最初は小さな誤解だった。まだまだ物資を地球に依存する事が多かった火星は、それでもだんだん豊かに、そして地球は少しずつ疲弊していった。 そんな時に事件は起きた。地球からの輸送船が中間地点付近で難破。救助に当たった地球からの船も二次遭難し乗務員は全員絶望という惨事だった。 何故、火星側からの救援がなかったのか。火星側が迅速な行動を取っていれば少なくとも二次遭難は防ぐことが出来たはずだ。地球側はそう非難した。 火星側にも言い分はあった。このところ地球から送られてくる物資が粗悪になってきている。そのための事故が絶えない事。移民団と開拓団の軋轢等、人が多くなるにつれ抱える問題は増え、地球船救援まで手が回らない状態だったのだ。 いつしか地球と火星は、緊迫した状態になっていた。 照準を地球にあわせてあるボタンの前に、男がいた。 男の仕事は、このボタンの前で暮らすこと。命令があったらこのボタンを押す。それ以外は誰にもボタンを押させないという任務だった。 男は政治的な事はさほど興味はなかった。本を読み、空を見上げ、珈琲を飲む。一日はそうやって過ぎていった。 不幸な小さな事故がその後も重なり、地球と火星の緊張感は極限に達していた。どちらが先に手を出すか。先に手を出すと必ず相手の星へ計り知れないダメージを与える事は判りきっていた。だからこそその後の事を考えると慎重になる。双方の司令官は、 決断出来ずに事態は膠着状態を強いられていた。 男は蛙バッタと呼ばれるこの星特有の虫が苦手だった。もぞもぞと這っていたかと思うとピョンと跳ねる。最近見ないので安心していたが、先程、掃除をしたときにゴマ状のヤツの糞を見つけた。 いる……この部屋のどこかにひそんでいやがる。男は、全神経を研ぎすました。 「そこだ!」 雑誌をまるめたものをたたきつけた。蛙バッタは黄色い汁を出して潰れたが、まるめた雑誌は勢い余ってボタンをもたたきつけていた。 「あっ……」 その時、スクランブル電話が鳴り響いた。 「もしもし……今、間違」 「最高会議の結果、今こそボタンを押す時と判断した。任務を遂行しボタンを…」 男は最後まで電話を聞かず外に飛び出した。夕暮れが迫ってきていた空は、まだまだそこから地球を探すのは難しい。ゆっくりと穏やかな風が頬をなでて通り過ぎるのも気が付かずに男はただいつまでも空を見上げていた。 |