僕が、火星に永久移住者として来るとき、地球のものはすべて置いてきた。 移住を決めたのは、ちょうど仕事も行き詰まっていたし、付き合っていた彼女からひ どい振られ方をしたのがきっかけだった。 火星で心機一転ゼロから始めたかった。地球に未練などなかった。 火星は、求人が多く、活気があって、乱暴で刺激的だった。 僕は、過去を振り返ることもなく馴染んでいった。 ある日、道端に座っていたサボテン売りの老人と話をした。 「地球のと似てるね」 「仙人の掌というんですよ」 「また大袈裟な名だなぁ」 心惹かれるものがあって、ひとつ求めた。 サボテンは、人の心が分かるという。こんなものに僕の心が分かってたまるか。 でも、なぜだろう。仙人の掌をみていると、素直な気持になってくる。 忘れたはずの地球の美しい月の夜が思い出される。 こみ上げてくる郷愁。 僕にこれほどの感情があったなんて。 眠りにつく前のひとときにサボテンを前に一杯やるのが日課になった。 |