考察…神奈・観鈴シナリオ編




 このゲームはラストエンディング部以外については明確にされている設定も多く、いわば謎に包まれているのはラストエンディングのみ、とも言えると思います。

が、テキストがとにかく長いので前に語られていたことを忘れてしまいがちです。

 ここでは、いくつかの事項についてまず整理・検討したのち、ラストエンディングについて考えてみたいと思います。








SUMMER編




第1章:八百比丘尼にかけられた呪い




 なぜ八百比丘尼があのような形で高野山に封じられているのか。

また神奈がなぜ朝廷に囲われているのかについて、詳細はゲーム中では語られておらず、また語られている範囲も風聞という形で相互に矛盾する内容もあって定かではありません。

推測ですが、おそらく以下のような理由だったのではないかと思います。




 翼人はもともと人知を超える力を持つ者として人々から崇められていましたが、朝廷はいつからか、強大な力を持つ翼人を捕らえて、戦の兵器として利用していました。

八百比丘尼も、産み落とした神奈を人質に取られ、戦をすることを強要されていた翼人の一人。

八百比丘尼にとって、翼人の能力(それは翼人の記憶でもある)とは戦の道具として使われる、忌むべきものであったはずです。

八百比丘尼が自分の娘に「神などなし」と名付けたその理由は、おそらく代々の翼人がその能力ゆえに人間に戦の道具として使われてしまっている、その悲しい運命を指して付けた名前だったのでしょう。




 そのため八百比丘尼は神奈にその翼人の能力を継がせることを拒み、高野山に封術で封じ込められることを甘んじて受け入れます。

高野山は、朝廷もおいそれとは手を出せない独立自治領。

八百比丘尼が自ら高野山へ行ったのか、それとも高野山の僧たちが朝廷の力を削ぐために八百比丘尼を封じたのは定かではありませんが、いずれにせよ朝廷の戦力を落としたい高野山と、戦を拒み、翼人の記憶を神奈に継がせたくなかった八百比丘尼との間で利害関係が一致したのは確かです。




 もう一つ、この時点でおそらくすでに八百比丘尼は神奈と逢うことが出来ない穢れた身体になっていたはずです。

というのは、八百比尼丘は度重なる戦で多くの人々を殺め、そして殺めた亡霊はすべて八百比丘尼に群がる。

そうした結果、亡霊は呪いとして八百比丘尼にどんどん蓄積され、八百比丘尼の身体は穢れていきます。

その呪いはおそらくは直接的に八百比丘尼を取り殺そうというものであったはずですが、おそらく八百比丘尼は翼人の能力を使ってその蓄積された呪いによって自らが死ぬことを食い止めていたと思われます。

もし翼人の能力を持たない神奈に八百比丘尼の呪いの一部が流れてしまえば、神奈はあっさりと呪いにより取り殺されてしまいます。

 神奈が戦争の道具として使われないためには、神奈に翼人の能力を与えない(記憶を引き継がせない)ことが必要。

八百比丘尼が神奈に逢い、穢れた身体に触れてしまうことで神奈に呪いが流れてしまうと、守る術を持たない神奈は取り殺されてしまう。

結局、娘の幸せを願う八百比丘尼に残された道は神奈に自分の存在を知られずに、高野山でひっそりと朽ち果てていくことしかなかったのです。

それは、翼人という種が願っていた、「最後はどうか、幸せな記憶を……」という願いとはあまりに反する事実。

八百比丘尼は娘を想い、幸せな記憶なく、自らが最後の翼人として翼人の記憶と共に朽ち果てていくことを選んだのです。







第2章:神奈の母親への想い、柳也への想い




 神奈は物心付かないうちに母親から引き離され、社殿に囲われてきました。

翼人であるが故に人々から畏怖の目で見られ、自由もなく異なる存在として一人で過ごしてきた神奈にとっては、姿も知らぬ想像の中の母親だけがぬくもりを与えてくれる存在。

そんな神奈がつぶやいた言葉『逢いたい…』、その一言から、柳也と裏葉、神奈の3人の旅は始まります。

そして道中、いつしか柳也は神奈にとって主従の関係から、かけがえの無い存在へと変わって行きます。




 「これは命ではなく、余の願いである。柳也どの…死なないでほしい」

 「ああ、約束する」

 主従の誓いではない。神奈の心からの願い。

 俺と神奈が交わした、はじめての約束。




 しかしそれは、八百比丘尼のもとに辿り着いた後に起こる、悲しい結末により打ち砕かれることになります。







第3章:柳也を生き長らえさせようとした神奈と運命のいたずら




 八百比丘尼の元に辿り着いた神奈の願いを聞き、そして柳也と裏葉の話を聞き、八百比丘尼は娘と時を共有することを選びます。




 「それなら、わらわの心持ちはわかりますまい」




 どんなに近くにいても、近くにいることは出来ても決して娘に触れることの出来ない八百比丘尼の想い。

それでも神奈といることを八百比丘尼は選んだわけです。




 ところが結界が破れると同時に、高野山では大きな戦が起こることになります。

この戦の理由についても詳細が語られていないために推測の域を出ませんが、おおよそ以下のような事情だったのではないでしょうか。




 朝廷内では、翼人を信奉する花山法皇と藤家との派閥争いで、花山法皇を窮地に追い込むために戦力として使えない翼人を歴史から完全に葬ろうと企てます。

神奈はもともと朝廷に囲われている存在であり社殿にいること、また高野山と朝廷の間の直接の争いを避けるため、藤家や朝廷陰陽師は自らが直接手を出すことを嫌い、東国の傭兵団(吾妻人)を雇います。

しかし、彼らは翼人の力欲しさに翼人を捕らえることを企て、結果的には神奈を取り逃し、もう一方の八百比丘尼を高野から奪おうと高野へ攻め入ります。




 一方朝廷は、高野に捕らえられてしまった八百比丘尼について流していた噂である「人心と交わり悪鬼と成り果て、金剛に封じられた」が十分流布していることを用いて、高野の結界が解けたことに乗じて、翼人を再度封印するという大義名分で高野に攻め入ります。

目的は、翼人を葬ること、そしてどさくさまぎれに朝廷にとってうるさい存在である高野山をつぶすためです。




 八百比丘尼は吾妻人と朝廷の両方に狙われることになりますが、八百比丘尼はその場で矢に進んで自らの身をさらして死のうとし、そして翼人の能力を使って回りの兵たちを一掃しようとします。

すべての原因は八百比丘尼の翼人の能力にあり、自らが朽ちることで神奈たちが逃れることも出来るだろうと考えたためでしょう。

ところがここで八百比丘尼にとっての誤算が生じます。




 「触れては…なりません」

 「…いやだっ! いやだいやだいやだっ!」

 駄々っ子のように、激しく首を振る。

 そして神奈は、母君の肩をしっかりと抱き起こした。

 「ああ…」

 血の気のない唇から、温かな息が漏れた。それは、哀切とも歓喜とも取れた。




 抑えきれない想いで八百比丘尼に触れてしまった神奈。

その瞬間、神奈には八百比丘尼の身体から亡霊の呪いが流れ込み、神奈は取り殺される運命となってしまう。

その神奈を救うために、やむなく八百比丘尼は自分に蓄積された呪いごと翼人の記憶を神奈へと写します。




 「母を、ゆるしてくださいね」

 「これこそが、わらわたちの務めなのです…」

 神奈はなにも答えなかった。

 月光の中でまたたいた瞳が、途方に暮れているように見えた。




 神奈もこの瞬間、母親がなぜ自分に触れてはならないと言っていたのか、その母親の想いもまた理解したのでしょう。

そうして八百比丘尼は息を引き取ります。




 朝廷の意図は神奈をも葬ることにあったため、さらに3人を追い詰めて行きます。

そして神奈は母から受け継いだ翼人の能力を使い、空へと飛び立ちます。

それは柳也を逃がすためでもあり、そして同時に柳也を、神奈が八百比丘尼から受け継いだ呪いから救うためであったのでしょう。

神奈が柳也から離れ、一人で呪いを抱え込んで死ぬことができれば、柳也に呪いの影響が及ばずに済む、そう考えたからでしょう。




 ところがまた、神奈にとっても誤算が生じます。

朝廷は神奈に矢を射掛けて勢いを失わせ、さらに陰陽師の封術で神奈を空に封じてしまいます。

そして高野の僧たちは悪鬼と成り果てた(=もはや自分たちにはコントロールできない)翼人を呪い殺すことを狙って呪いをかけました。

そしてその呪いはあまりに強く、神奈の心を砕くことになります。




 その結果、神奈は自らが抱え込むはずだった呪い(八百比丘尼から引き継いだ、亡霊による呪い)をコントロールできなくなり、神奈の想いを強く受け止めている柳也の身体に影響を与えていくことになります。







第4章:作品中語られる輪廻転生について




 こののち、柳也と裏葉は西国にある方術師の一団を目指して西へと歩み、そこで神奈を救う方法を模索することになります。

ここで、初めて輪廻転生という話が出てきますが、これについてゲーム全体を見ながら整理してみます。




 まず、このゲームでの輪廻転生が一般的な輪廻転生と若干異なることは、観鈴やそらが前世の記憶を後天的に取り戻していくことからもお分かり頂けるかと思いますし、また、直接的な輪廻転生関係がなくても、翼人は祝詞により記憶を引き継ぐことができたり、また親子関係によって意志を継いでいくことができる、という描写がされています。




 また、柳也と裏葉が神奈の輪廻転生に関して話す時に、




 「神奈さまの魂は地上に戻り、輪廻(りんね)を繰り返すことになりましょう」

 「人として輪廻転生すれば、呪いもそこで終わるはずだ」




といったことを語っており、これらから、別の種族への輪廻転生が存在すること、また同一種族でも魂が輪廻することがあり得ること、そして輪廻は繰り返されるものであることが示唆されます。

つまり、人間であっても輪廻自体は存在する、ということです。




 しかし通常の輪廻というのは、記憶を引き継ぐものではありません。

つまり、仮に魂が引き継がれていても記憶や経験が全く引き継がれていないために、通常、前世を議論することにあまり意味がない(単に魂が使いまわされているに過ぎないため魂の同一性を議論しても意味がない)、ということになります。

おそらく、特殊な事情がある場合(普通に死ぬことができなかった場合や、翼人の力を併用した場合)に限って、翼人の能力である記憶の引継ぎが輪廻に対しても適用され、魂と共に記憶が来世に引き継がれるのだと考えます。

これが、神奈→観鈴と、往人→そらのケースです。




 記憶が引き継がれない場合、記憶の入れ物としての魂のサイズが種族間で異なっていても(例えば翼人と人間、人間とカラスなど)、記憶の流れ込みによるオーバーフローと、それに伴う精神崩壊は発生しません。

このため、普通に死に、土に還された八百丘比尼については記憶の引継ぎがないため、仮に八百丘比尼の魂が輪廻するとしても観鈴のようになることはない、と想像されます。




 整理すると、




・輪廻とは、通常、前世の記憶を持たずに魂という記憶の入れ物が使いまわされることを意味する。
 輪廻関係では魂は共通だが、肉体は別個のもの。

・記憶の引継ぎは、翼人が持つ能力の一つであり、特徴でもある。
 通常は祝詞によって行われるが、夢という形や追体験という形で行われることもある。

・意志の引継ぎは、輪廻関係にない二者間で、想いを引き継ぐもの。
 通常は親子関係で行われる。




ということになります。

記憶と魂と肉体の関係を例えて言うと、記憶は水、魂は多少の伸縮性のある水袋、肉体は体積が固定のプラスチック容器と捕えると分かりやすいでしょう。




 具体例を挙げると、




・八百比丘尼→神奈は、親子関係にあり、記憶の引継ぎを祝詞により行う。

・神奈→観鈴は、輪廻関係にある。
 封術により空に束縛され、土に還ることができずに朽ちたため、通常の翼人とは異なり、記憶の引継ぎが行われる。
 この結果、後天的な記憶の引継ぎの過程で肉体がオーバフローし、崩壊していく。

・往人→そらについては、輪廻関係にあり、さらに記憶の引継ぎ関係がある。
 時間の遡りと記憶の引継ぎは、歴代の法術師が蓄積した法術によるもの。

・柳也→その子孫は、親子関係にあり、記憶の引継ぎはないが、意志の引継ぎがある。

・往人の母→往人については、親子関係にあり、望んだわけではないが意志の引継ぎがある。




と整理できます。

結論の先書きになりますが、ラストの二人がどのキャラクターと輪廻関係にあるかについては、その部分だけを取り出して議論してもあまり意味がないと思われます。

なぜなら、単純な輪廻関係(魂の使いまわし)だけであるなら前世の記憶もなく、意志の引継ぎもないため、前世が誰であるかということ自体はほとんど意味を持たないからです。

つまり、輪廻関係の有無ではなく、記憶の引継ぎまたは意志の引継ぎがあったか否かを論じることが重要になります。

この点については、最後で再び触れたいと思います。







第5章:神奈を救う方法




 柳也と裏葉は、神奈を救う方法について模索しますが、もともと神奈が救われなくなっている理由というのは神奈にかけられた呪いによるものでした。

再整理すると、神奈の持つ呪いは3つあります。




(1) 八百比丘尼たちの歴代の翼人が戦で殺めた亡霊による呪い

 祝詞により神奈に受け継がれている。

この呪いは、元々は本人を取り殺す呪いであったが、その亡霊の呪いの牙先が、守る術を持たない本人以外に向けられた時にはその者を取り殺してしまう。

このため、「心を寄せる者を病ませる呪い」と表現される。




(2) 高野での晩に、陰陽師が神奈に対して施した、神奈を空に封じる法術

 通常は肉体が朽ちて土に還ると共に魂は輪廻を待つ状態に置かれるが、神奈の場合は空に魂と共に封じられてしまったため、すぐさま輪廻することができない。

この封術は時間と共に朽ちていき、100年程度でなくなり、神奈の魂は輪廻することが可能になる。




(3) 高野での晩に、高野の僧たちが神奈を取り殺すためにかけた呪い

 この呪いは極めて強く、神奈が防ぎきることが出来ずに神奈の心を砕いてしまう。

その結果、神奈は持っている記憶が混乱し、また第一の呪いをコントロールすることができなくなり、柳也や裏葉たちにその呪いの影響を与えることになってしまう。




 このうち、(1)や(3)の呪いというのは神奈が翼人であるために解くことができない呪いです。

柳也は、




 「人として輪廻転生すれば、呪いもそこで終わるはずだ」




と語っていますが、それは、知徳が




 「本来、翼人とは無垢な魂を持つもの」

 「人の身であればたやすく朽ちる呪いも、翼人の御身にはただ蓄えられるばかりとなりましょう」




と語るように、人にさえ輪廻転生できれば朽ちて解けるものだからです。

ところが前述したように、空に残っている神奈の記憶(呪いをも含んでいる)が地上にいる輪廻転生先の人間に流れ込んでいく際に、人間の側のキャパシティが不足して死んでしまうために、結果として輪廻転生しきれず、また再び呪いと共に空に漂うことになる。

それを繰り返してしまうために神奈は救われないわけです。




 一度でも人間の状態を通過すれば、神奈の魂からは呪いが朽ちて癒されるにもかかわらずそれが出来ないジレンマ。

柳也は、自分の代ではこの問題を解く解決方法を見つけることができずに、子孫を作り、子孫に神奈を救う願いを託すことになります。







第6章:柳也のゴール




 柳也は翼人の力を使えないため、仮に輪廻していたとしても記憶を保つことができません。

このため、柳也は裏葉の提案を受け入れ、裏葉と共に子供を作り、そして翼人伝を書き記すことにしたわけです。




 「余の最後の命である」

 「末永く」「幸せに」「暮らすのだぞ…」




 あの晩、神奈が残した言葉。

それは神奈の、かけがえのない人である柳也に対する本当の願いであったでしょう。

そして柳也は失った神奈、そして空に囚われた神奈をなんとかするために、その後の一生を使うことになります。




 裏葉は柳也に対して、自分を使って子供を残すことを提案します。

それは柳也にとっては神奈を救える可能性を残せる唯一の方法。

しかし、それは柳也から見た場合、自分の心は神奈に向いているにもかかわらず裏葉と結ばれるという、裏葉にとってこれ以上ない苦痛を伴わせる行為でもあるわけです。

だから、ここまで裏葉に助けてもらってきた柳也もこの申し出には簡単に甘えることができなかったのです。

 「それに、わたくしは嬉しいのです」

 「柳也さまのお役に立てることが」

 「神奈さまをお救いするお手伝いができることが…」

 俺の目を正面から見据え、裏葉は切々と言葉を紡ぐ。

 裏葉の無私の心には、これまで幾度となく助けられてきた。

 しかし、今度ばかりはそう簡単にすがるわけにはいかない。




 躊躇する柳也に対して、裏葉はもう一つの理由を出します。




 「ただ…どうかお考えになってください」

 「神奈さまも柳也さまもお側になく、この身ひとつで余生が果てるのを待つ…」

 「あまりにも、酷な仕打ちでございます」

 「せめて忘れ形見を、わたくしにお授けくださいませ…」




 この言葉は、柳也の良心による逃げ道を敢えて塞ぐ言葉であり、それを比喩して柳也は




 「おまえは本当に、卑怯なやつだよな」




と語ります。

しかし柳也にとっては、子供を残すことが、柳也の想う神奈を救うためであることは避けようのない事実。

だから柳也はその交換条件として、




 「ただし、ひとつだけ条件がある」

 「俺は残りの時のすべてを、おまえのために使う」

 「それでいいな?」




と語るのです。

裏葉のために時間を使うのも、神奈を救うための裏葉の犠牲に対する代償であり、柳也は最後まで神奈のために一生を過ごしたのです。




 そして裏葉と残された時を過ごし、約束と共に最後の最後まで自ら神奈の話を切り出さなかった柳也は、ついに最後の日……夏を目前にした日に、外で神奈の話を裏葉と共にします。




 俺たちが見つけられなかった道さえ、辿れるのかもしれない。

 鼓動が高鳴るのを感じた。

 この丘の向こうには、何があるんだろう?

 子供のころ、旅空の下で感じたあの気持ちが、入道雲のように沸きあがってくる。

 時を越えてさえ、俺は旅を続けることができる。

 かけがえのない翼に、ふたたび巡り会うための旅を。

 これ以上、望むものはない。

 思い残すことは、もうなにもない。




 柳也のしたことはすべては神奈のために。

すべてをやり終えて最後を待ちます。

そして、最後にそれを側でずっと助けてくれた裏葉……自分のために自分のすべてのわがままを受け入れてくれた裏葉に、柳也は最後の頼みとしてこう語りかけます。




 「ひとつだけ、聞いてくれないか?」

 「すべてを忘れて…幸せになっても、いいんだ」

 「神奈のことは、忘れていいんだ」

 「俺のことも、忘れて、いいんだ…」




 裏葉の言葉は強い否定の言葉。

そして、強く握り返される手。




 指先から伝わってくるもの。

 溢れるほどの想い。

 だから、俺は己に問う。

 俺は頑張れただろうか?

 俺は幸せに暮らせただろうか?




 柳也は、最後に自分に問い掛けるのです。

神奈のために費やした自分の一生を振り返り、頑張れただろうか、幸せに暮らせたのだろうか、と。

そして最後に気付くのです。




 そして、気づいた。

 その答えは初めから、ここにあったのだ、と。




 神奈に向かって自分の一生を費やしたはずだったのに、本当はそうではなかったことに。




 「…そう…か…」

 「それでこそ…俺の…連れ添い…だ…」




 柳也にとっての連れ添いとなるべき人は神奈ではなく裏葉であったことに最後に気づくのです。

柳也にとってのゴールは、神奈ではなく、裏葉であったことに。




 だからあの世では、柳也は裏葉と共に、神奈の待つ空の向こうへと消えていくのです。








DREAM編




第1章:つながる物語




 そして物語は、DREAM編へとつながっていきます。

柳也のセリフに対する裏葉の最後の返答である、




 「わたくしは、ひとりではございません」

 「神奈さまと柳也さまが、これからもおそばで導いてくださいます」

 「産まれてくる子もおります」

 「わたくしは幸せでございます」

 「これからも末永く、幸せに暮らしとうございます」




というところから、裏葉は柳也の願いの通り、生まれてくる子に法術を教え、そして翼人伝を継いでいったと思われます。

それが、残された裏葉にとっては柳也そのものだからです。

最後に裏葉がどのように死んでいったのかについては語られていませんが、最後の法術を人形に篭めるために消滅したとも捕えられるでしょう。

いずれにせよ、柳也の意志は代々受け継がれ、そしてついに1000回目の夏、DREAM編の往人に受け継がれることになります。







第2章:観鈴の癇癪




 神奈が人間へ輪廻転生する先として生まれた観鈴は、翼人の持つ特性の一つである記憶の引継ぎにより、空にある神奈の記憶を少しずつ、後天的に受け取っていくことになります。

そらが往人の記憶を思い出していくのが観鈴を看取る時であったり、また観鈴が癇癪を起こすときが友達が出来そうになったりするときだったりすることを考えると、前世と似たようなシチュエーションに置かれた場合や、前世の琴線に触れる状況に置かれた場合に記憶が流れ込んでくる、と考えられます。

(またこれに加えて、夢でも非常に多くの記憶を受け取ります。)




 つまり、観鈴の癇癪というのは、観鈴にとって大切な人(友達であったり家族であったりする)が出来そうになると、心を壊された神奈が空で見続けた記憶、すなわち柳也が死につづける記憶を受け取るために起こっていると考えられます。




 そのため観鈴は本当の両親からも扱いに困られ、大都市のような大勢の人の中にいられないことが原因だと考えた郁子と敬介は、静かな田舎町で健やかに育ってくれることを願い、晴子に観鈴を預けます。

それは晴子にとっても望まなかったこと、そして観鈴にとっても傷を作ることでした。




 「晴子叔母さんは嫌がったけど…結局わたしはここで暮らすことになった」

 「でも、晴子さんには自分の生活があったから…ひとつ屋根の下だけど、別々に暮らしてるの」

 「わたし、本当に邪魔者だから…ずっと晴子叔母さんにも迷惑かけ続けてる」

 「だから、何も言わない。贅沢とか…迷惑かけないように、ひとりで遊んでたの」







第3章:観鈴の最初の一歩〜往人との出逢い




 真実はAIR編にて語られますが、終業式の前日、観鈴はひとりぼっちの夏休みにならないよう、勇気を出してみんなにお願いして回ります。

ところがことごとく断られ、自分の癇癪を知っているせいだと自分を苛み、そして諦めます。

本当は、小さな静かな田舎町だからこそ健やかに育ってくれるはずと願って送られたこの町だったのにもかかわらず、実際には小さな町ゆえに観鈴の癇癪はみんなに知られてしまっており、気持ち悪がって観鈴に近づこうとしないのです。




 そんなとき、諦めかけていた観鈴の前に現れた、この町の者ではない青年、それが往人でした。

往人は端から見ればどう見ても人相の悪い、とても好かれそうにはないタイプの人。

それにもかかわらず、観鈴はもう一度だけ、と勇気を振り絞って無理に明るく取り繕って往人に語りかけます。




 「それで…もし…いいひとそうだったら、わたし、遊ぼうって誘ってみる」

 「それで、もう一度だけがんばってみる」

 「ほかの人と一緒にいられるようにがんばってみる」

 「そうしても、いいよね」




 「こんにちはっ」

 「でっかいおむすびですねっ」

 「飲み物なくて、大丈夫ですかっ」




 初めはヘンな女の子と感じた往人も、次第に母親に封印された記憶を少しずつ取り戻し、観鈴が自らが探していた空の上の少女ではないかと思い始めます。







第4章:病んでゆく往人の身体、壊れてゆく観鈴の身体




 しかし結局は観鈴は癇癪を起こし、さらには癇癪を二人で乗り越えたことから、二人の身体は一気に悪化の一途を辿ります。

ここで、観鈴が病んでいくのと往人が病んでいく症状は比較的良く似ていますが、身体を病ませる原因となる事情はそれぞれ異なっています。




 まず観鈴の身体が壊れていくのは、柳也や裏葉が語っていた通り、神奈の魂(記憶)を観鈴の人間の身体では受け取りきれないためです。

そのため、夢を見ることを通して記憶を受け取っていくにつれて、二つの症状を引き起こします。

一つは肉体の崩壊。

それは、観鈴の身体が動けなくなったり、あるはずのない羽の痛みを感じたりすること。

そしてもう一つは人間としての精神の崩壊。

最後が近づくにつれて、それまで過ごしてきた晴子との生活の記憶を失っていくことです。




 それに対して往人の身体が病んでいくのは、空にいる神奈からの影響を往人の血筋によって受け取ってしまうためでしょう。

神奈にかけられた呪いというのは、人間の身体に入ればたやすく朽ちる呪いでした。

つまり、往人は観鈴に流れ込んだ後の魂(記憶)から直接に呪いの影響を受けているのではなく、空から観鈴に流れ込んでくる途中の神奈の記憶から呪いの影響を受けているのだと考えられます。

神奈の呪いは柳也や裏葉たちに降り注ぐもの。

二人の晩を境に観鈴は一気に記憶を取り戻していき(つまり神奈の記憶が非常に多く流れ込んでくるようになり)、集まってくる神奈の記憶から柳也の血は強く呪いの影響を受けるようになり、往人は一気に病んでいくことになります。

(AIR編で晴子が観鈴に心を寄せているにもかかわらず呪いの影響を受けないのは、神奈と晴子の間に関係がないためであり、また観鈴と離れる、つまり観鈴に流れ込んで来る神奈の魂から物理的に距離を取ることによって呪いの症状が緩和されるのもこのためです。)




 しかし、観鈴と往人はその症状が似ていたために、そして往人が母親から聞かされて言葉「二人の心が近づけば、二人とも病んでしまう」というところから誤解をしてしまいます。

往人は自分が観鈴の近くにいるから観鈴の症状を進行させているのだと思い込むのです。

そのため、往人は観鈴の気持ちを知りながらも観鈴を生き長らえさせるために自ら観鈴の元を離れます。

それが、観鈴にとってのさらなる悲しみを引き起こすことを知りながら。







第5章:往人の母親の想い、解放される人形の力




 そしてバス停で空を見上げた往人は、母と旅に出た時を思い返し、その記憶を取り戻して行きます。

ここで語られる、往人の母の想い。

往人の母親は、柳也の一族に課せられた運命を背負ってずっと生きてきました。

しかしそれは、柳也の一族にとっても救われぬ無限の繰り返しであったことは言うまでもありません。

法力が衰える前に、次の世代に希望を繋ぐため、人形に力を封じ込めてきた一族。

往人の母親もまた、そうしていつか誰かが願いを解き放つ時のために、願いの一つとなって人形に還ったわけです。




 しかし往人の母親もまた、神奈の母親と同様、自分の息子にその悲しい宿命を背負わせることを望みませんでした。

往人の母親があの夏の焚き火で翼人伝を焼き払ったのかどうかは定かではありませんが、少なくとも往人の記憶を消し、そして違う道を歩んでも良いようにしました。

おそらく、柳也の血筋と神奈の魂とが引き合う以上、いつかは思い出す時が来る。

それでもそのときまでは、宿命のない自分の人生を歩めるように。

そして、往人が本当にその女の子を助けたいと思ったときに手助けとなるように、人形に蓄積された願いを解き放つ方法を往人に教えるのです。




 そして往人は思い出すのです。

自分が旅に出た、本当の理由を。




 俺は見つけていた。あの日、失ったもの。

 あの日から、それを探すために生きてきて、そして、それを見つけていた。

 俺はただ、笑ってくれる誰かがそばにいればよかった。

 俺はそうして、ひとを幸せにしたかった。自分の力で、誰かを幸せにしたかった。

 そうしていれば、よかったんだ。

 ずっと探していたものとは、そんなありふれたものだったんだ。




 あいつはいつだって、俺のそばで笑っていてくれたのに。なのに今、俺はそれをなくそうとしている。

 いつだって俺は気づくのが遅すぎる。また失ってしまうのだろうか。




 往人は人形に心を籠めることを思い出し、そして観鈴の元へと戻ります。

一度は逃げ出した観鈴の元へ。

神奈の魂の呪いから逃れて症状が良くなった往人とは違い、観鈴の症状は良くなるどころか完全に悪化してしまっていました。




 「だから、俺はおまえのそばにいる。もうひとりで、夜を越えることもない。」

 「俺がいるからな。俺が、笑わせ続けるから。」

 「おまえが苦しいときだって俺が笑わせるから。」

 「だから、おまえはずっと、俺の横で笑っていろ。」

 「な、観鈴……」




 しかし観鈴はもはや手遅れ、往人もまた観鈴と共に朽ち果てることを選びます。

その後悔の念は人形に呼応し、そして往人は人形に心を籠めるのです。




 俺はただ、こいつのそばにいたいだけなんだ。

 ただもう一度、観鈴の側で穏やかな日々を過ごしたいだけなんだ。

 ただ、観鈴を笑わせてやりたいだけなんだ。

 もう一度…

 もう一度だけやり直せるのなら。

 そうすれば、俺は間違えずにそれを求められるから…




 そして解放された人形の力と往人の想いと願いは、AIR編へと続いていきます。








AIR編




第1章:人形の力が起こした奇跡




 歴代の法術師たちが力を封じていった人形は、二つの奇跡を引き起こしました。

一つは、往人を観鈴のそばに居続けることの出来る「そら」に転生させ、そしてそらを最初の時点に連れ戻すこと。

そしてもう一つは、観鈴のキャパシティを少しだけ増やしたことです。

これにより、神奈の記憶を受け取りつづけて崩壊しかけた観鈴の身体は多少具合がよくなり、次の日にはふらつきながらも自動販売機にジュースを買いに行けるようになります。




 もともと法術とは、人知の及ばぬ不思議な術であり、法術を持つ西国の寺院に翼人が住んでいたことからも、翼人が人間に与えた知恵の一つが法術であったと考えられます。

ですから、法術の力が蓄積された人形により往人がそらとして転生できたことについてはある程度説明がつくかと思いますが、それ以外の部分については、歴代の法術師たちの思いが引き起こした奇跡と呼ぶ以外に説明は難しいと思います。

いずれにせよ、往人が最後に願った、観鈴の側で健やかな日々を過ごし、もう一度やり直したいという思いはそらへの転生という奇跡を引き起こします。







第2章:明かされる裏事情〜晴子の想い




 AIR編では、そらという第三者の視点を用いて物語を描くことにより、DREAM編では隠されて見えなかった観鈴や晴子の思いといったものが解きほぐされていきます。

中でも7/26の往人との言い争いの後の晴子の独白が、DREAM編で明かされなかった最も大きなセリフでしょう。

苦しむ観鈴の話を往人から聞いてもそっけない態度を取らなければ晴子は自分を維持できないのです。




 「あいつの言う通りや…実の親やないからとか…そんなん関係あらへん…」

 「うちがあの子といたいだけや…一緒にいたいだけや…」




 いつ連れ戻されるかも分からない観鈴、そして観鈴が癇癪を起こさないように距離を取る晴子。

観鈴もまた、自分が厄介者として晴子に預けられたと思い込んでいることから晴子とは距離を取り、すべてがすれ違い。

しかし、事情を知らないが故の往人の言葉は晴子に深く突き刺さり、観鈴の生まれの家である橘の家に行き、正式に観鈴を引き取れるようかけ合うわけです。




 そして残された観鈴と往人は想いを重ね、そして往人は再び消滅し、そらと観鈴だけが残されます。







第3章:記憶を取り戻してゆく往人と消えていく往人




 観鈴は往人が解放した人形の力により、キャパシティが少しだけ増加し、そして再び目を覚まします。

しかしこのとき、観鈴はそらと共に、完全に一人で家に取り残されます。

往人もいなくなり、晴子もいなくなり、何度起きても変わらない、誰も来ない部屋を前に、ついに彼女は悲しみをこらえきれなくなります。







 「結局わたしが、がんばっても、人に迷惑かけるだけで、いいことなんてひとつもなかったんだ」

 「わたしもあきらめていたらよかったんだ」

 「ずっと…誰も好きにならずに、ひとりでいればよかったんだ」

 「わたしだけが犠牲になればよかったんだ」

 「わたしだけが不幸だったらよかったんだ」

 「はぅっ…」

 「うあぁぁーーーーーーーーーーーん…!」




 ひとしきり泣いたのち、観鈴は諦めます。

意味を見出せない自分の生に。

頑張っても、何もないことに。

そして、静かに死が訪れるのを待って寝入るのです。




 そしてついに観鈴が苦しみ出し、最後の時を迎えようとするとき、そらは前世の記憶、往人であったときの記憶を思い出していきます。

往人が観鈴を失った、あのときと似たシチュエーションを経験することによって。

記憶を取り戻し、失っていく中で、往人はすでに法力のなくなった人形を使って観鈴をようやく笑わせるのです。

そして往人という記憶が消えていく中で、今一度の奇跡が起こります。




 大丈夫だよ、おまえは。おまえは、強い子だから…

 十分強い子だから…それが取り柄だろ。な、観鈴。




 だからきっと、辿り着ける。ふたりで目指したゴールに。

 誰も辿り着けなかった…ゴールに。頑張れ、観鈴。




 「往人さん…」「嫌だよ、ひとりにしたら…」




 ああ。ずっと、近くにいるからな…俺は。ずっと、ずっと…いっしょだ。

 だいじょうぶだ。絶対…わすれないから。みすずのにおい…温もり…笑顔。

 離ればなれになることがあっても、それを目指して、俺は歩いていくから。




 「いかないでよ、往人さぁん…」




 人じゃなくなっても…どれだけ遠くなっても…ずっといっしょだから。いつまでも、いっしょだから…

 …みすず。さようなら…




 そしてついに人であったときの記憶を完全に失い、観鈴の元にはそらだけが残ります。

往人のうち、観鈴のそばに居続けたいという、その強い思いだけが残ったそらが。







第4章:観鈴にとっての生きる意味〜ゴールに死が待っていても




 観鈴は、そらが往人の生まれ変わりであることを知ると同時に、もう往人がどこにもいないことを知ります。

どこかにいるかもしれないという一縷の望みも絶たれ、二度と逢えないことも分かった観鈴。

そして朝に再び目覚めたとき、観鈴はもう一度、往人のことを思い返すのです。

なぜ往人が最後に現れたのかを。

そらが往人でないことを知りながらも、観鈴は自分に問い掛けるように、そらへ語りかけます。




 「ね、往人さん…往人さんは、最後にわたしのそばにいてくれたんだよね…」

 「わたしのことを思って、いてくれたんだよね」

 「最後にはやっぱり、戻ってきてくれて…がんばれって、わたしに何かをくれたんだよね」

 「それは大切なものだから…すごく大切なものだから…」

 「だからこんなことで諦めちゃダメだよね…」




 「往人さん、わたし、ひとりでも、がんばれるかな」

 「ひとりぼっちでも、がんばれるかな」

 「がんばらないとダメだよね…」

 「だから、あきらめたら、ダメだよね…」

 「ひとりでも、がんばらないとダメだよね…」




 往人が最後に観鈴に与えたもの。

それはひとかけらの勇気、絶望の淵に沈んでいた観鈴を救うひと筋の光。

そして観鈴は、もう一度この世界で最後を目指します。

二人で目指したゴール、なぜ自分たちが悲しみを繰り返していくのか、その真実を確かめるということを。

そしてその悲しみを終わらせ、次からは幸せになれるようにすることを。




 確かに、観鈴が努力を決意しても、その終焉が死であることに変わりはありません。

柳也と同じく、努力の果てのゴールが死であることは、最初から決定づけられているのです。

それでもなお、観鈴はそこに自分が生きていく意義を見つけ出したのです。

往人が残した想い、それと共にゴールを目指していくということに。

一人きりでも、頑張っていこうと決意するのです。







第5章:心を近づける晴子、抑えられない観鈴の想い




 ところが、誰にも迷惑をかけずに一人きりで頑張っていこうと決意した観鈴の元に再び晴子が戻ってきます。

橘の家で無理矢理観鈴を引き取ることを承諾させ、そしてこれからは何があっても本当の親子として過ごそうと決意した晴子が。




 そのことは、観鈴にとってはとてもつらいことでした。

本当は心から望んでいた晴子との家族の暮らし。

しかし自らが心を寄せれば晴子は往人と同じように病み、死んでいってしまう。

往人に加えて晴子までをも失いたくない観鈴は、晴子の想いを喜びで受け止めながらも、晴子を突き放そうとします。




 「お母さんのご飯、いつもおいしくない…だから、もう作ってくれなくていいよ」

 「ひとりで作って、ひとりで食べるの…ずっとそうしてきたから、これからもそうするの…」




 しかし、今まで十数年、抑えつづけてきた観鈴の想いは止めることができませんでした。




 「お母さん…」

 「うあぁーーーーんっ…!」

 「うぁ…ごめんね、わたし…一緒にいたい」

 「お母さんとふたりで生きていきたい」




 観鈴はこのとき、どうやったら晴子を救うことができるのかを考えたことでしょう。

そして出した結論が、「自分の夢を晴子にしゃべらない」ということ。

夢が原因で自分が病んでいくこと、そして往人に夢を語っていたことから出した結論がそれだったのでしょう。




 実際には、往人が病んでいったのは夢が原因ではなく、また晴子は柳也の血筋ではないため神奈の呪いから影響を受けることはなく、心を近づけても晴子に呪いが及ぶことはありませんでした。

しかしそんなことを知らない観鈴は、晴子と一定の距離を保ちつつ、晴子と新しい生活を築いていくことを決意するのです。

髪の毛を切り、新たな子供となった観鈴は、誰に向かってでもなく、こう語ります。




 「また今日からがんばる、わたし」

 「ここからスタートだね」

 「ぶぃっ」

 「にははっ」




と……そう、ゴールを目指して、ここからスタートするのです。







第6章:失われる母親の記憶、そして築かれる新たな家族の絆




 神奈の魂の記憶を、逃げることなく受け入れるようになった観鈴。

観鈴は、母親と一緒に頑張っていく様子をそらへと語ることで、自分を勇気づけながら一歩ずつ進んでいきます。




 ぽん、と僕の頭に手を置く。

 「往人さん…わたしはまだ、夢を見てるよ」

 「いろんなことわかってきた」

 「夢はどんどん、昔にさかのぼってる」

 独り言のように、彼女が喋っている。

 「だから、もうすぐわかるよね…空のわたしが背負っているもの」

 「そうすればきっと、その子を助けてあげられる」

 「わたし、がんばるからね」

 「お母さんと一緒に」




 往人にもらった勇気と共に、そして晴子と一緒に観鈴はゴールを目指します。

しかし同時に、観鈴の身体は間違いなく崩壊していきます。

それと並行して起こる、生みの父親である敬介の登場。

敬介は折に触れて観鈴の様子をこの町まで人知れず見に来ていたわけですが、留守の間に家で観鈴の話を取り付けられていたことを知り、晴子の元へと直接出向いてくるわけです。

晴子は追い返すものの、不安になり観鈴に問い掛け、そして観鈴は答えます。




 「わたしの本当の家は、ここ」

 「家族って、そんなもんだと思う」

 「一番、自分がいて、幸せな場所。そこがわたしの家」

 「血が繋がってるかどうかなんて関係ないよ」

 「わたしが一番いたい、この場所。ここがわたしの家」

 「そして、ずっとそばにいてくれる人が、家族」

 「だと思うよ」




 お母さんがいて、そらがいる。

それが観鈴にとっての家、そして家族。

ところが、観鈴は神奈の記憶を受け取ることにより現世の記憶を崩壊させてしまいます。

そして観鈴の様態を知った敬介は3日間の猶予を与え、晴子はその3日間でもう一度、母子というものを思い返すことになります。

記憶のない観鈴、自分のことをおばさんと呼ぶ観鈴、言うことを聞かない観鈴を前に、晴子が望んだ最後の一日。

それは、一緒に時を過ごすことでした。




  「もう、うち贅沢言わへん」

  「明日最後の一日や」

  「一日中、ふたりで一緒にいよ」

  「うちの希望はそれだけや」

  「な、観鈴」




 そして最後に晴子は、観鈴を連れて海へ行きます。

二人で来ることが出来なかった海へ。

晴子は自分の無力さも知り、母親というものの大きさも知った上で、敬介に観鈴を手渡します。

しかし観鈴は心で覚えていました。自分が選びたい道、これからもずっと歩いていきたい道、その先にゴールがある道を。

そして観鈴は、晴子とそらの待つ家族の元へと再び帰ってくるのです。




 このとき、晴子の呼び方がママに変わるのも、昔と同じ状況に戻ったというのではなく、新しい家族を再構築したという意味合いが篭もった「ママ」なのでしょう。

だから夏祭りでは、昔、果たすことができなかった恐竜の赤ちゃんを買うことを、もう一度やり直して、新しい形で経験するのです。







第7章:観鈴の最後の夢と観鈴のゴール




 この夏祭りの夜、次に寝てしまったら自分は死ぬことを、観鈴は本能的に悟っていました。

そのため、観鈴は疲れきった母親を寝かし、そして自らはこの夏の思い出を絵日記に綴ります。




 実際にはこの夜、観鈴は起き続けていることができずに寝てしまい、観鈴は最後の夢(星が生まれた頃の最初の翼人の記憶)を見てしまいます。

この夢を称して、観鈴は「かなしい夢」と言います。それは、この夢(エンディングで語られる、最初の翼人の語り)がすべての始まりであり、それによって翼人という種族に課せられた運命が分かったためでしょう。




 最後まで夢を見切ったことによって、空にいた神奈の記憶はすべて観鈴に取り込まれ、神奈にかかっていたすべての呪いは消滅します。

呪いが解けたことによって、空の少女である神奈は救われ、そして人間である観鈴を経由して輪廻が起こるため、もう二度と不幸が起こることもなくなります。

しかしその代償として、観鈴の身体はもうもたず、観鈴の死が近づきます。




 往人との約束を果たし、その努力の果てのゴールに待っているのは観鈴の死。

それは避けようのない事実。

そのゴールを、観鈴は晴子と共に、青空の下で迎えることを望みます。




 しばらく風を受け続ける。

 いつのまにか彼女の瞳が閉じていた。

 安らかな顔だった。

 それはすべてをやり終えた後のような。




 そしてそんな中、そらは実感するのです。




 子守歌のように、母親の声だけが心地よく聞こえてくる。

 うとうとと、たゆたう。

 その中で僕は感じていた。

 僕たちは家族であるということ。

 この中にいれば、ずっと安心できるのだということ。




 観鈴は、そのゴールへ向けて一歩ずつ歩いていきます。




 「ぜんぶ、した」

 「なにもかも、やりとげた」

 「もうじゅうぶんなぐらい…」

 「この夏に一生ぶんの楽しさがつまってた」

 「すごく楽しかった」




 「もう一度だけがんばろうと決めたこの夏やすみ…」

 「往人さんと出会ったあの日からはじまった、夏やすみ…」

 「いろいろなことあったけど…」

 「わたし…がんばって、よかった」

 「つらかったり、苦しかったりしたけど…」

 「でも…がんばって、よかった」

 「ゴールは…幸せといっしょだったから」

 「わたしのゴールは幸せといっしょだったから」

 「ひとりきりじゃなかったから…」




 神奈も、そして神奈の輪廻転生先となった少女たちも、皆、一人で不幸のうちに死んでいきました。

しかし、観鈴のゴール、観鈴の死に場所は、ひとりきりではない。

幸せといっしょなのです。




 そしてついに辿り着いたゴール、それは観鈴の死。

観鈴はそれをこう語ります。




 「やった…」
 「やっと…たどりついた」
 「ずっと探してたばしょ…」
 「幸せなばしょ…」
 「ずっと、幸せなばしょ…」

 神奈が、そして神奈の輪廻転生先となった少女たちが辿り着くことができず、そして観鈴自身もずっと探していた幸せな場所、ずっと幸せな場所。

ささやかな幸せ、暖かな母のぬくもり、家族を掴み、観鈴は息を引き取るのです。




 そして最後に、観鈴が残した絵日記がテロップと共に語られます。

絵日記に描かれていたもの、それは観鈴と晴子とそら、そして恐竜のぬいぐるみでした。

観鈴はそらが往人の生まれ変わりであることを知っていたにもかかわらず、そらを描きました。

それは、観鈴が晴子と作った家族にいたのは、往人ではなくそらだったから。

観鈴はこの夏を振り返って、「この夏に一生ぶんの楽しさがつまってた」と述懐しています。

青空の曲をバックに流れるテロップ。

それは、果たせなかった経験でもあり、晴子とそら、観鈴の3人の家族が果たした思いでもあるのです。








グランドフィナーレ




第1章:取り残されたプレイヤーの想いとそらの想い




 観鈴も柳也も、自分たちの努力の果てのゴールはいずれも死でした。

しかし二人とも満足のうちに息を引き取るのです。

それは、ゴールが避け難い死であっても、幸せと一緒だったから、一人きりではなかったからでしょう。




 そして晴子もまた、時を経て新しい一歩を踏み出します。

家族のすごさを知り、その幸せと辛さを身を持って知った者として、晴子は新たな道を選び、歩き出します。

晴子が選んだ道、それは保育所で子供と接して生きていくこと。

いろんな家族に囲まれ、学び、そして教えていくことを晴子は選びます。




 自分が死ぬことを知りながら「これからはずっとおかあさんといっしょにいるの」と語った観鈴。

それは、観鈴が晴子の中でいつまでも記憶や想いという形で一緒に居続ける、ということを言いたかったのでしょう。




 しかし、そんな中で完全に取り残された存在がいます。

それは、観鈴のそばにいたいという想いだけが残っているそら、そしてプレイヤーです。

プレイヤーの代弁者であるそらが取り残されているのは、まさにこのゲームをプレイしたプレイヤーの気持ちそのものと言ってもよいでしょう。




 そらは、晴子に背を押され、空へ向かって飛び出します。

すでにあの世に旅立ってしまった観鈴を追って。

そしていつの日にか、観鈴を連れて地上に戻るために。




 その無限へと還ってしまった少女。

 今もひとりきりでいる少女。

 だから僕は彼女を探し続ける旅に出る。

 そして、いつの日か僕は彼女を連れて帰る。

 新しい始まりを迎えるために。




 飛べるだろうか。

 彼女と一緒に飛ぼうとした空。

 今も恐かったけど…

 でも飛べる。




 しかし、観鈴は確かに幸せのうちに息を引き取り、次に輪廻転生することがあったとしても、それは記憶を引き継がない形での輪廻転生。

そらにとっての物語、プレイヤーにとっての物語が終わっていなくても、もはや観鈴がその記憶を保ったまま蘇り、そして幸せを掴むという物語は有り得ないのです。







第2章:終わる物語、ゲームを通して語られる別れのメッセージ




 そんな取り残された存在であるそらとプレイヤーに対して、神奈が輪廻転生して成仏した観鈴からメッセージが語られます。

「別れの時が来ました」以降のセリフは、ゲームを通して語られる、プレイヤーへの別れの言葉なのです。




 別れの時が来ました。わたしは空に届けます。

 この星の最初の記憶を。あなたと暮らした、幸せな日々の記憶を。




    ゲームの終わりが来ました。私(観鈴)はそら(往人)に届けます。

    このゲームの最初の記憶(状態)とプレイヤーにプレイしてもらった幸せな時間の記憶を。




 悲しむことはありません。わたしはいつまでも、あなたと共にあるのです。

 雨粒が大河となり、そして海に集まるように…




    この話が変わり得ぬ、私(観鈴)が死んでしまう物語だと分かっても、悲しむことはありません。

    わたしはいつまでも、あなた(プレイヤー)と共にあるのです。

    雨粒(=プレイヤーの涙)が大河となり、そして海に集まっていくように、

    私もまた、あなたの記憶のひとかけらとして、あなたの記憶の中に還っていき、

    そしてずっとあなたと共にあります。




 だから…あなたには、あなたの幸せを。

 その翼に、宿しますように。




    だから、私(観鈴)の幸せを願うのではなく、あなたにはあなたの幸せを。

    自由な世界で動き回れるあなたの翼に宿してください。




 ゲームというものは固定された運命を持つ、変わり得ぬ、「忘れることを許されない」世界です。

翼人が語る「星」とその記憶というのは、まさにゲームの世界そのものを指していると言ってもよいでしょう。

空に霧散した往人の魂、そして空に飛び立ったそらの記憶と共に、観鈴はゲームのスタート地点へと戻ります。

ゲームの冒頭で語られる往人の既視感は、このループによるものなわけです。







第3章:無限の終わりを目指して




 ところで、最後に少年と少女により語られる「無限の終わり」とは何を指すのでしょうか。




 神奈にとっての無限とは、輪廻しきれない魂として、癒されずに永遠の苦しみを味わっていたことでした。

そして観鈴にとっての無限の終わりとは、ゴールで掴んだ幸せな場所だったと言えるでしょう。

つまり、『ささやかな幸せ、暖かな母のぬくもり、家族』。

それは、このゲームには決定的に欠けていたものであったことは確かです。

佳乃、美凪、観鈴のいずれも、そんなささやかな幸せや家族が掴めずに苦しんでいたのです。




 しかし、それを目指せる存在が浜辺の少年と少女、そして我々プレイヤーなのです。

(最後が二人なのは、家族を形成するためには二人が必要だからです。)




 この物語の中にどのような救いを求めようとしても、それは無理なことです。

ゲームの世界が「忘れることを許されない」世界、すなわち固定された世界である以上、観鈴や往人を救うとしてもそれはもはやプレイヤーの想像で作り出した世界でしかありません。

それに、観鈴は少なくとも当人が望んだ形でのゴールは迎えているのです。




 少女は語ります。




 「見て、できた」




 と。

完成した物語を例えた砂山を指して。




 そして、ゲームの世界に取り残される観鈴は、自ら少年と少女(引いてはプレイヤー)に手を振ります。

このゲームから去っていくプレイヤーに対する別れのメッセージとして。




 「彼らには、過酷な日々を。」




 それは、救われぬ、確定された運命の中を生きる二人を表す言葉。




 「そして僕らには始まりを。」




 それは、新しい道を自らの力で歩いて行けることを表す言葉。




 「下ろした手を固く握る。」 




それは、手を振る観鈴に対する想い、そして明日への決意の現れ。

そして最後に少年は語ります。




 「さようなら」




……変わらぬ運命を辿る二人への、別れの言葉として。