濃姫


パソコンを使って仕事やプライベートで、Eメールでやりとりする事が多い。
ある時、未開封のメールを見つけた。日付は3日前に届いた事になっている。
変だな。毎日確認して見落とすはずがないのに。開いてみる。
  送信者:  帰蝶
   日時:  1547年 7月17日 15:22
   宛先:
   件名: カラクリ機械

蔵の中を整理していたら、なにやら不思議なカラクリ機械を発見。
これは何でしょう。見たこともない。
しばらくいじくりまわしている内に、どうやら文をしたためる道具のようと見当をつけました。
面白そうなので、時をたつのを忘れてこの文を作っています。
文をしたためるだけではなく手紙として出す事が出来るような。
あらっ各務野(かがみの)が探している声がする。
この機械の事は、秘密にしておきましょう。
さて、この文は、どなたが受け取りになるのでしょうか。

天文十六年 鷺山城にて 
帰蝶 


なんだ……? これは、いったいなんなのだ?
ふざけてる!! おや、待てよ。この文末の天文十六年というのは、 なんとでもなるとしても、送信日時の1574年っていうのは、どうやって操作したんだろう。
いたずらにしては、少し高級かな?
よーし、返事を出してやろう。
  送信者:  克彦
   日時:  1998年 1月 4日 20:43
   宛先:  帰蝶
   件名:  初めまして。

いきなりのメール驚きました。
あなたは、1547年の帰蝶さんと、おっしゃるのですね。
1547年といえば室町時代後半、世は戦国、下克上の頃でしょう。
歴史が専門じゃなくたって、そのくらい私にだってわかります。
大変センスの良いイタズラで見事やられたっていう気持ちです。

平成十年一月 克彦


こんなメールを出した事など日常の忙しさの中ですぐに忘れてしまった。
そして一ヶ月もした頃、やはり3日前に届いた事になっている未開封のメールを見つけた。
  送信者:  帰蝶
   日時:  1548年10月29日 11:05
   宛先:  克彦
   件名:  縁談

克彦様。
初めまして帰蝶と申します。年齢は十四歳です。
今日は父上が、とても深刻な顔をして私を呼ぶので、もしやという予感と 共に話しを聞きました。
どうも私に縁談らしいのです。父は精一杯気丈に振る舞っていましたが 目はとても寂しそうでした。
相手は、隣国の十五歳の自称サンスケと申す者らしいのです。
父上のお悲しみは解るのですが、私は相手の方がどんなお方なのか 好奇心で一杯で、誰にも秘密で侍女の各務野を物売女に化けさせ 隣国の名古屋城城下へ偵察させました。
サンスケという名はもちろん本名ではありません。信長殿と申します。
各務野の言うには、お腰に何が入っているのか皮袋をたくさんぶら下げて 多少風変わりであるものの、りりしくて美しいお方だそうです。

天文十七年 鷺山城にて 
帰蝶 


信長……? 織田信長の正妻の濃姫なのか……? 
だいたい電気はどうなっている。電話回線はどうなってる。馬鹿馬鹿しい。
矛盾だらけだ。本気で考える価値などない。こっちでは一ヶ月しかたってない のに向こうでは、一年以上経っている。
しかし、不思議だ。毎日のメール確認の時はないのにいつのまにか、3日前に 着信しているのは何故?
  送信者:  克彦
   日時:  1998年 2月 6日 19:46
   宛先:  帰蝶
   件名:  降参

帰蝶様。あなたのユーモアと知的センスには、驚かされます。
降参です。種明かしをお願いします。
天文十七年などはともかく送信日時の1548年などの西暦は どうやって操作しているのですか?

平成十年 克彦


  送信者:  帰蝶
   日時:  1549年 3月 4日 10:48
   宛先:  克彦
   件名:  婚儀

克彦様が何をおしゃっているのか帰蝶には解りかねます。この左上の記号は 何を現しているのですか?
先日の二月二十四日、婚儀の儀式がありました。大変疲れました。
三日間も続き、その間ずっと座っていなくてはなりません。しかも信長殿は ほとんど座っている事もなくすぐに何処へやら行ってしまわれます。
帰蝶には各務野他五人の侍女がいっしょに鷺山城より来たので寂しくは ありません。
信長殿は、人からいろいろ言われていますが帰蝶は、傷付きやすく繊細で 鋭いお方とお見受けいたしました。
これから信長殿を全力で理解しようと思います。

天文十六年 名古屋城にて 
帰蝶 


  送信者:  克彦
   日時:  1998年 2月 28日 19:23
   宛先:  帰蝶
   件名:  濃姫。

帰蝶様。あなたは、今十五歳。信長殿は十六歳ですね。
そのようなお年で生家を離れ、時代とは言えなんとも心細いのではと察します。
ご質問の左上の記号は算用数字といいます。

一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、
1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、に対応します。

まだ私は半信半疑なのですが、あなたが信長殿の正妻の濃姫なのならば私は よく存じ上げています。
信長殿の事も。これからどういう人生を歩まれるのかも。

平成十年二月 克彦


どういう事だろう。不思議どころか、つじつまの合わない事は百も承知ながら 僕はこの帰蝶という女性が気になっている。
本人なのだろうか? そんな事がある訳がない。しかし誰かではあるはずだ。
誰かがこのメールを打っているのだ。
濃姫に成り済まして。   または本人……。 
  送信者:  お濃
   日時:  1551年 4月10日 14:05
   宛先:  克彦
   件名:  四百年以上も。

ずっと考えていたのですが私の左上の記号と克彦様の記号の1998年を比べると これから四百年以上も先という事になるのですがどういう事なのでしょうか。 
そして平成というのは年号なのですか。
三月には不幸が続きました。
三日に信長殿の父上信秀様が末森城で急死され 十一日に私の母、小見の方が亡くなりました。
お濃は、家督となった信長殿を支えていかなくてはなりません。
克彦様も帰蝶の事を濃姫とおっしゃるのですね。
信長殿も「美濃から来たからお濃じゃ」といって帰蝶とは呼んで下さりません。

天文二十年 名古屋城にて 
帰蝶 


僕は調べてみた。信長の事。これからおきるであろう事。
僕の知っている事といえば、信長は明智光秀によって本能寺で火につつまれて 死ぬ事になっている事ぐらいだ。
本能寺の変の時で信長48歳。濃姫47歳。現在(?)お濃は17歳だ。 あと30年ある。あと30年といったって、この3ヶ月ですでに向こうでは4年過ぎている。
この後もどんな時間の進み方をするかは解らないのだ。
信長が本能寺で死ぬ。これは仕方がない事だ。しかし帰蝶は、お濃は助ける事が出来ないだろうか。
僕は何を考えている?
  送信者:  克彦
   日時:  1998年 4月 20日 18:57
   宛先:  濃姫
   件名:  過去の人。

そうなのです。
私も最初あなたから便りを貰った時に大変驚きました。私は過去の人とやりとりしているのですね。あなたにとっては未来の人と。
どうしてこのような事になってしまったのかは、わかりません。
あなたが使っている機械というものはどういうものですか。
その機械にはコードといって紐状のものがあるはずですが、それは何処に繋がっていますか?
平成というのは年号です。

平成十年四月 克彦


  送信者:  お濃
   日時:  1553年 4月25日 10:48
   宛先:  克彦
   件名:  桜

先日、父上の使いの者が名古屋城に来ました。堀田道空という者です。
その時に道空は父上からと、桜の老木の一枝を持って参りました。
今、花瓶に活けて私の目を楽しませてくれています。この桜は父上が養花天と名付け大事にしている桜で私もよく存じております。
道空は鷺山城の様子をいろいろお話しして下さってとても懐かしゅうございました。
明智光秀殿の噂も。光秀殿は父上が見込みのある奴と言ってはばからない者です。 私の母上の小見の方を通して血が繋がっていて、いとこの関係に当たります。
去る四月二十日に聖徳寺で、父上と信長殿が会見しました。
信長殿は帰って来るなり「お濃、マムシに逢って来たぞ」とはしゃいでおりました。 殿は父、斉藤道三の事をマムシと言ってはばからないのです。

天文二十二年 名古屋城にて 
お濃 


こういう所が怪しいと思う。
僕の質問の電気のコード等には何も答えてない。しかし内容はかなり具体的だ。
明智光秀が出てきてしまった。
そして相変わらず、毎日チェックしているのにも関わらず3〜4日前にいつの間にか着信している。
  送信者:  克彦
   日時:  1998年 6月25日 19:23
   宛先:  濃姫
   件名:  猿面の者。

あなたの文にとうとう明智光秀の名が出てきてしまいましたね。
私には、これからおこるであろう事がよく解っているのです。
まもなく信長公のもとに木下藤吉郎という猿面の者が使い走りとなるでしょう。

平成十年六月 克彦


  送信者:  お濃
   日時:  1557年 5月19日 16:18
   宛先:  克彦
   件名:  心配

昨年四月に父道三が亡くなり、信長殿は、「美濃に侵攻してマムシの仇を討つ」と美濃に攻め入っております。
この所、戦さが多く殿はよく泥だらけになって帰って来ます。
お濃の心配は、それだけではありません。
私達には子が授かりません。それで殿が最近、生駒家宗の娘、吉乃の元に通い詰め吉乃に男子が授かりました。
殿の喜び様は大変なものです。その独特の感覚で赤子に「奇妙」と命名しています。こういう感覚は一般には理解しずらい所で 幼き頃の奇行の名残とでも言いましょうか。
克彦様の言う通り猿面の藤吉郎なる者が仕官しております。
予言が当たるのはとても不思議です。
また占って下さいませ。

弘治三年 清洲城にて 
お濃 


  送信者:  克彦
   日時:  1998年 7月17日 19:23
   宛先:  濃姫
   件名:  決戦

1560年永禄三年五月十九日に田楽狭間で今川義元と決戦します。
後に桶狭間の戦いとして人々の記憶に残る歴史的出来事です。
大方の予想を裏切り信長公は勝利を治めます。
御心配の吉乃は、弘治三年に信忠(奇妙)、翌年永禄元年に信雄(茶筅)、 永禄二年に徳姫を産み、永禄八年九月十三日に亡くなります。
大丈夫です。信長公は濃姫と死ぬまで一緒です。
要らぬ心配をなさらぬよう。
苦戦している亡きお父上の仇、義竜も永禄四年五月十三日に病死します。

平成十年七月 克彦


死ぬまで一緒と表現したが、死ぬ時は一緒という意味なんだよなぁ。

  送信者:  お濃
   日時:  1567年11月15日 16:18
   宛先:  克彦
   件名:  鉄砲

ここの所ずっと戦さばかりです。
城に残った女衆は鉄砲の弾を鋳る事も仕事の内です。
信長殿は早くから鉄砲を取り入れ私もこの間扱ってみました。
筋がよいと褒められました。
戦さになると食料の炊き出し、傷病人の手当て、身支度など女衆の仕事はたくさんあります。
そうそう、明智光秀殿が織田家に仕官しにきました。とてもたくさんのおみやげを持って。

永禄十年 清洲城にて 
お濃 


だんだん時間が早くなってきている。
1567年現在(?)で、濃姫33歳、信長34歳、光秀39歳、藤吉郎(秀吉)31歳。
1582年に本能寺の変。だからあと15年。
歴史を変える事が出来るだろうか?
  送信者:  克彦
   日時:  1998年 9月10日 21:42
   宛先:  濃姫
   件名:  後の災いを避けるために。

戦さはこれからも続きますが織田軍は大丈夫です。
なにより光秀殿や、藤吉郎殿や家康殿がとてもよい働きをしてくれます。
そして永禄十一年、念願の京都入りを果たします。
濃姫、どうか折に触れて光秀殿を褒めて上げて下さい。認めて上げて下さい。
できれば信長公にもそのようにうながして下さい。
後の災いを避ける事が出来るかも。
是非。

平成十年九月 克彦


  送信者:  お濃
   日時:  1572年 9月27日 13:36
   宛先:  克彦
   件名:  バテレン

克彦様の予言はどんどん当たります。怖いくらいです。
最近では南蛮貿易が盛んになり、城にもバテレンがいろいろな物を持ってやってきます。
珍し物好きの殿は大層な喜び様です。
そのバテレンが持ってきた物の中に克彦様のいう算用数字と同じ物があったのには驚きました。
城下が賑やかなので、昔の様に侍女の各務野を物売り女に変装させ、様子を逐一語らせているので 城下の様子は手に取る様に解ります。

京都入りは果たしましたが戦さはまだまだ続きます。
浅井長政の離反で秀吉殿がしんがりを買って出てくれて、信長殿はやっとの事で逃れる事が出来ました。
昨年、殿は比叡山焼き討ちという仏罰を怖れぬ命令を下しました。

戦乱の世は終わるのでしょうか。終わらせるために信長殿は戦っております。
克彦様の世は戦乱は無いのでしょうか。
克彦様は光秀殿を気になされている御様子。光秀殿は、殿のためにまことによく働いてくれています。
信長殿は、それ相当の褒美や御言葉をかけているはずです。
何をそんなに怖れているのでしょうか。

永禄十年 岐阜城にて 
お濃 


大変だ。思ったよりずっと早く向こうでは時が経っている。
後、10年しかない。僕に出来ることは何?
  送信者:  克彦
   日時:  1998年11月30日 18:27
   宛先:  濃姫
   件名:  安土城から動かないで。

濃姫、私の予言が、ことごこく当たった事で私を信じて欲しい。
光秀殿の動きにいつも気を配っていて下さい。
そして出来る事ならもう少し間を開けないで便りをくれませんか。
まもなく居城は岐阜城から安土城に移るでしょう。
安土城から動かないで下さい。
1582年天正十年に信長公は、あなたを本能寺へ誘うでしょう。
拒んで下さい。
安土城にそのまま居続けて下さい。

平成十年十一月 克彦


  送信者:  お濃
   日時:  1578年 4月30日 13:36
   宛先:  克彦
   件名:  大相撲大会

恐ろしい程よく当たる予言は実証済みなので疑う余地などありません。
言われた通りに光秀殿には声をかけ、ねぎらうようにしております。
今日はとても愉快でした。信長殿がこの安土城で近江国内の相撲取り三百人を集めて大相撲大会を開いたのです。
大男が組んで転んで、殿も私も大笑いしました。
信長殿は、私をあちこちの場所に連れていく事はめったにありません。 戦乱の世の常識ですので克彦様の心配する事はないと思います。
もし、そのような事がありましたら拒んでみます。

天正六年 安土城にて 
お濃 


  送信者:  克彦
   日時:  1998年12月25日 23:51
   宛先:  濃姫
   件名:  死なないで。

濃姫、はっきり言いましょう。
天正十年六月二日明智光秀が謀反を起こし、本能寺は火に包まれます。
これはもう決まっている事なのです。ここで信長公は亡くなってしまいます。
しかし明智光秀は、三日天下で終わり豊臣秀吉が信長公の仇を取ります。
秀吉は後継者に恵まれず、その後政権は徳川家康に移り、徳川の世が三百年続くのです。
歴史はその様に動いて来ました。
だから私がどんなにここであなたに説いても大筋の歴史は変わらないのかもしれません。
しかし、濃姫、あなたは本能寺で死ななくても良いのではないか。
天寿を全うしても良いのではないか。
本能寺へ行かないでくれ。
どうか死なないで。

平成十年十二月 克彦


  送信者:  お濃
   日時:  1582年 6月 2日 16:49
   宛先:  克彦
   件名:  本能寺

克彦様の予言の通りに事が運んでいます。本能寺に来るのは随分拒みましたが、押し切られました。
信長殿が本能寺に行くのも止めましたし、それどころか光秀殿の謀反の可能性についても、お話ししましたが、こうやって本能寺に来てしまいました。
お濃は、出来るだけの事はやりましたが、克彦様の予言通りにしか物事が進まないのです。
今まで予言は外した事がないので多分おっしゃる通りなのでしょう。
昨日、信長殿は、とても機嫌が良く得意の幸若舞の「敦盛」を舞っておられました。

人間五十年 外天の内にくらぶれば 夢幻の如くなり


見慣れた舞いが目に浮かびます。耳に聞こえます。
間もなく謀反の第一報が入るでしょう。
私も斉藤道三、マムシと呼ばれた男の娘、信長殿の正妻。得意のなぎなたで最期まで抵抗いたしましょう。
克彦様、長い間ありがとうございました。
さようなら。

天正十年六月二日 本能寺にて 
お濃 


この最期のメールの着信日時は1998年12月31日だった。
僕がメールに気付いたのは翌年の1999年1月3日。最後まで不思議な届き方は変わらなかった。
そして歴史は変わらなかった。
濃姫は僕を信じて変えようとしてくれた。でも何も変わらなかった。現在に繋がる過去は変えようがないと言う事なのか。
文献によると濃姫は即座に身支度をし、二重に鉢巻きを結び、たすきを掛け、 白柄のなぎなたを取って殿舎の庭へ出、戦い、 山本三右衛門という者の槍にかかって果てた、とある。
即座に身支度が出来たのは僕が教えたからである。

信長は森蘭丸から「謀反でござりまする」と言われ、
「相手は何者ぞ」と返し、
「光秀に候」と蘭丸が答えると、
「是非に及ばず」と言った。
“是非に及ばず”とはどういう事なのか?
やはり事前に濃姫から聞かされていたから、さして驚かなかったのか。

帰蝶という少女から初めてメールが届いてちょうど1年。

1998年 平成十年十二月末日 濃姫死す 
克彦 



資料:司馬遼太郎「国盗り物語」3、4
戦国全史 講談社





蟹屋 山猫屋