2006.12.19 【ひとりで観覧車に乗ってはいけません】 |
ねぇ、みかちゃん。
最近、街中のススキノの真ん中で観覧車があるの知ってるでしょう? 私、観覧車が大好きでね、乗ったのよ。 でね、それはそれは寂しい思いをしたの。 観覧車はね、好きな人と乗るからいいのよ。 わかる? そう、ひとりで乗ってしまったの。 その時、観覧車は、すいていてね、お客さんよりスタッフの方が多くてね、え?乗るの?早く降りてこないかな、みたいな感じで。いえ、私が勝手にそう思っているだけなの。 見える景色も知ってるビルばかりでしょう? それに高度もあまり高くないの。 だから、家、どっちの方向かなぁとか、あ、あれなんていうビル?っていうこともなく。 そう。昼間なの。私が乗ったのは。昼間に女ひとりで乗ったのよ。 絶対やってはいけないわ。 10分ほどがどれだけ長く感じたことか。 好きな人とだったらその10分が、短く素敵な10分だったでしょうに。 そしてススキノですもの、夜乗るべきよ。好きな人と。 4人掛けの椅子に、全部座ったわ。そう、一人で4人分を演じたの。 だって寂しいし、ヒマなんですもの。一人だし。 そんなにひとりを強調しなくても良いって? それでね、降りてからもびくびくなの。誰か知ってる人に会ったら、どこ行ってたの?って聞かれたらどうしようって。ひとりで観覧車に乗ってましたって答える自分がどれだけ惨めか。 800円だったの。あと200円だせば映画の日ならひとりで映画を見れた金額だったわ。 観覧車は4人までなら800円なの。ひとりでも4人でも。 そして自動販売機みたいなので買うのよね。 ひとり1枚って言わなくて良いのよ。 その手軽さでついひとりで乗ってしまったの。 え?そんなにひとりひとりって強調しなくても良いって? 私、この事を誰かに言うの今日が初めてなの。家族にも誰にも言っていないの。 それじゃぁ乗ったのはいつのことって? そう、2ヵ月くらい前。 秋の深まる頃ね……。 やっと人にこうしてしゃべれるようになった。傷が癒されるのに2ヵ月かかったって事ね。 みかちゃん。あなたは私のような失敗をしちゃだめよ。 そう、あなたも観覧車が好きなのね。 誰ととは聞かないから、好きな人と乗りなさい。 そして「乗ったよ」と私に報告してちょうだい。 |
2006.12.9 【登山と下山についての考察】 |
A「趣味は登山です」 B「ほぅ。あなたは登るのが好きなんですね」 A「はい」 B「下山は?」 A「は?」 B「下山は好きではないのですか?」 A「下山は、好きも嫌いもないですよ」 B「登るのだけが好きだと?」 A「そう言われても。登ったあとの頂上の景色は最高です!」 B「下山には何の興味もないと?」 A「下山も気は抜けませんが、登山とは登ることですよ」 B「それでは極端な話、登ったら下山はヘリコプターで降りても良いということですか?」 A「何故そんな発想になるんですか!」 B「登る事のみに意義があって楽しみがあるのなら、そういう事じゃないですか!」 A「自分の足で登ったから、自分の足で降りるんです。登って降りるのが登山です!」 B「それでは趣味は登下山っていう事で良いですか?」 A「何ですか登下山って。私の趣味は登山ですって言っているでしょう?」 B「何も怒らなくなって」 A「あなたは何を言いたいのですか!?何故そんなに下山なんですか?!」 B「実は、私は、誘われて登山をしたんです」 A「良いじゃないですか。素晴らしかったでしょう?」 B「いいえ。登山は苦しいばかりでした。ただ…。」 A「?」 B「その時、私は下山の楽しさに目覚めたのです!」 A「はぁ?」 B「私には登山は向いていない。でも下山はとても向いている。もしかしたら私は下山のスペシャリストになる素質があるかもしれない」 A「登らなくては、下山できませんよ」 B「そこなんです。登山は嫌いなんです。でも下山はしたい」 A「……。」 B「趣味は下山です」 A「そんな趣味はありません」 B「だからヘリコプターで山まで連れて行って貰って、下山をするっていう趣味は、いかがなものかと」 以上、脳内会話でした。 もちろんBが私です。(笑) |
2006.10.28 【黄色い帽子の思ひ出】 |
私、小学校一年生の時、仙台にいてその時、バス通学だったんです。 当時体が小さく脆弱だった私にバス通学はとてもきつかったような気がします。 小さな体には大きすぎるランドセルを背負い、満員のバスに乗り込むと、ランドセルが人々の体に挟まり、私の足は宙をかき、人の波に挟まれたランドセルごとバスの中を私が行きたい方向の意志とは別方向に持っていかれ、時々小学校前で降りるチャンスを逸し、半泣きになりながら次の停留所で降りた記憶は幻か。 あまりに大昔の事で、すべてセピア色の思い出となった今となってはどこまでが本当の事がよくわかりません。 その小学校で、ひとつ強烈な思い出があります。 ある時、小学校の便所が使えなくなりました。 大量のウジがわいたのです。 おしっこを我慢してガタガタになりながら、帰宅したのを覚えています。 当時の担任はおっしゃいました。 「大丈夫です。2・3日したら全部ハエになりますから」 先生のおっしゃった事は本当でした。 2・3日したらウジ虫は全部ハエになり便所は無事使えるようになりました。 その便所に私は帰りの会の直前に、黄色い帽子を便所の中へ落としてしまい、大泣きに泣きながら教室に帰り、先生にすがって泣いたのを覚えています。あれも幻でしょうか。 西条八十は ========================================= 母さん、覚えていますか、僕にくれた古い麦わら帽子 それは霧深い谷の底に落ちて、とうの昔に失くしてしまったけれど 母さん、あの古い麦わら帽子は、どうなってしまったのだろう 山の斜面に落ちて、まるであなたの心のように、もう僕の手には届かない 突然風が吹いてきたんだ そして僕の帽子を奪ってしまった それはクルクルと渦巻く一陣の風 はるか遠くへ吹き上げてしまった 母さん、あの麦わら帽子は、僕が唯一愛したものだった だけど僕たちはそれを失くしてしまった あなたが僕と過ごした人生のように、それは二度と取り戻せない あなたが僕と過ごした人生のように ========================================= と詩に描きました。 私は、あの歌を聞くと幼かった頃の、か弱く小さかった私と黄色い帽子を思い出します。 ========================================= 先生、覚えていますか、あの黄色い交通安全帽子は、どうなってしまったんでしょう それは奥深い漆黒の穴の中に吸い込まれるように落ちて、とうの昔に失くしてしまったけれど うっかり穴に向けて頭を下げたんだ その時ゴムひもをしていなかったお気入りの黄色い帽子は クルクルと回転しながら 私の手の届かない所へ行ってしまった 先生、あの帽子は私のお気に入りのものだった だけど私はウジわきハエ飛ぶ便所の穴に落としてしまった 黒い闇の中に黄色い帽子が吸い込まれる それは二度と取り戻せない 黒い闇の中の黄色い帽子 ========================================= 私は生まれは札幌です。一歳半の時に仙台市へ。小学校一年を終えて二年生から札幌へ戻ってきました。 でもその時すでに本人は気付かなかったんですが方言が染みついていたようです。 かすかに「おら、やんだ」(和訳:私は嫌です)と言っている記憶あり。 でもこれも幻。 |
2006.9.15 【気の毒な集荷の兄ちゃんY君】 |
ゆうパック集荷の兄ちゃんY君との会話。 Y「なんかね、首が寝違えたのかな?痛いんですよ」 み「はぁ、いよいよだね」 Y「やっぱりいよいよですかね」 み「顔色良くないよ。かなり悪いんじゃない?」 Y「なんかね、自分、もう死んでるのじゃないかな」 み「あぁ、そうかもね。執念で一応集荷にきているけど本体は部屋で倒れている」 Y「なんだかそんな気がしてきました」 み「訪ねてくるような友達いる?」 Y「いないです」 み「じゃぁ、発見が遅れて腐るよ。今日暑いし」 Y「腐りきる前に白骨化の前に誰かに見つけて欲しいです」 み「妹さんとルームシェアしていたよね。妹さんが見つけてくれるか」 Y「妹は……出て行きました。『実家へ帰らせていただきます』と書き置き残して」 み「うわぁ。面と向かって言われたんじゃなくて、メモで?」 Y「そう。メモ1枚で。何が原因だかわからない……。」 み「結婚もしていないのに、もうそんな経験を」 Y「それであの部屋はひとりでは広すぎるので家賃も高いので引っ越しを」 み「でも、Y君は正社員じゃなくて臨時職員でしょ」 Y「そうなんです」 み「臨職で、妹にメモ1枚で出て行かれて、オマケに首が痛い」 Y「はい」 み「でもまだ20代でしょ。治り早いよ」 Y「やっと20代ですけど、気を抜いたらすぐ30代です」 み「気を抜けないね」 Y「毎日すごく気張ってます。気を抜いたらもうすぐ30代になってしまうんで」 み「臨職なら、いつNさん(Y君の上司、局長)に、もうこなくていいって言われるかわかんないね」 Y「……。」 み「メモ1枚で」 Y「やっぱりここでもメモ1枚で?」 み「そう。しかも平仮名4文字だけで。『も う い い』」 Y「そっとメモを差し出されるんですかっ?」 み「『さ よ な ら』とか『こ こ ま で』とか」 Y「なんか首治ってきたような。いややっぱり痛い」 み「じゃぁ、早く見つけて貰えることを願っているよ」 Y「それじゃぁ」 |
2006.9.12 【小ネタ4発+α】 |
・チラシを見ていたら不思議な商品を見つけた。 「アズキのジャム」……。それってアンコっていうんじゃないのか? ・食パンを口の中に入れて、もごもごになった時に、電話が鳴る。 もごもごしていて全然うまくしゃべれない。 ・普段履き慣れない靴を履き、速攻で靴擦れする。 地下鉄駅のキヨスクでカットバンを買おうとするとシャッターが閉まっていた。 「しまった!しまっている!」お、しまった×2だぞ♪と思った。靴擦れ痛い。 ・今、地下鉄駅って打ったら、地下鉄液って変換された……。 ・たった今、赤くライトアップされたみたいな月が、低いところにいる。 あまりの赤さとあまりの低さに、夜空に貼り付けたような月。 |
2006.8.20 【みえない所で勝負してるの】 |
今日、雑誌か何かを読んでいて「ウエルダン」って言葉をみかけた。 う〜ん。この言葉は、私の脳は「苦手」という分野に入れている言葉だ。 私の脳は「ウエルダン」と「ウェーデルン」が、とっさには、またはとっさでなくても、よく考えれば考えるほど、どっちがどっちかわからなくなる脳なのだ。 これはずううっっっっと昔から、そうで、そのたびに新しく覚えるのだけれど、私の日常ではそう頻繁にでてくる単語ではないので、何年かに一度の割しか使わないので、やはりそのたびにわからなくなる。 たった今は判る。この文章を書くためにグーグルで調べたからだ。 前者が肉の焼き方で、後者がスキーの小回りのターンの形だ。 私は、ずっと以前、スキーを習ったことがある。 で、その時にももちろん判らなくなるのだ。 「どのターンを習いたい?」という質問に困ったのだ。 私はその時、そのウエルダンだかウェールデンだかの正式な滑り方を教えて貰いたかった。 しかし、そこで「肉の焼き方」の話をする訳にはいかない。 困った私は微妙な言い方をして切り抜けた。 「ボーゲンは大丈夫です。パラレルはまだ怖いです」 おおお。完璧だ。ウエルダンだかウェールデンだかという単語を使わずに切り抜けたぞ。 ボーゲン<ウエルダンだかウェールデン<パラレル という順番の難易度だからだ。 私は、肉の焼き方を聞かれるようなレストランに行くことはないが、もし行って焼き加減を聞かれ、そこでスキーのターンの話をする訳にも行かないので、そこでも曖昧な言い方で切り抜けるのだろう。 スキーの話をしているのに、肉の焼き方の話で返してくる人。 肉の焼き加減の話をしているのに、スキーのターンの話で返してくる人。 そんな人は、私の他にも全国至る所にいると思う。(私は会ったことないけど) どうか温かい目で見てやって欲しい。本人は、一か八かの勝負でいっぱいいっぱいで話しているのだから。 |
2006.5.13 【逃げまどう】 |
友人と話していて、その人が「庭に生えている三つ葉を……」その先の言葉が出てこない。 たぶん「料理して」がその後に続く言葉なんだろうなと思って、辛抱強く待った。 待った先に予想外の言葉が出てきた。 「つかまえて」 「捕まえる」ですか!「庭に生えている三つ葉を捕まえる」だったのですか!「とる」という言葉が出てこなくて、事もあろうか「捕まえる」! 逃げまどう三つ葉を執拗に追いかけ、 「ひっひっひ、そうやって逃げるが良い。無駄なことじゃ」 老婆は手に持っていた鎌を振り上げる。 泣いて足にすがって命乞いをする三つ葉。 「どうかどうか命ばかりはお助けを」 「ええい、うるさいわ」 情に訴えても無駄と知ると再び逃げだそうとする。逃げ道はない。隅に追い込まれる。 鎌を使うまでもなく、三つ葉は老婆の手に落ちた。 「手こずらせおって。やっと三つ葉を捕まえたわ」 こんな感じ?(笑) 友人を老婆にしちゃったけど。きゃはは。 |
2002.5.3 【少し痛い思い出(ぼっとん編)】 |
ぼっとんに関する思い出。 小学生の時、家はぼっとん式だった。 気持ちよく晴れたある日。家はあちこちの窓という窓を開けはなって、外の清涼な空気を取り入れていた。 そこに汲み取り車が来て、我が家のモノを汲み取り始めた。 臭い! そう。もうめちゃめちゃ臭い! 私は、家中を走り回って、窓という窓を閉めはじめたのである。 で、ソファーに気楽に寝転がっている弟に向かって大声で叫んだのである。 「臭いんだから、そっちの窓も閉めて!」 大きな声で叫んだので、その声は外にも聞こえたであろう。 私は、そのとき内心「しまった」と思った。 外では汲み取り作業をしているおじさん達がいる。(だいたい2人一組で作業している) おじさん達は、私の声を聞いたらどう思うだろう。この作業はおじさん達の仕事なのだ。それはとても臭いけれど、その仕事が我が家のぼっとんをアレから溢れる事から救ってくれている。 あぁ、なんてデリカシーのない私。私のバカバカバカ。 小学生の私は、自分の言葉にひどく傷ついたのである。 中学入学の御祝いに万年筆を貰った。 それを私はぼっとんに落としてしまった。万年筆は穴に吸い込まれるように落ちていく瞬間、名残惜しげに挨拶のようにキラリと光って異界への穴に旅立っていった。 万年筆は、インクが無くなると入れ替えてずっと使うことが出来る。ずっとずっと使えるから「万年」筆なんだ。でもぼっとんに落としてしまったら万年どころか1ヶ月の寿命だ。 吐かない……いや違う、儚(はかな)い。世の無常を知った12歳の春。 |
2002.4.30 【会報】 |
異界へ通じている穴との対峙する時は、日に何度も訪れます。 そして私など粗忽者は、「落ちかかる」「モノを落とす」などの憂うべき目に遭うことしばしば。 いったいどのくらいのモノを落としただろう。 帽子、スリッパ、中学進学の御祝いに買って貰ったばかりの万年筆やその他にも信じられないモノも落としています。(←この部分は葱機密に関することなので内緒♪) で、その異界への穴に吸い込まれるように落ちていったものたちは、一瞬キラリと最後の輝きを残してあちらの世界に逝ってしまわれるのです。 そう。スリッパでさえも!(笑) この世に二度と帰ってくることが出来ない運命を受け入れ、それを見送っている私のせめてもの印象に残るようにとの最期の輝きとでも申しましょうか。 「あっ……。」 それは一瞬の出来事であり、キラリと光るは永遠の惜別の挨拶だったのです。 ぼっとん便所にモノを落としたくらいで何を力説してるんだか。(笑) |
2002.4.29 【ぼっとん便所を語り継ぐ会】 |
さて、今日は、ぼっとん便所を語り継ぐ会の会報をお届けいたします。 ぼっとん便所における「オツリ」とは、つまり「跳ね返り」の事である。 いったい何が跳ね返るのか? ぴんぽ〜ん! 正解です。 今あなたが思ったモノが跳ね返るのです。 そう、まさか。そんな。うっそぉ。のアレです。 ぼっとん便所は、溜め込み式なので流れていきません。いつまでもそこにおわします。 昼間は暗い穴が開いていて中の様子はうかがい知ることができません。 さながら地獄への入り口かと思われるような、油断すると吸い込まれそうな、そんな濃い暗闇を有する穴です。そこはかとなく弱い風が吹き上げてきているような感じがします。 問題は夜です。真上に電気があったりすると、しかも間違って100ワット電球なんかつけて明るくしてしまうと、何もかも見えてしまうんです。 何が?って、溜め込んでいたモノがですよ。昨日のもの一昨日のもの。家族のもの。何もかもがずっとそこに鎮座しておりますのです。 さて。溜め込むばかりではいけません。溜め込みすぎるとだんだんモノが迫ってきます。 自分に近づいてくるのです。これは困る。 で、時々汲み取り屋さんがくるんです。 ちょうど現在の灯油を運ぶタンク車のようなくみ取りタンク車というものがあったんですよ。 あれがやって来て汲み取っていってくれたんですよね。 で、そのタンク車にはちょっとじゃばら状の大きなホースがついていて、それがどっくんどっくんと波打って吸い上げているのを見るのは、もうなんというか想像力を刺激されまくりでしたよ。 今、このホースの中を……。って考えるともう、それはそれは食欲も減退というかダイエットにはいいですね。(にこっ) で、臭いです。 |
2001.9.20 【本当はチェリストという】 |
ある親子の会話 「ぼくは、大きくなったらチェロリストになるよ」 「え?!そ・そんなこと言うもんじゃないよ……」 「どうして?」 「国際犯罪者になってしまうんだよ」 「そんなことないよ。ねぇ、お父さん、立派なチェロリストになるためにチェロリストの教室に通いたいんだ。チェロリストの勉強をしたいの。そしてテレビに出るようなチェロリストになるからね」 「そんな教室などない!テレビになんぞ出ないくていい!」 こうしてチェロ奏者の才能は開花することなく早い内から芽が摘まれてしまうのでした。 「お父さんの知ってる有名なチェロリストは誰?」 「え?び…びん、らでぃん……かなぁ」 「すっごぉい、僕その人知らないっ。凄いのその人?」 「すごいっていうか、世界を震撼させている人だよ」 「世界中がしびれちゃってるってこと?」 「しびれているかなぁ…。」 「僕も世界中に注目されるようなチェロリストになりたいっ!」 「やめなさいっ!」 かくして、チェロ奏者としての才能は芽を出すことなく摘まれるのであった。 作文『大人になったら』 「ぼくは、大きくなって大人になったら、お父さんの尊敬する、びん・らでぃんのような立派なチェロリストになって、世界中の人々をびっくりさせるようになりたいです……と。お父さん、宿題出来た!」 「どれどれ……? おいっ!なんだこれは!俺はテロリストなんぞ尊敬してないぞ!それにこんな作文、学校に持って行っちゃダメだ!書き直しなさいっ!こんなもの。破ってやるっ!破ってやるっ!破ってやるっ!」 「わぁん、わぁん、やめてよぉ。やめてよぉ。やぶかないでよぉ。一生懸命に書いたのにぃ。わぁん、わぁん」 非行の小さな芽が発芽する遠因となる可能性を秘めた出来事であった。 こうしてチェロリスト志望の少年はテロリストになるかもしれない最初のきっかけを得たのであった。 |
2001.7.1 【メンデルの法則】 |
知人にメンデルについて語った。するとその人はグリム童話について語りだした。 最初訳が判らなかったけれど、すぐに気付いた。 <メンデル→ヘンデルとグレーテル→グリム童話> たぶん頭の中はこういう状態になっていたんだろうと理解したのである。 |
2001.6.26 【横断歩道は手を繋いで】 |
昨日みた口径……ではなく光景。 犬を連れた人が横断歩道に差し掛かったとき、おもむろに犬の前脚を持って渡りだした。手をつないで渡っているらしい。 犬は白短毛の中型の雑犬で、犬はとても迷惑そうだった。前脚を持ち上げられているので(片方だけ)後ろ足で歩くしかない。ぴょんぴょんと不器用に横断歩道を渡る。 飼い主は50〜60代のぱっとしないおじちゃん。コンビニでの買い物帰りっていう様子。 当然という顔をしている。横断歩道を渡りきると犬の前脚を放し、普通の飼い主と犬という関係のフォーメーションに戻る。 横断歩道は手をつないで渡りましょう……という事なのでしょうか? |
2001.4.28 【犬は入っちゃダメ! と言ったおじちゃんへ】 |
そうだね。「犬を入れないで下さい」という立て看板があるよね。うん。 それじゃさ、 サルはいいの? 犬がダメならサルは? サル連れてくるよ。 もしサルがダメなら“サルのような人”は? それがOKなら“人のようなサル”は? “サルのような人”ってサルみたいなんだよ。いいんだね?もしその人を連れて私が歩いていたら「サルは入っちゃダメ!」って言ったら人権問題だよ。人をサル扱いしたばかりでなく、立ち入る事を禁じたのだから。 見かけは“人のようなサル”の方が人間らしいんだよ。どう? まっ、ね、犬立入禁止の看板があるのに犬連れで入ろうとした私が悪かったさ。 でもね、夜、キツネはあそこを通っているよ。キツネはいいの? それとも夜中じゅう見張ってる訳? あっ、そうか禁じているのは犬だもんね。ふぅん。あのね、これ犬に見えるでしょ。 でも“犬のようなキツネ”なんだよ。 いえいえ。まぁそれは冗談だけれど、私は別にとがめられた事を根に持ってこんな事を言ってるんじゃないんだよ。 その見かけで決めつけるあなたのその価値観に対して違和感を持った訳。 何? その妙な者を見る目つき。 不満そうな口。 サル連れてくるよ。 サルは犬じゃないもんねー。へっへっ。 でもサルのようでサルでないかもしれないから注意するときは気を付けてね。うふふん。 |
2001.4.20 【仲裁】 |
見知らぬ男ふたりがケンカをしているというシュチュエーション。 もう激しく言い争っている。このままではつかみ合いにならんばかりの勢いだ。 そこに私がしゃしゃり出るのである。 「ふたりとも、私のためにケンカはやめて!」 お前、誰……。という事になってケンカは治まるだろう……。 いえね、こんなセリフを言ってみたくて。えへへ。 |
2001.4.18 【葱は永遠】 |
あの鮮やかな緑色から白色にかけての、恍惚感をいざなうグラデーション。 輪切りにすると同心円状の黄緑色の輪が幾層にも重なり合い、その様子は混沌ともカオスとも輪廻ともでも表現できようか。 そしてあの個性的な香り。鼻孔を通して体に入ってくる、活力と生きる力と励ましの香り。 視覚的には、スリムで物足りないくらいのシンプルなその形状に、先の方で折れ曲がりアクセントを付ける気配り。 舌は、生ではピリリと、火を通せば甘く、その味覚を存分に堪能し満足を得る。 触れた感触は、人を寄せ付けない冷ややかさを保ちながらもどこか庶民的でもある。 そして音。葱は無音だ。葱は無口だ。葱の沈黙。それは僕らに真理を問いかけてくる。 |
2000.9.12 【月の粉】 |
きょうの月は、大きく見えるだろう? なんだか手を伸ばせば届くような気がしないかい? わっはは。手を伸ばしたっておまえじゃ無理だ。もっと背が高くないと。このおれでさえも、とっても届きゃしない。 のっぽのジョジョを知ってるかい? ジョジョくらい背が高くて腕も指も長かったら、みんなで脚立を支えてやってジョジョがそのテッペンで、つま先立って、う〜んと 頑張ると右手の中指のほんの先っちょが届くんだよ。どこにって月にさ。ホントだってば。 その証拠に、その指先には、月色の金粉がちょっとついているんだ。 その粉を隠し味に料理をつくるとな、それは素敵においしいスープが出来上がるんだ。 まぁ、腕の良い料理人ってのは、そういう粉を隠し持っているってことさ。 料理人にのっぽが多いっていうのもそういう訳なんだ。 |
2000.8.20 【実際にあった怖い話し】 |
以下、知人から聞いた話です。 俺、ちょっと前まで、2ヶ月くらい深夜のビデオ屋のアルバイトをしていたんだ。 閉店時間になっても、客がひとりいる事をレジにいて盗難防止ビデオで確認したから、注意しに行ったの。でもね、その場所に行くといないんだ。 あれ? 別の棚の裏の方に移動したのかな? と思ってレジに戻りビデオで確認するとさっきの場所に同じ姿勢でいるんだよ。おかしいな? と思ってビデオ2台で写して確認してやれと思い、 もう一台のビデオをその彼のいる方に移動するようにこっちで操作して、もう一台の写っている方を見ながら確認しながらね、こう、もう一台を動かしていった訳。 するとね、俺、見ちゃったんだよ。もう一台が彼を捉える時、パッと消えちゃう瞬間を! 消えちゃったんだよ。消える瞬間見ちゃったんだよ。 そいつが店内に入ってくるの、俺、覚えているんだよ。友達と一緒に2人連れで来たんだ。二十代ちょっとの今時のヤツで、チェックのシャツに帽子をかぶって。足はあったよ。ちゃんと。 一緒に来たヤツが帰ったのにそいつ帰ってないのも覚えてるんだよ。俺。 あれ? 一緒に帰んないのかなって思ったんだもの。 え? それじゃビデオに消える瞬間残ってるんじゃないかって? 深夜、俺ひとりだったんだよ。もう怖くなってビデオを再生してみる事なんか出来なくて、そのビデオがあるっていうだけでも怖くって、 上からダビングしてもう見ることが出来ないようにしてから帰ったんだ。 オバケ自体は普通のヤツだったよ。うん。 |
2000.8.13 【人の多さと人恋しさ】 |
数ヶ月前、「渋谷」という所に行く機会があった。 その日は何か特別の日なのかと思った。「今日は、お祭りなの?」と私は聞いたものだ。 札幌では人の出が一番多いと思われる「よさこいソーラン祭り」の時のピーク時の人の出が、渋谷では24時間365日あの調子らしい。 人間なんかこんなにいらない。半分減らしてしまおう。こんなたくさんいるんだから半分いなくなったって構わない。そういう考えが頭をよぎるのは私だけではないだろう。 しかし、そのいらない半分に自分が含まれるのは嫌だ。必要のない人間を半分選べというリストを作成したら私は多分含まれるだろう。困った。 ある新聞少年の話し。 ずっと遠くの人里離れた区域の未明の配達。 左側は黒い森。右側は延々とお墓が続く一本道。 街灯はあるがセンサーでもついているのかと思うような嫌な壊れ方をしている。点灯しているのだが人が近づくと消えるのだ。振り返ると付いている。これじゃ逆センサーだ。 そうやって消える街灯と共にお墓の横をいかなければならない。 こんな時間に人は誰も通る訳がない。あぁ、誰か人が来ないかな。そうだA新聞の配達の人来ないかな。今日は遅いな。 ライバル新聞のバイクの配達の音が聞こえてくるとほっとすると言う。 私も似たような経験がある。 朝早くの住宅街を走っているとたまに人とすれ違う。知らない人でもどちらからともなく挨拶をしあう。「おはようございます。」 森の一本道を数十分も人と会わずに歩いていて人とすれ違うと挨拶をする。「こんにちは!」 あいさつの後、話しをしても一向に不自然ではない。 夜、真っ暗な峠道を車で走らせている。そしてやっと見えたひとつの光。あぁ、あの光の下にはきっと暖かい食卓を囲んだ家族の団らんがあるに違いない。 その光に見知らぬ人のぬくもりを勝手に想像してほっとするのである。 大袈裟にいうと生命が愛しい。懐かしい。 人は人の気配のない所で生きていくのは寂しいと感じるものなんだな。 それでも!東京渋谷は人、多すぎ。あれをみたらやっぱり「半分いらないや」と思うのだろう。 |
2000.8.2 【落とし穴】 |
久々に油彩で写生旅行に出掛ける事になった。 とても楽しみにしていた。準備段階から完璧だった。朝5時に出発! 場所は、積丹半島という大雑把な見当しか付けないで車でポイントを探しながら車中一泊の予定で。 北海道にしてはバカ暑さの36度を記録する猛暑の中、巡り会ったポイントは島武意(シマムイ)海岸というこの世と思われないような綺麗な海を持つ海岸だった。 絵にも描けない美しさ。それじゃ絵には描けないじゃん。で、その中でもここというポイントを決めた時は朝8時過ぎ。それでも焼け付くように暑い。ポイントが日陰になるまで岩陰で涼をとった。 その岩陰も日がズレてきたので大きなニセアカシアの木陰で下草が柔らかい所に引っ越してポイントが日陰に入るまでそこでぼんやり過ごした。 空を眺め、海の透明度に感銘を受けこれから描く絵に思いを馳せ、日常の些末な事を客観的に想い、地元の人と語らい、観光客を観察し、7時間過ごした。 私の計画は完璧だった。涼しくなってから午後4時から午後7時まで描く。暗くなったら車の中で寝る。明るくなったら起きて(3時半起床)午前4時から午前7時まで描く。合計6時間も描ける。 私は描きだせば早い方だから時間が余るかも知れない。おお、完璧だ。 そうやってウトウトしたり、流れる雲を見たり、知らない人と話したり。そうこうする内に午後3時になって少し涼しくなってきた。ちょっと用意しようかな。 筆、オイル、パレット、絵の具……あれ? キャンバスが……ない……。忘れた? 話しにならないと言うよりも、話しにしかならない……。オチがない行動は出来ないのか! 私は。 幸い水彩と葉書サイズの紙は持ってきていたのでスケッチは、たくさんしてきたけれど。 |
2000.7.27 【物質変化の法則または小人の仕事】 |
「物質は、変化し、一定の場所にとどまらない」 これが私が物質に対して持っているイメージである。 あれ? たしかこのあたりに置いておいたはず……。ここにしまったはずなんだけれどいったい何処に行ってしまったんだろう?さっきまでここにあったのに! なんでないの! しかもなんでこんな物がここにあるの?! このように私の日常は、ほとんど物探しに追われている。人生の大半を探し物に費やしているような気がする時がある。物を探すために生まれてきたようなものだ。 物質は、消えたり、突然、妙な所から現れたり、違う物に変化したりする定まらない物である。 え? そんなはずはない? んんんそうかなぁ……。それでは別の仮説を立ててみよう。 私の寝ている間に見えない小さな小人が、物を動かしたり、違う物に置き換えたり、隠したりしている。そうとしか考えられない。 何のために? それは笑うために。私が慌てふためいてものを探しているのを物陰から見て笑っているのだ。 小人の名前はユーディーという。 ユーディーの仕事はだいたい真夜中。または私が出掛けて留守にしている時。彼らはとっても忙しい。 そうそう、ある時、貧乏なクツ屋さんを助けるために一晩がかりでクツを作り上げた話しは 彼らユーディー達の仕業なのだ。私の所にいるユーディーは、そんな気の利いたことはしないがね。宿主と同じように面白がりなヤツなのだ。ウチのは。 |
2000.7.15 【最高に可笑しい話】 |
たぶん可笑しさでは今年最高の話しだと思う。 ここ数年でもトップクラスの笑える話しだと思う。しかしそれを伝える事が出来ないのだ。 人には誰にでも絶対に知られたくない秘密というものがある。たとえ親兄弟であっても親友や愛する人にでも、絶対秘密にしておきたい事があっても良いと思う。 で、私の遭遇したその最高の可笑しい話しというのが、私が誰にも秘密にしておきたいという部分を説明しないとその話しが始まらないのだ。 だからその最高の話しを私は誰にも話す事が出来ない。 あぁ、こんなに可笑しいのに! 誰ともこの可笑しさを分かち合う事が出来ないなんて! しかたがないので私は、たったひとりになった時、思い出してあははと笑うしかないのである。こんなに可笑しい話しなのに。 あははははははははっはははははははははあは! |
2000.7.12 【金は天下のまわりもの】 |
「金は天下のまわりもの」とは言うが、私にはまわってこない。 何故なら、私は、「天下」に住んでいないのだ。 そう、私は「天上人」。(大笑) |
2000.7.10 【そんなつもりじゃ】 |
ある時、マスクをはずせない状態になった。まぁ、マスクをしていても別にそう目立つことでもない。花粉症の人も多いしね。 その日、日差しが強い日でまぶしくて、日焼けしたくないので帽子をかぶって外に出ようと思った。この日、金融機関に用事があった。銀行と郵便局。それにしても日差しが強いな。 サングラスをした方がまぶしくないだろう……。そう思う思考に間違いはない。 玄関にある鏡を見て、私は愕然とした。 わざとらしい白いマスク。まぶかにかぶった帽子。濃い色のサングラス。 この姿は! これから金融機関に行く姿としては、あまりに似合いすぎているじゃないか! |
2000.7.4 【皮】 |
物にはだいたい皮と身がある。 今はその片鱗もないが私は幼少の頃、少食だった。 少食の私は食べづらい堅い物が苦手だった。皮は大体が身より堅い。だから皮など嫌いだった。 給食で食パンが出た。少食の私は全部食べることができない。堅いところが嫌い。だからパンの皮の部分を残した。(何故、あの部分をパンの耳というんだ?あれが耳なら目はどこだ?) 毎回パンの皮を残している私を見た先生がクラス全員に向かって言った。 「パンの皮の部分に栄養がある。皮を残さぬように」 嘘である。先生の嘘つき。私は嘘つきとキツツキが嫌いだ。(これも嘘。私はキツツキも、餅つきも好きである。) 純真な小学一年生だった私は、この嘘に騙されてその日は、パンの皮の部分のみ食べて、白いふわふわの部分を残した記憶がある。 先生は嘘を言ったが、それでも皮にひっついた身の部分に栄養があるというのは、良く言われている。(パンは嘘だよ。どうひいき目にみても嘘。) 鮭の皮にひっついた身の部分。ブドウやリンゴもそういうことだと聞いたことがあるような気がする。でもスイカやメロンは違うと思う。 そういえば「スイカとメロンは嫌い。カブトムシの食べ物だよ」っていう知人がいた。 そうか? カブトムシにはポカリスエットもいいんだぞ。蜂蜜だって好きに違いない。カブトムシが嫌いか。あぁ、カブトムシ。話しがズレた。今日のテーマは・・・あっ皮だった。 皮。皮を食べるか食べないか。 これは「粒あん」か「こしあん」かということに代表されると思う。 粒あんは皮ごと。こしあんは皮の部分を漉して捨ててしまうのだろう。何故ならば、なめらかな舌触りのために!あぁ、そんな一瞬の快楽のために、(たぶん)栄養のあるアズキの皮は捨てられてしまうのか! 何故、物を食べるのか。栄養を摂取するためである。極論をいえば味なんかどうでも良い。ましてや舌触りなんか論外である。 さて、暑い。暑いので冷たい物を食べようと思う。 冷たい物で好きなのは、ソフトクリーム! え? シャーベットしかない? そんなぁぁぁ……シャーベットは嫌。だってジャリジャリするんだもん。ソフトクリームは舌触りがなめらかで好き。 ん? さっきと言ってることが違う? そう? 私は、嘘つきとキツツキが嫌いなんだってば。(嘘嘘。あはは。) |
2000.6.28 【超能力者と葱】 |
知ってる人がいるかもしれないが、私は長きに渡り「葱色空間へようこそ」という妙なサイトを運営管理していた者である。 別に「葱好き集まれ!」「葱の美味しい食べ方」等という葱礼賛のHPでは決してない。まぁ、そのサイトの事は置いておくとしても、お陰で「葱」「ネギ」「ねぎ」という字や ネギそのものに敏感とういか過剰に反応するという後遺症を抱えて現在に至る。 その私が昨日、妙な文を読んだ。「ネギと哲学と金儲け」という文である。 ある超能力者の悩みなのだが、自分の力を放っておくと、他人の思念がどんどん頭 の中に流入してきてしまう。その場にいるすべての人の考えが流れ込んでくる。それに対して無防備でいると、自分が誰なのかわからなくなってしまい、 他人と融合してしまうような、そういう恐怖を常に感じてたという。そうならないために、自分の力をいつもセーブして抑えようとしてきたらしい。 彼の半生は、いかに自分の力をコントロールするかという事に力を注いできたというのである。 そして超能力者とういものは発狂しないためにコントロールの方法を情報交換しているらしいのである。 で、問題はこの先なのであるが……。「ネギを食うのはとても良い」というのだ。それはいろいろな超能力者が言っている臨床データというのだ。 この場合の「良い」というのは、「ネギとか、ニラとか、ニンニクとか、ああいうもの食べると能力が低下します」という意味だ。 それと一番有効なのは物事を論理的に考えること。つまり哲学などを勉強する事。それと金儲けについて思いを巡らすのも効果的らしい・・・。 私を良く知る人は「嘘!」と叫ぶかも知れないが、私は論理的思考が好きで自分でもそういう思考をするものと思っている。(こらこらそこで反対意見を言わないの。)お金にはあまり縁がないからそこそこ 金勘定はしているし……。ネギはともかく、ニラ、ニンニクはかなり好き。ネギも好きだけれど。 ここで少し重要な事がある。 私は、ほんのちょっとだけ電波系っていう体質だという事。 いえね、たいしたことはないんだけれどね。ほんのちょっとだけテレパシー系なの。 ふぅん。それじゃね、私は超能力者としての苦悩を負うのを避けるために、無意識下でネギ類を好み、サイトまで立ち上げ、論理的思考を好み(こら、そこニヤニヤしない!)、煩悩と金勘定に追われる日常を 選んでいたのだろうか。 そういうことを無意識に選ぶ事が出来たのは、私が超能力者だからに他ならない。 |
2000.6.27 【たなびく星条旗】 |
「ボニー、この写真どう思う?」 「あら。またずいぶん古い写真ね。アポロ計画の時の月面の星条旗の写真ね。それが何か? クライド。」 「何か変だと思わないかい?月面は真空だろう?どうしてこの旗は、たなびいてるんだろう。まるで風が吹いているようだよ。」 「あら、ほんと。これってハリウッドで撮影したものなんじゃないの?」 「そうかな。」 「きっとそうよ。当時ソ連と宇宙開発で争っていたんでしょう? きっとこういう決定的な写真が欲しかったのよ。」 「それでハリウッド?」 「そう、それでハリウッドに撮影を依頼したのよ」 「それじゃ、あの時の映像もみんなハリウッド製?」 「うふふ。たぶんね。 クライド、見て! 今夜は見事な満月だわ」 「ボニー。あの月よりもきみの方がずっと……」 「何? その陳腐な口説き文句は。 クライド、あの月には、たなびく星条旗があると思う?」 「たなびく星条旗はハリウッドの物置にひっそりとあるさ」 「月に行って確かめるのと、ハリウッドの物置を探すのと、どっちがいいかしらね」 「キミの望むままに、僕は確かめてあげよう」 「あなたが月へ行って確かめるのを待っていると、私おバァちゃんになってしまうわ」 「それじゃ、今度の休日、ハリウッドの物置にふたりで忍び込もう」 「あら。ふたりで物置に? わくわくするわね」 |
2000.6.26 【妖怪】 |
人は長く生きると妖怪になる。 みんながみんな妖怪になるという訳でもない。妖怪にならずに天寿を全うする人も数多くいる。 妖怪になりやすい業種というものも存在する。政治家には妖怪顔が多い。どうしてなんだろう。 あの顔もこの顔も妖怪顔だ。若い頃のフィルムを見る機会があるとする。初当選の頃は、妖怪の気配もない。人間の顔である。 妖怪になりかけという顔もある。妖怪街道まっしぐらだ。 妖怪にならないとやっていけない世界なのだろうか。人である事をやめねばならない世界なのだろうか。 妖怪顔に牛耳られて私達は暮らしている。 |
2000.6.25 【水物語】 |
気の遠くなるような時間の中を、僕はこの星を循環している。 生まれたときの事は覚えていない。長い長い時間漂っていた。 ただ漂っていたのだが、その内、いろいろな目にあっていることに気付いた。 僕は水。 大勢の仲間と共に大洪水を起こしたこともある。 巨大な恐竜のオシッコになった事もある。 地中深くに潜って1mを百年かけて移動して清純な湧き水として地表に出てきたこともある。 水蒸気となったり、氷となったり、また水に戻ったりしながらこの星を循環する事を僕はまだまだやめないだろう。 明日は、あなたの朝のコーヒーになるかも。 |
2000.6.23 【道を渡る】 |
日差しの強いアスファルトの道路を渡る青虫、毛虫。どこに行こうとしているのだろう。向かうその方向に未来はない。草むらに背を向けて道路を渡ろうとしている。 何がそうさせるのだろう。自暴自棄? 未知の世界へ冒険? 荒行? 昆虫の幼虫の悩みは深く私には計り知れない。 車通りの多い道路を足早に渡ろうとする犬猫を時々見かける。 道路の向こう側に用事があるのだろうか? あるから渡りたいのだろう。 犬猫の用事。危険に身をさらしてまで渡らなければならない用事。 車の恐ろしさを知ってるだろうに。無事に渡って用事を足してこいよ。 犬猫の命をさらしてまでの道路の向こう側の用事については、私の想像を越える。 私は、人だから人のタメに作られた道路については、昆虫の幼虫や犬猫よりは、その先にあるものが解る。だからその行動の先にあるものに未来が見えない。 もっと俯瞰して見ることができる目を持った者がいるとしよう。 その者から見た私達「人」が渡ろうとしている「道」。 あぁ、いったい君たちは何処にいこうとしているんだ?そう思われているようで。 私達は、昆虫の幼虫や犬猫と同じ、道の向こうに無謀な未来をみている生き物だ。 |
2000.6.22 【カツ丼】 |
いままで救急車には何度か乗る機会があった。 しかしまだパトカーに乗った経験がない。それはたぶん良いことなのだろう。乗りたいのか?と自問する。う〜ん。まっ、状況によるよな。重要参考人って立場として乗るのは嫌だし。 パトカーのような特種な乗り物に乗りたいという子供じみた興味の他に私が気になっているのが、実は「カツ丼」である。 警察署と言えば「カツ丼」。本当なのだろうか。尋問の途中でお昼になったとき「カツ丼」が出てくるのだろうか。「親子丼」でもなく「卵丼」でもなく「カツ丼」。 勿論この強力なイメージはテレビドラマからきたものである。ではなぜテレビドラマはことごとく「カツ丼」なのだろうか。それは事実だからなのでは、と私は思ってしまうのだ。 警察署はカツ丼屋と癒着してるがごとく当然のようなカツ丼。 警察署のカツ丼はうまいのだろうか。メニューの選択の余地などないのだろうか?カツ定食ではダメなのだろうか? それらの疑問を一挙に解決する方法がある。パトカーに乗って警察署に行くこと。 さて、どんな立場で? 容疑者? 被害者? 最重要参考人? さてさて悩みどころである。 |
2000.6.21 【白い蛾】 |
山で生まれた白い大きな蛾は、光を目指して飛びたくなりました。 眼下には、大都会の織りなす夢のような光がありました。 すぐ近くには街灯のオレンジ色の強い光がありました。 仲間達はそれぞれ思い思いの光に向かって飛んでいきました。 白い大きな蛾は、どの光よりも魅力的なひとつの光に魅せられました。 「あの光を目指そう。」 それは、漆黒の夜空に輝く大きな赤い満月でした。 翌朝、白い大きな花びらのような一匹の蛾が力つきて道端で死んでいました。 |
2000.6.20 【草を食う】 |
ミズバショウと言ったら大体の人は、あぁ知ってるよと、その独特のフォルムの花を思い浮かべる事が出来るだろう。 その花の寿命は短い。花が終わった後、目立たなかった葉が巨大化する。1mくらいにはなるだろうか。私はその巨大化した葉をみると「これが食えれば」と思うのだ。 チンゲン菜に似てる。巨大化した肉厚なチンゲン菜……じゅる。うまそう。食用になって栽培されていない所をみると食べられたしろものではないのだろう。 ある公園の花畑でスズランを見かけた。畑の野菜のようにウネを作って整然と並んで植えられていた。それだけでスズランのイメージから離れ、ほうれん草等の葉野菜の面影を見て取ってしまうのである。 草食動物の気持とはどんなものなんだろう。 あたり一面の食べ物! 見渡す限りの食べ物! あぁ、あの地平線の彼方まで地表は食べ物で覆われている! 見える草は全部私のもの! こんな文を書いている私は、腹が減っているのだろうか。 |
2000.6.19 【無限の未来】 |
私達の前には、無限の選択肢がある。 今これを読んでるあなたが何歳かは知らないけれど、目の前にある無限の選択肢のなかから「これ」と選んで今現在そこにそういう立場でこれを読んでいる所まで来たはずだ。 これを読み終わった時点でまたどんどん選択肢がある。そのどれかをその時その時選択肢を選びながら私達は未来へ時間を進めていく。 でもね、どの選択肢を選んだら正解かということはないんだよ。わかる? どの選択肢でも正解なんだよ。まったく違う正反対の選択肢を選んだとしても。 選んだ選択肢の中で、「どのような関係をつくることが出来るのか。どのくらいまでの境地にいくことが出来るのか。」つまりは、そういうことなんだと思うようになった。 だから選んだ選択に迷わないで。選んだからには迷わないで。 これを選んだからこうなったという自分のせいや他のせいにしないで。 現時点でも目の前に無限の選択肢が用意されていて、私達はそのどれかを選びながら未来へ時間を繋いでいくのだし。 |
2000.6.18 【宇宙基地】 |
赤くて大きい満月の夜だった。 急に友人が訪ねてきてロープウェーから月を見ようと誘ってくれた。月好きの私は喜こんでその話しに乗った。 私の住んでいる所は札幌である。藻岩山という市民に親しまれている山があり、そこから札幌の街が一望に見渡せるのである。そこには車でも行けるし、登山口もあるし、ロープウェーも通っているのである。 で、そのロープウェーに乗って月を見に行ったんですよ。 そしたらね、凄かったぁ! 眼下に広がる札幌の夜景。そしてまるくぽっかりとして宙に浮いてる月。 この風景は!知ってる! 幼い頃、読みふけったSFの世界じゃないか! 宇宙ステーションの風景じゃないか! そうして感動して家へ帰る……と、私の家は山の方なんですけれど、家の近くには森があるんですけれど、家路の途中で見える満月は花札の「ボウズ」の ような満月なんだよ。 見る場所によって、宇宙ステーションになったり、オリエンタルな郷愁を誘う構図になったり。 あぁ、月って大好き! |
2000.6.17 【犬を送りあう】 |
昨日新聞記事を読んで笑ってしまった。 北朝鮮と韓国が友好のしるしに犬を送りあったというんだ。 犬の名前がまた凄い。北朝鮮側から送った犬の名が「自主」「団結」 韓国から送った犬の名が「統一」「平和」 友好のしるしに犬! っていう所も驚いた。 だって犬だよ、犬。 うちのモサクと同じ犬。同じじゃないけれど犬だよ。 自主、団結は、豊山犬という血統書付きらしい。 統一、平和は、珍島犬という血統書付きらしい。 でも、ちょっとみは、そこら辺にいるどこにもいる犬にしか見えないのは私だけではないはずだ。 季節の変わり目には、抜け毛が抜け落ちる犬! 山を散歩させれば顔にダニを付けてくる犬! パンダのような希少動物ではなく、犬! 私が笑ってしまったのはそしてその名前! 小学校の時の学級目標「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」なぁんて言葉を思いだしてしまったじゃないか!(大笑) 犬の名前としては、ポチとかジョンとかモサクとかが妥当と思うんだけれどな。 「自主、お手! お座り!」 「団結、散歩の時間だよ。」 「平和、喧嘩しちゃダメ。」 「統一は、魚より肉が好きだねぇ。」 あぁ、犬だ。 |
2000.6.16 【創作:生臭くも倒錯した小宇宙】 |
蟹味噌のうまさと生ウニのうまさはは絶品だよね。 取れたてのウニをね、こう、痛い痛いと言いながら包丁でパカッって割ってね、スプーンですくってへろろんと口に含む。 蟹味噌ってのは、蟹全体からするとちょっとしかない。そこがまたいとおしさをそそられる所でもある。 蟹味噌もウニも、口の中でわぁっととろけて広がるのを全身の感覚器官全部をその一点に込めて味わう。 この閉じられた世界も。またひとつの宇宙だなと。 しばらく余韻に浸り、ふたくちめを味わう。 全身の感覚器官が、ぎゅっと味覚に集中するのを感じながら。 うまくて素敵な宇宙じゃないか! そうやって蟹味噌とウニに宇宙を感じながら、めくるめく至福の時を過ごす。すると……。 残り少なくなっていく驚愕の事実! この現実を直視する事が出来ない!宇宙がぁ!私の唯一絶対の宇宙の終焉が近づいているというのか! 蟹味噌と生ウニの織りなす生臭い小宇宙の終焉。 あっ……!牡蠣(カキ)。その牡蠣、私の! 他の人食べちゃダメ。 生牡蠣にレモン汁をかけ、るるるんと口に入れる……。わぁお。生ウニと蟹味噌の恍惚の世界と繋がるあの感覚が再び私の元に……! そうして、生臭く堕落した背徳の世界に身をまかすのであった。 |