしょうか。それとも地獄でしょうか。でなければ、輪回転生したのでしょうか」 「あなたの国からはあなただけが救われた。転生する事も無く天の国に行く事も無く、他の者は永遠の責め苦が待っている」 とさっきと変わらない声が聞こえてきます。どこか優しげな声です。 しかし、僧にとっては凍え死んだ、あの吹雪よりも凍えるような声でした。 僧にはこれが狐狢の仕業でも妖怪や悪神の魔術でもないことは思っています。 心に唱える般若心経でそのような物はたちまち消えるからです。 ですが、天人たちも光の中の男も消えることはありませんし、狐狢はここまで力強く優しげな矛盾する声を出せる訳がありません。 今、この時は現実なのです。 また、このことも理解しています。この男が閻魔などではなく、それでいて言う事は事実だと。 僧の声は震えていました。 「何故なのです。何故、そのような無慈悲な事をなさるのですか。皆、諸仏に使え神々を祭っていたではありませんか。 何が悪くて、地獄へと落とされてしまったのですか」 「私を寄り頼む事も求める事もせず、世を作り出した私を無視し、何も出来はしない偶像に寄り頼み、私の行いをしななかったためだ。 あなただけが私の行いを成したのだ」 「仏は」 僧の声は涙声になっていました。 「全ての悟りきれない衆生を助けるのではないのですか。導くのではないのですか。何故、地獄に落としてしまうのです」 「あなただけが私の意にかなったのだ」 僧にはその答えが、運が悪い者は地獄へ行くと聞こえました。 僧の国には男の情報が全く入っていなかったのです。 寄り頼む事などできはしません。 運悪く、男の意にかなわない者は地獄へ行くのです。 運悪く、男を知る事ができない者は地獄へ行くのです。 運の良し悪しだけでこの世のことも、あの世の事は全て決まり、やり直す転生はないのです。 そこに憐憫を感じませんでした。 「あなたは何者なのです。人をそのように裁くあなたは何者なのです」 その問いに、男は「私は世を作り、存在し続ける者」だと答え、「あなたが信仰を持っていた仏などではない」とも答えます。 「私に寄り頼むが良い。もう、仏と言う人を頼るではない」 そう、呆然としている僧に言いました。 僧は男に土下座しました。 男は僧の心を読み、残念な顔をします。 それもそのはず、僧は「私を地獄に落として下さい」と叫んだのですから。 僧の心はこうでした。 人々すべてが永遠の苦しみを受けるのなら、私はその苦しみを共に味わおう。 そして、できることならば苦しむ人々に諸仏の教えを分かち合おう。 私だけが、極楽へ行くのはまっぴらだ。 地獄の苦しみこそ、仏は必要なのだ。人々を導く仏は極楽にではなく、苦しい地獄にこそいるべきだ。 私はその永遠と言う苦しみの中で仏になろう。 私が苦しむ事で人々の苦しみをわずかでも除きたい。 もし許されるのであれば、私はそうしよう。 その僧の心は固く決まっていて、動かしようがありませんでした。 光の中の男は使いを一人呼びました。 呼んだのは人の死を扱う使いです。 その使いに、土下座している僧を地獄へと導くように言ったのです。 僧はそこを立ち去り、地獄へと行きます。 こうして僧は多くの人々と永遠に苦しみを受ける事でしょう。 天の国の苦しみを捨て、死を越える苦しみを受けるのです。 僧の足取りを見、僧を導けなかった光の中の男は悲しく思いました。 |