1998年6月、サッカーのワールドカップがフランスで開催された。
サッカーに興味のない私にも、さすがにTV・新聞を通じてその様子は伝わってきた。日本は、第1戦をアルゼンチンと戦った。
そこでひとつ気になった事がある。アルゼンチンと戦った。そこでひとつ気になった事がある。アルゼンチンの事である。
私の気のせいだろうか。ニュースでは、アルゼンチンの人の事を”アルゼンチン人”とは言ってない様な気がするのだ。
フランスの人はフランス人。インドの人はインド人。中国の人は中国人。エジプトの人はエジプト人。クロアチアの人はクロアチア人。 このままずっと書き続けてもいいのだがそれでは、これを読んでいる人はきっと嫌だろうからやめる。
では、何と言っているのだろう。アルゼンチンの人。アルゼンチンの選手。アルゼンチンの応援団。アルゼンチンの野菜屋さん。アルゼンチンのサラリーマン。 アルゼンチンのサンタクロース。アルゼンチンの あるゼラチン工場の人。アルゼンチンの・・・お〜い、誰か止めてくれよ!
「あるぜんちんじん」全部平仮名で表記すると確かに変だ。何かが変だ。どこが変なのだろうか。
「アルゼンチンジン」今度はカタカナ表記だ。う〜む。もしかしたら。いや、待てよ。そんな・・・。(しばし、考えてる。おっ、何か理解したらしいぞ。) 思い切って言ってみよう。誰もが脳裏の片隅で思っていて口に出さなかった事だ。もしかしたら最後の4文字、OOOOチンジンの”ちんじん”に、 ある種、独特の照れというか、馬鹿々々しさと、軽々しさと、滑稽さを感じてしまうからか?
普通「ちんじん」とは言わない。誰だって嫌だろう。何とかちんじん。これは、罵詈雑言まではいかないが、もう一ランク落として誹謗中傷。 いや待て、それも大袈裟か。もう一ランク落とそう。悪口、いや、もっと落として からかい。そう、からかいに相当する。
からかいというのは、たちが悪い。罵詈雑言や誹謗中傷ならはっきり悪意を受け止めて、取るべきポジションは敵対すればいいのだから簡単な事だ。
それに比べてからかいというのは どうすればいいのか。からかい程度の事で本気で敵対する訳にもいかず、無視するにしても腹立たしい。そういう感じがしないか。
「チン人」。言葉は慣れで何とも思わなくなる事も多い。
時々ニュースに出てくる名前で金大中という韓国の政治家がいる。この人がニュース覧に出始めの頃、ニュースキャスターは、「キン・ダイ・チュウ」と言っていた。 日本人は、欧米名系人名には耳に慣れてるから、ホイットニー・ヒューストンだろうが、アーノルド・シュワルツネッカーだろうが、ジャクリーン ・ケネディー・オナシスだろうが 免疫が出来ている。それがキンダイチューと日本語読みされた金大中さん。本人も驚いただろう。そして、日本人なら皆、その時「そのままやないけ〜。」と、心の中で 突っ込みを入れたはず。
それが、いつの間にかキンダイチューさんは、キム・デ・ジュンさんになっていた。「キンダイチューさんは、実は、キムデジュンさんだったのです。」と、 ある日ニュースで流れたのか。そんなニュースは、私は、見ていない!
で、話をグイッと力づくで元に戻す。チン人の事である。ここは、あえてチン人と言って言われて慣れるがよろしい。チン人。ね。慣れてきた?チン人。まだまだ?チン人。 え?違うの?チン人は変だけどアルゼンチン人は、少しも変じゃないって?私だけか、チン人。どうしたらいいのかこの想い。チン人。どうしてくれるチン人。







蟹屋 山猫屋